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許せばよかった、そう思う日が来るとわかっているから

人は最期に、「許せばよかった」と後悔すると聞いたことがある。

和解をしたい。そう思うのだそうだ。

例えそれがどんなに憎く、天と地がひっくり返っても許すことはないと思っていた相手でも。





何かにつけておとしいれようとしてくる、意地悪な先輩がいる。
要領と外面ばかりがいい、ずる賢い同僚がいる。


彼らをどう受け入れ、落ちるところに落ち着かせればいいのだろう。
必要最低限のこと以外は関わらないと決めた、苦手な人たち。
負の感情しか湧かない相手。




でも、そんな彼らも、誰かにとっての大切な娘や息子なんだ。
それは揺るぎない事実であって、私の感情一つでどうこう言えるものではない。


この世に生まれてきた瞬間、大いに祝福され、愛され育てられてきた唯一無二の存在。


そう思うと、根っから憎い人なんていないのかもしれない。
そう思うことで救われる自分がいる。

きっと許せる。最期でなくても。今ここで。






彼は言った。

ある出来事をきっかけに長年距離を置いていた、過去のある時期において濃密な時間を共に過ごした友人と話し合い、和解した、と。


どんな揉めごとがあったのか詳しくは知らない。
無理に聞き出そうとも思わない。

彼は、話したいことは聞かれなくても自ら話す。
話さないということは、つまりそういうことだ。


私は一言、よかったね、と返事をした。




ひとつだけ分かったことがある。

彼は、今は亡き妻のために、その人を許したのだろう。
生前、その人だけは許せないと言っていた彼女に代わって。

きっと彼女も、本当は許したかったはずだから。



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