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あをによし 【赤膚焼】ならまち番外編 奈良あるき

今日は東に北に奈良をチョロチョロ、ならチョロの日。

北は近鉄奈良エリア。

6月に陶芸体験で作った器が焼き上がったと連絡があり
引き取りに行ってきました。
1ヶ月〜2ヶ月と言われていて、かれこれ3ヶ月・・・
連絡してみようと思っていた矢先
実家に帰省中に「仕上がりました」メールがきた。

赤膚焼の体験。
なぜ陶芸かというと・・・
昨年習っていた『奈良晒』で奈良工芸館に週一回通っていました。
そこで色々な奈良の伝統工芸の展示を見ていて、素敵だな〜と思ったのが
『赤膚焼』。
ショップで販売していたシンプルな湯呑みが気に入って購入したり。

そして今年も『奈良晒』教室を申し込んだら、なんと抽選に落選!
そのショックといったら・・・
今年は6月からスタートで、ちょうど時間があるから張り切っていたのに!
でも結果、父のことでそれどころではなかったので、
この落選も何か意味があったと今となっては思います。

で、たまたま見ていたサイトで『赤膚焼』体験を見て
何か引き寄せられ気がついたら申し込んでいた(笑)

それが、近鉄奈良駅近くの『大塩正史陶房』

6月のその日はワタシ一人の体験で、完全マンツーマン。

陶芸、初めての体験。
でもやったら絶対ハマると思っていて、危険を感じて避けてた。

体験教室、さっそく始まり
師匠「どんなの作りたい?」
雲「片口の何か」
師匠「日本酒の?」
雲「というか、お皿と丼の間のような、日本酒もいけるような・・・」

ということで、すでにこねられている土がテーブルにドン。


土こねに何年も修行らしい


この塊から少しずつ取って、細長い棒状にしたものを下から重ねていく。

重ねては成形するのですが、あまりにもざっくりとしたイメージしかなく
ウネウネグニャグニャいじりながら手は動かしながら
目の前に座っているお師匠さんとのおしゃべりが面白く
口も耳もかなり動いてました。

なんとなく形ができたのですが、何かが・・・
そこで師匠がちょっと救いの手を入れてくださり、

師「こんな感じ?」
雲「・・・」

どうもその時 ”違う!”ってすごい顔していたらしく、
また修正してくださり
雲「そんなかんじです〜」

師「負けず嫌い?」
雲「よく言われます」

そう、なぜかよく言われるのですよね。
負けず嫌いじゃないけど・・・
勝ち負けは全然気になりませんが、納得いかないと顔にすぐ出るらしい。
いい歳してよろしくないですね。


ということでこんな形にしてみました。

片口の小鉢


あとの仕上げ(釉薬塗り、焼き上げ)はお任せ。



お師匠さん


愉快なお師匠さん 大塩正史さん。
赤膚焼の窯元「号八代正人」の三男、お兄様が窯元を継がれていて
正史さんもご自身の陶房を構えて作家活動されています。

私が工芸館で購入した湯呑みは、次男の方のお嬢さん大塩まなさんの作品でした。

赤膚焼

天正13年(1585年)豊臣秀吉の弟である豊臣秀長により、現在の奈良県大和郡山にある五条村赤膚山に開窯された。
文化人として名高い「小堀政一(小堀遠州):1579年~1674年」の好んだ「遠州七窯」の一つとして数えられる窯である。
赤膚焼は名の如く器肌に赤みを帯びており、その名の由来は赤みを帯びた器肌という説と地元の地名である「赤膚山」から来たという二説がある。
その赤みを帯びた器に乳白色の萩釉をかけ、奈良絵と呼ばれる絵付けを施したものが良く知られる。

wikipediaより抜粋


よく鹿や人形の絵付けのものを見ますが、
ワタシは無地のものが好み。


そして、焼き上がった器と対面!

乳白色の釉薬



銘入り
「くもきち」の「あ」?! 


何にでも合いそう。
おひたし、煮物、和にも洋にも万能そう。

とても楽しいいい体験教室でした。
ハマりそうですが、ここはグッとがまん。



受け取り前に”ならまち”散歩をしてきましたが
月曜日ということもあり、お休みのところが多かった。



奈良工芸館



”ならまち”はワタシの スキが点在


地図
大スキ!
昔はこんなかんじの町だった


スキ


シカシカシカ


招き鹿


石仏と曼珠沙華


花瓶に曼珠沙華


おはぎ三兄弟



大スキ!
紫の花


芸術の秋に、”陶芸体験”と”ならまち散歩” おすすめです!


秋といえば・・・

栗ご飯第一弾

愛媛の栗


大きめゴロゴロが
ワタシ流

甘くて美味しい栗でした。


これから美味しいものがいろいろ、
食欲の秋!


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