(74)レスパイト入院

要介護3の義父母の介護。先月の義母の体調不良から始まった怒涛の1か月。はっきり言って、このしんどさ、大変さは、親戚や兄弟であってもわかってもらえていないと思っている。介護経験者なら、想像はしてもらえるかもしれないが、そうではない場合、往々にして実際より軽く考えていたり、呑気だったり…。
この1か月だけでも、義母救急外来、義母救急外来、義母通院、義母往診、義母往診、義母入院、義父徘徊、義父救急外来、義母退院、義父徘徊、義父徘徊&事故…。そしてこの期間、もちろん義父母は自分たちでは買い物も行けない、義父1人のときにいたっては、食事の時間もわからないし、用意や片付けもできない。そして、時間のわからない義父は真夜中でも明け方でも何かを言いに私や夫を起こしにくる。それは、仕事をしていると錯覚しているときの会話で、◯◯の仕入れはどうなっているか、など、妄想の話がほとんど。そんな話で真夜中や明け方に起こされるのだ。それだけではない。義母も真夜中や明け方、関係なしに夫や私が寝ているところに上がってくる。「じいちゃんがおかしなことばっかり言うてきてしんどい…」「じいちゃんが仕事に行く言うて出て行く用意してんねん…」などなど。何も言いに来ないが階段を上がったり下りたりを繰り返しているときもある。もう、この1か月まとめて5時間とか6時間とか、寝れた日はあっただろうか。そんな義父母との生活を、私はケアマネジャーさんに報告するようにしているのだが、直近の徘徊をケアマネジャーさんに報告したとき、ケアマネジャーさんから来たお返事は、「このような徘徊は命に関わります。義父さんを守るためにも、そして1度ご家族の休息のためにも、医療の力を借りてみませんか。入院を考えてみませんか。」だった。ケアマネジャーさんは、義父の徘徊があまりに危険すぎること、そして、24時間2人の在宅介護に振り回される私を案じてくれた。本当は、ちょうどデイサービスの申込みをする直前で、ショートステイの予約、特養の申込みも順番にしていく予定で動いていた。しかし、特養にはいれるのはまだいつになるかわからない。ショートステイやデイサービスでは、少しの時間介護から解放されるかもしれないが、数時間後には帰宅することが決まっている。そして、今の義父のように徘徊がひどい状態ではショートステイや特養ももしかしたら断られるかもしれない、ということだった。もちろん義父を預かってもらうことができたとしても義母がいるので介護がゼロになるわけではないが、義父を24時間体制で安心してみててもらえるのであれば、どうかお願いしたい…それが正直な気持ちだった。すぐに夫に連絡をした。夫は、それで進めてください、と返事をしてくれた。夫はなんとなくわかっている。ここで入院させるということは、このまま在宅に戻ってくることはないのかもしれない…ということを。それは、実の子としては難しい決断だと思う。それでも、義父母2人で自立して生活することが出来なくなり、実子ではなく、嫁の私がほぼ1人で義父母のお世話をしないといけないという苦しい状況を脱するためには夫が決断するしかない。義父母にはもう判断する力はないし、夫の姉弟も、私たち夫婦に任せる、というスタンスでいるのだから、私が倒れる前にこうするしかないと夫は判断したと思う。私はケアマネジャー、受け入れてくれる病院に連絡をとり、ケアマネジャーの提案からたったの2日後に、義父は認知症専門の病棟に入院ができる運びとなった。

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