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徒然雲 1001の祈り【三十三間堂】京都あるき

今熊野観音寺から泉涌寺と参詣し
いつもならこれで頭も心もいっぱいになり退散となるところだが
今回はどうしても見たいところがあり、参道を下りたバス通りを北へ。

昔ながらの商店街を歩いていると、途中の路地からちょこちょこ京都タワーが
見え隠れ。

なんでしょう?!
東京でも東京タワーが見えたり、スカイツリーが見えたりすると嬉しいのは?
なんだかちょっとラッキー!的な(笑)


京都タワー


東海道線を越えるとだんだん賑やかに、智積院がぶつかる丁字路を西に曲がり
京都国立博物館が見える。


京都国立博物館の向かいにあるのが今回の最終目的地。

三十三間堂

京都にはまあまあ来ているつもりでいるが、なぜかここはまだ一度も訪れたことがなかった。
もちろん存在は知っていたし、内容もガイドブック程度の認識はあったが
ご縁がなかった。

少し前の記事のコメントでつきふねさんがおすすめしてくださり
気になっていたところ。
今熊野観音寺のルートを見ていたら近いじゃない!
ならば行くのは今なり。

続々と人が吸い込まれていく門にワタシも入る、
目の前の駐車場に観光バスが5、6台とまっていて・・・一瞬心が萎えた。

しかし、もはやいつ来てもこの状況は変わらないわけで
ぶつぶついっても仕方ないので、いざ入場。

近代的に整備された拝観入口で個人客用の下足棚に置き、本堂へ。



目の前に広がる、あの写真でみた・・・

それはもう圧巻、壮観、そんな言葉しか語彙の乏しいワタシには浮かばない。
整然と幾重にも重なり並ぶ仏像の波。
1001体の千手観音様たち。
正しくは『十一面千手千眼観世音』という。

大勢の参拝者と一緒でよかったのではと内心思った。
ここに一人で1001人の観音様たちの視線を浴びたら・・・
きっと気絶したかも。

信仰とはある意味エキセントリックなものだと、改めて思わずにはいられない。



千手観音と二十八部衆像



中尊(湛慶作)を中心に50体X10段の千手観音像の前に二十八部衆像
風神雷神像が立ち並ぶ。


その風神雷神像、これまたシビレた!

あの俵屋宗達の『風神雷神図屏風』のモデルとなったといわれる像だが
ここにいらっしゃたのね!
意外と小柄であるが、その造りや表情、動きの全てが絶妙!

同時に太鼓を叩いて雷をおこす神様、風袋から風を吹き出す神様という
イメージを持った当時の発想はかなりユニークで面白いと感心(笑)
昔の人の想像力というのは、かなり豊かで真剣だったのね。


このお二方を拝見できたのはかなり嬉しい。
またお目にかかりたい。



雷神



風神



本堂を出て、外を散策。


『三十三間堂』
正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)

三十三間のは長さの単位でなく、社寺建築の柱間の数を表す建築用語で
柱間が33あるといことを表している。
三十三間堂の一間の柱間寸法は2間なので、全長120メートルとなる。
長い。


三十三間堂
国宝



そしてこの『33』という数字。
これは観音菩薩が33種の姿に変じて衆生(しゅじょう)を救うと説かれることによる法華経の由来である。

西国三十三所観音巡礼の三十三もここからの数字だった。








ということで今熊野観音寺の観音様に始まり、釈迦如来様、三尊仏に
1001体の千手観音様と
それはそれは大勢の仏様を拝めた濃密な一日だった。


京都の仏様の多さを改めて実感。


寺社仏閣を巡り、仏様の姿や、それぞれの寺院の建築や意匠の奥深さに
興味深くディテール探しが楽しい!
当時の日本人の技術の結晶が、寺院や仏像に表現されているように思える。

テクノロジーが発達した現在でも再現できない技術が、そこにはあった。


そんな古き日本にハマってます。







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