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akakilile倉田翠さん演出舞台「捌く」の的外れなレポみたいなもの

※2022年10月29日14時公演版「捌く」の多大なネタバレを含みます。



※10/30追記
オレンジ色の部屋着に赤いジャージのズボンを履いた男性が舞台終盤ごろ透けた柄シャツに着替えたのは、森本けいじさんという方がやむなく降板され、当該衣装はけいじさんの衣装だった旨を倉田さんからお聞きしました。演者さんたちの思いが感じ取れますね。教えてくださった倉田さん、ありがとうございました。


倉田翠さん演出の「捌く」を縁あって観に行った。

東京芸術劇場の少し澄ましたような空気を抜けてたどり着いた地下ホールで待っていたのは、スリリングで不穏で奇妙な世界観に終始息を詰めながら釘付けにさせられる、独特な舞台鑑賞体験だったと言えるだろう。

冒頭、客席の照明が落ち切る前に演技が始まる。

「マスクって取っていいんでしたっけ」
オレンジ色の部屋着に赤いジャージのズボンを履いた若い男(舞台終盤ごろ透けた柄シャツにどういうわけか着替える)が、舞台的な台詞回しではなく、一般的な話し言葉的にそんなことを言って観客の方を見るから、どきっとした。彼がおずおずとマスクを取る中、私たち観客はみな一様にマスクをしたまま彼を無言で見守っている。彼から見たシュールな光景が目に浮かぶようだ。頭の中で視点が入れ替わる。

「捌く」は、観客が舞台上のキャラクターを観ているのと同時にキャラクターたちも観客を見ている、という概念が演出として強く打ち出された舞台だった。

舞台上を見る。

台の上にミンチ肉の入った袋を枕にした鹿のようなキャラクターが寝かされている。「捌かれるもの」の象徴みたいなそれをさまざまな風体の男たちが取り囲みつつ、いろいろなことを話したり奇妙に動いたり叫んだりする。男たちは互いに互いが見えていないかのように動き回るが、時折会話が成立する。

男たちは、かなりのダンス上級者だということが分かるキレのある動きを見せる。普通にやれば否が応でも格好良くなってしまいそうなのに、ニヤニヤとした薄笑いや真顔とともに繰り出される体の動きは絶妙に不気味でしかないのがすごかった。

ただ一箇所、長髪柄シャツの男性のダンスは「格好良いダンスパフォーマンス」として成立していた。
眼鏡をかけた男性が「肘」と言うと、長髪の男性は肘を躍らせる。「後頭部」と言うと後頭部を躍らせる。眼鏡の男性の指示する部位は徐々に「恥骨」とか「鎖骨」とかいう細かなものが混ざり、指示するテンポもどんどん早くなっていく。
長髪の男性が、「後頭部」「肘」「指先」「鎖骨」等と息をつかずに次々と繰り出される指示になんとか追いつきながら踊ろうと頑張るところは、緊張感漂う本公演の中で少し情緒を休ませられるコミカルなシーンだった。

得体の知れない男たちは、私たち観客の世界に干渉するかのように、しばしば舞台から落ちそうなほどぎりぎりに立ったり舞台から降りたり、靴を投げ落としたりなんだったりした。

特に、初めに「マスクって取っていいんでしたっけ」と口にした部屋着の男は、私たち観客の世界と舞台上の世界の間に立つ存在であるかのように、頻繁に私たちの方をニヤニヤと見ていた。

男は、静かな場面では「静かやな」、緩急のある場面では「緩急あるな」、上演開始からそれなりの時間が経った頃には「今何時くらいなんやろ」「これが最後のシーンです」など、観客の心の声など分かっているぞと言わんばかりのメタ的なセリフを吐いた。
黙って無防備に座席に腰かけているほかない観客が舞台で軽やかに肉体を動かすキャラクターから「見られる」体験はなんだか憎らしかった。

舞台終盤、眼鏡の男性が、「エリートの男性と女、女子大生が云々、合コン云々、主犯の誰々だけ示談が成立せず云々」と東大生わいせつ事件を扱ったセリフを言う。

それにしても、非東大生の女子大生をエリート東大生たちがよってたかって泥酔させ、強姦し、隠部にドライヤーを当てるなどぞっとするようなやり方でおもちゃにした、あの東大生わいせつ事件とは、難しい要素を取り上げるのだな、と思った。

ストレートに取り扱うと、「フェミニスト」と揶揄されそうな説教くささが先に立ってしまう。しかし、あまりにさりげなく取り扱うと、現実の悲しみや苦しみをブラックユーモアとして軽く片づけて消費する、ひどい事態に陥ってしまう。

そんなことを考えつつ、そう言えば、今、舞台上にいる女性は、「捌かれるもの」といったような格好で寝そべる鹿のキャラクターのみで、他は男性しかいないな、と思った。


ラスト、カーテンコールで現れた演者たちが、あの得体の知れないキャラクターではなく一般的な人間として私たちの方を向いていたのでほっとしてしまった。
「終演となります」というアナウンスが流れているにも関わらず舞台上では音楽が鳴り続け、演者はパフォーマンスを続けていたので、席を立つタイミングが分からずそわそわしてしまった。舞台上のパフォーマンスが終わることにほっとするなんていう経験は初めてだった。

個人的なことだが、以前とある声優がイベントの際舞台上で観客に対し「お前たちは一生この舞台に上がれないんだ、羨ましいか」みたいなことを言ったのだという話を聞いたときから観客席と舞台上の断絶に対し形容しがたいコンプレックスを抱いていた。

一方、「捌く」は観客席と舞台上が見事に一体化していた。
しかし、それは決してハートウォーミングでなまやさしい代物ではない。

そんな「捌く」という舞台の在り方は唯一無二だなと私は思う。







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