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マインドフルネスの意味と効果

マインドフルネスには様々な定義があるようです。それはマインドフルネスが、異なる職業や分野で新たな概念となってきたからかもしれません。

マインドフルネスは元々、「サティ」と呼ばれる仏教の修行のひとつでした。この「サティ」というパーリ語は、この世で起きていることへの「明晰な気づき」または「記憶」という意味がありました。

しかし仏教心理や瞑想のために、仏陀がこの言葉に新しい意味を与えて以来、この言葉は「記憶」という意味として使われなくなりました。それでもイギリスの翻訳者 T. W. Rhys Davidsは、記憶としての意味は「思い出すこと、心に呼び起こすこと、意識すること、ある特定の事実」であり、その中でも最も重要なのは「無常」の認識、つまり、「すべての現象は絶えず生まれ、そして消えていくという事実」の認識だったと推測しています。変化し続けるものへの執着が人の苦しみの根本原因だということを忘れないための「記憶」です。物理的あるいは精神的な現象に執着しないよう、私たちに教えているのかもしれません。人の存在そのものも含めて、仏教によると、すべての現象は「幻」なのです。この種の精神的な教えは、仏教の伝統におけるマインドフルネスに組み込まれています。それは、「輪廻を終わらせる」という究極の目標を達成するための哲学でした。

一方、西洋化した近年のマインドフルネス講師は、カルマや輪廻といった仏教の教えを含まず、マインドフルネスの直接的なメリットだけを強調していると捉えられています。ジョン・カバット・ジンらは、西洋文化においてマインドフルネスをより理解しやすい実践にするために、仏教の教えを省いてしまった。よって西洋におけるマインドフルネスは、「瞬間瞬間の経験に注意を向けるシンプルな気づき」と定義されます。例えば、ジョン・カバット・ジンはマインドフルネスを「特定の方法で注意を払うこと:目的を持って、今この瞬間に、判断することなく」と表現しています。

他の西洋の研究者は、マインドフルネスには「判断しない、反応的ではない、感覚体験を意識し行動する、内的世界を言語化する、自己観察する」といった5つの側面があると言っています。マインドフルネスとは、あらゆる活動において「今に存在すること」の実践であり、これはしばしば「行動すること (doing)」ではなく「在ること (being)」と表現されます。この「在ること (being)」モードに徐々に入るために、ボディ・スキャン、瞑想、ヨガやマインドフルな動き、マインドフルな日常活動などの実践を行います。

「気づき (awareness)」とは、「外的な影響に対する自分の反応に気づき、思考、感情、身体感覚を観察する能力」とまとめた研究者もいました。実際、私たちは常に物理的、社会的、生物学的な外的要因の影響を受けています。仏教の教えによれば、外的であれ内的であれ、すべての現象は「幻」です。したがって仏教での原則は、これらの幻に執着せず、「そのままにしておくこと」のようです。

一方、欧米で開発されたマインドフルネスに基づく介入は、私たちに影響を与える外的要因を分析し、人々がこれらの出来事を心の中で「どのように解釈しているか」を探求します。「出来事」と「その出来事についての解釈」を区別しようとするものだと言えるかもしれません。例えば、マインドフルネス認知療法(MBCT)では、「思考は事実ではなく、思考として理解すること」をクライエントに促します。

仏教におけるマインドフルネスは、主観的な経験に基づき、自己探求し人生への理解を深め、精神的な目標(輪廻を終わらせる)を達成するための実践でした。しかし欧米では、マインドフルネスの主観的体験が、客観的な視点を通して分析されます。西洋の医学や心理学は、マインドフルネスストレス軽減法(MBSR)、マインドフルネス認知療法(MBCT)、弁証法的行動療法(DBT)、アクセプタンス&コミットメント療法(ACT)など、マインドフルネスに基づく介入セラピーに貢献しました。欧米におけるマインドフルネスは、参加者の感情面での症状を緩和し、日常機能を改善することを目的とした臨床介入の一種とみなされるようになっています。

最後に、マインドフルネスの実践には道徳的な教えの要素も含まれます。仏教では、他者やすべての生き物に対して社会的責任感を持つことを奨励しており、その道徳的教えには、非暴力や不偸盗などの戒律が含まれています。このような教義は、仏教をはじめとする東洋の宗教における因果応報の哲学から生まれたものかもしれません。それに対し、欧米の宗教的要素を省いたマインドフルネスの道徳観とは、世界や互いに対しての、マインドフルな相互作用を意味するのかもしれません。互いや周囲の環境に害を与えないために、道徳心は不可欠だからです。ある研究者が提案しているように、欧米におけるマインドフルネスの倫理観は、「正義、平和、世界の生態系バランス」に貢献する「社会正義的なツール」のひとつとみなすことができるかもしれません。
 
ダニエル・シーゲル博士は、マインドフルネスにおける自己観察のスキルは、「過去の学習や、自動的で習慣的な反応性の奴隷から、解放されるための能力を培うことに、役立つかもしれない」と主張しています。シーゲル博士が言うように、マインドフルネスの実践を通じて、人は身体で感じる「ボトムアップ」の情報と、思考としての「トップダウン」の情報に気づくことができるようになります。「トップダウン」の情報は、事前の学習や過去の情報に依存していると言われています。人は、自分が感じたこと(「ボトムアップ」)を解釈するために、先行知識(「トップダウン」)を利用します。それが自分の人生の物語の基礎を作り、最終的にその人の世界観を形成します。

シーゲル博士は、マインドフルネスのアプローチは、「ボトムアップ」と「トップダウン」の情報を認識するためのツールを私たちに提供してくれると言っているのです。このツールは、ストレスとなる思考や状況にうまく対応するのに役立つと述べています。その結果、人は無意識で習慣的な反応を避け、もっと別の行動を選択できるようになります。


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【参考文書】
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