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なぜ英語を勉強しても使えないのだろう

こんばんわ、くめちゃんです。
本日のテーマは英語力についてです。

現在はリモートで仕事をするとき基本的には英語でコミュニケーションをとっている場合が多いです。よく友達に「くめちゃんって英語使えるの?」とよく聞かれます。正直、英語を使えるということをどのように定義するのかによって変わってくるのですが、体感としては文章(テキスト)では何とかコミュニケーションがとれるくらいですね。

今回のブログにおいて、英語が使えるというのは英語で会話を含めたあらゆるコミュニケーションが十分にとれる状態と定義して話していきたいと思います。

英語習得にあたって感じた疑問

まず最初に僕が感じた疑問について話します。それは
大半の人(もちろん僕も含めて)は少なくとも6年以上(中学・高校)英語を勉強しているのにも関わらず、なぜ英語が使えないのか?

まず、最初に思いつく原因としては単純に学生時代にスピーキングとリスニングの勉強をほとんどしていなかったことが挙げられるのではないでしょうか?僕も中学高校時代に長文読解(リーディング)やら英文作成(ライティング)をした記憶はありますがスピーキングとリスニングについては皆無に等しいです笑。確かにそれは原因の1つであるとは思いますが、根本原因ではないように僕個人としては感じました。仮にそれが根本原因なら、大半の人がテキストベースであれば英語でコミュニケーションをとれるということになります。その結論は少し違和感を感じます。ということ視点を変えて僕たちにおける英語の立ち位置について話していきたいと思います。

英語の立ち位置

僕が思っている根本原因は"英語の立ち位置"にあると思っております。今の日本社会で英語が必要な機会はほとんどなく、使えなくても何不自由ないです。学生時代において、あまりにもできなさ過ぎて留年するケースは除きますが、英語の勉強が少々できなくても何も問題ないでしょう。

ここで僕の仕事の話に戻るのですが、今の僕の立場に置いて英語が使えないというのは致命傷になります。そもそも英語でコミュニケーションがとれないと仕事にならないです。このような状況下では自然と英語を身に着ける姿勢がとれるようになりました。例えば、何かわからない英単語が思いつけば直ちにGoogleで調べ解決する、普段日本語を読むときに頭の中で英文に翻訳するといったことです。この姿勢は明らかに学生時代にはなく、大学受験を意識しているときもなかったです。はっきりと断言できます笑

また、興味深いのは自然とこのような行動を選択するようになったことです。これらを嫌々選択しているのではないのです。学生時代に先生に上記の2つをやれと言われれば不快に感じる人が大半だと思います。

その感じ方の違いには先ほど僕が仮定した立ち位置が関係しているのではないかと考えております。今や僕の中での英語の立ち位置は日常生活の一部に該当します。英語ができなければ日常生活に支障をきたしてしまいます。その状況下では英語はできるorできないで判断するのではなくできるorできないけどやるで判断しています。いわゆる「何とかしてやるしかない」の状態です笑。したがって、いかに英語の立ち位置を日常生活に寄せるかが習得のカギになると感じました。

ちなみに、僕は去年の9月までは英語の立ち位置が日常生活の外にありました。そのため、もちろん英語力なんてあったものじゃありませんでした。学生時代において一番英語力が高い状態だと言われている大学1年生初期に受けたTOEICが確か300点台だった気がします(汗)。ただ、英語の立ち位置を日常生活の内側にしただけで、最初はテキストベースでもコミュニケーションがとれないことも多かったですが、現在では少しづつですが改善出来てきていると実感しております。

まとめ

ということで、あくまで僕の持論ではありますが英語の立ち位置を日常生活の内側にすることが英語を使えるようにすることに繋がるのではないでしょうか。少なくとも、僕は内側にしたことで英語が使えるようになった自分をちょっとイメージできました。先ほどの2つの方法だけではなく、面白い英語圏のYoutuberを見つけてその人の動画を毎日見るとかでもいいと思います。是非、自分に合った方法を見つけてみてはいかがでしょうか?

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