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梅干しを漬けた、ほんとの理由

6月は仕込みの季節。
らっきょう、梅干し、梅シロップ。

私は、毎年大量の材料を揃え、1年間、無くなることを心配せずにモグモグ食べられるだけの大量らっきょうと梅干しを作ります。

独立した子ども達の家族分も作るので、大量になるのですが、別に頼まれたわけではありません。私の梅干しが恋しいから作ってくれなどと言われた覚えもありません。私は勝手に作ります。

そして毎年この季節になると、保存瓶を空けるために一年前に作ったらっきょうを子ども達に配ります。

「毎年こんなに残るだけ作って、そろそろ適量を作るってできないの?」

子ども達は私を「仕方のない人だ」と笑いながら受け取ってくれます。

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梅干しは大きな甕に漬け込んでいて、10年物から順にたべていくので、空いた甕にその年の梅干しを仕込み、10年寝かせます。

「梅干しが切れちゃったー」と訪ねてくる子ども達。

私は「あら、久しぶりね、元気だった?」と話しを聞きながら、台所の奥で梅干しを小さな保存瓶に移し替えます。そのとき「ああ、また今年も渡せた」とホッとします。

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子ども達が小さなころ、私も梅干しは実家から送ってもらっていました。子ども達はおばあちゃんの梅干しを食べて育ちました。その私がある年の6月、自分で梅干しを作ることを心に決めました。
なんとも大げさなことですが、私は密かに、誰にも言わず、これからは毎年梅干しを作るという決心をしました。

これからは毎年私の梅干しを作る。

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議員秘書になりたての頃、私は仕事に慣れないこともあり、毎日叱られ怒鳴られ落ち込み、へとへとになって帰宅する日が続いていました。何を言われても、政治の世界の独特な言葉の意味が分からず、サバンナで会議に出ているような気分。でも仕事を教えてくれる人はいません。

私が入った事務所も然りでした。女性の秘書ばかりの事務所で、雰囲気もサバンナ。何かあっても緩衝材になる存在すらいませんでした。

私は、数か月後にその議員事務所で政策秘書の登録をしてもらうことになっていました。事務所内では1番の新人です。お局様が面白いわけがありません。嫌味を言われるくらいは聞き流せば良いのですが、そのうち胃の痛い日が続くようになりました。

久しぶりに美容室に行くとカットしてくれる店長が「あれ?鈴鹿さん、円形脱毛があるよ」。
「いーち、にぃ、さんしい」そう言って数え初め「22」まで言ったところで私が「止めて、もういいから」と数えるのを止めてもらいましたが、いったいどれだけあったのか。

その週のこと、通常国会も終盤になり、委員会が連日たくさん立っていて、事務所内がギスギスしていた頃でした。

その日、私はなんとなく胃がムカムカしていました。以前から胃の調子は悪かったので、夜中に食べる夕食が悪かったのだろうと思っていました。委員会質問を終えて、議員と一緒に事務所に戻る途中、ホッとしたのか突然吐き気が襲ってきました。私は体調が優れないことを議員に気づかれないよう笑顔で「トイレによっていきます」と、議員には事務所に先に戻ってもらうことにしました。個室に駆け込み便器を抱えた途端、我慢していたものが胃から逆流してきました。汗をかいて吐き出した便器を見ると、そこには血がありました。

「え、、、?血?」

私は、議員に見つかったらクビになるかもしれないと思い、誰にもバレないよう洗面所で口をすすぎ事務所に戻りました。

その日は帰ってから市販の胃薬を飲みましたが、翌日もムカムカはとれていません。いつもと違う体調に不安になり、私はその週末、土曜日に開いている病院を探して検査を受けることにしました。

胃カメラの検査の最中、医師の表情をのぞき込んでは安心の材料を探すのですが、眉間にしわが寄るのを見つけるたびに「何か重大な病気なのかも」と不安が増幅します。

その時、「今私が死んだら子ども達はどうなるんだろう」とこれまで考えたことのない不安が襲ってきました。
既に離婚して子ども達も思春期とはいえワンオペであることには変わりありません。

子ども達は、それぞれの思春期特有の距離感をもって私と接していました。ちょうど子どもが親にピリピリする時期でした。

どうして離婚なんかしたんだ。
親の好き勝手で子どもは迷惑してるんだ。
友達に言えない。

思春期の子ども達のトゲのある言葉も本心からではないはず。いつか子ども達がこの冷たいセリフを母親に投げつけたことを後悔したとき、私が既に死んでしまっていたら謝る先がない。まだ死ぬわけにはいかない。でも、この胃の具合の悪さ、普通じゃない。もう死ぬのかもしれない。


お金もないし、思い出もつくってあげられてない。
私は何も残してあげられない。

そう思ったとき、思いついたのです。

そうだ、梅干しを作ろう。

梅干しは何十年でも残すことができる。子ども達が大人になって私と話がしたくなった時に、私の梅干しを眺めれば、独り言くらい言えるのではないだろうか。それも、何年後でも、彼らがいくつになっても、梅干しを一粒口含めば少しは元気になることができるのかもしれない。

時はちょうど6月。私は、近所の自然食品店から梅干し用の梅を買い求め、梅干しを作ることにしました。
梅干しは、梅と塩があればできます。胃の痛みを抱えたまま、完熟の梅を塩で漬け、梅酢から上げて日に干し、また梅酢に戻す。これを何度も繰り返し、私は初めての梅干しを漬けこみました。

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検査の結果、私は十二指腸潰瘍でした。薬が効いて少しずつ症状は良くなりました。そして議員事務所を移ることになり、それから胃は全快しました。なんと情けないことでしたが、体調が戻ったのにはホッとしました。

この時から、私は毎年梅干しを漬けるようになりました。

準備する時間もなく突然私が死んだとしても、梅干しが残っていたら、寂しくなった時に死んだ私と話ができるのではないだろうか、と。

こんなセンチメンタルなことを書いて、彼らに読まれたら笑い飛ばされることは必須ですけれど、あの頃は真剣だったのだと思うのです。

同じ理由でその年かららっきょうも漬けるようになりました。今年は既に仕込み済みです。6月は仕込み月。今年も大量の梅が届く予定です。

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甘い香りの完熟梅を仕込んでいると、議員秘書になりたての心細い自分を思い出します。頼る人もなく、子ども達をどうやって育てていくのか、ただそれだけでも不安だった自分と、まだ幼かった子ども達を思い出します。
必死だった私の、懐かしい思い出。

今年もそろそろ梅が届く季節になりました。


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