見出し画像

僕らの体は砂糖で出来てる~他者へのケアと自分へのケア~

諸事情によりアメリカとカナダに7年住んでいたことがある。その間、日本の実母からは「そちらは雨のようだから、仕事に行くときは傘を忘れずに持っていきなさい」といったような、天気を心配する連絡が少なからずあった。

わざわざ日本からアメリカやカナダの天気予報を見て心配してくれなくても大丈夫なのにと、心配をかけて申し訳ないような気持ちもありつつ、一人前の大人であるにも関わらずいつまでも子供扱いされていることに少々おもはゆいように感じつつ、傘をもっていきなさいという母親の言葉を複雑な気持ちで聞いたものだった。

その話をずいぶんたってからアメリカに住むフランス人の友人にしたところ、「もう50歳にもなる僕に、今日は雨だろうから傘を持っていけってフランスからママンが電話してくるんだよね」とニヤリと笑った。

「どうやら僕のママンは僕の体は砂糖で出来ていると思っているみたいなんだ」

茶目っ気たっぷりにそういう彼に、彼の母親に対する彼の深い愛を見てほほえましく思うと共に、母が子を思う気持ちは万国共通なのだと改めて感じた。そういう自分も成人した息子に今日は雨が降るから傘を持っていけと朝から騒ぎ、あきらかに「煩いな」という顔で傘を受けとる息子を見て、アメリカやカナダまで連絡してきた自分の母親の気持ちを改めて悟るのであった。

息子には濡れて風邪を引いてはいけないから傘を持っていけ、というのに、自分は少々の雨なら濡れてもいいやと雨の中を傘もささずに歩くことが多い。他人については一滴でも雨がかかり濡れることが超絶心配なのに、自分が濡れることにはほぼ無頓着なのは何故だろう。他人を心配するほどに自分のことを心配しないのはどうしてだろう。

克己とか、石の上にも三年とか、自分に負けちゃいけないような格言や諺で自分自身を真面目な人ほど追い込んでしまう。もちろん、自分を追い込んで追い込んで苦しんだ先に成長がある。でも追い込んだ先に自滅してしまう人もいる。そういう人にはどうか、本当は私たちの体は砂糖で出来ていて、濡れすぎると融けちゃうのだということを是非覚えておいてほしいと願っている。

京都大学大学院医学研究科「医学領域」産学連携推進機構
鈴木 忍

【医療系人材育成のためのクラウドファンディングを実施中です】
https://academia.securite.jp/donation/detail?c_id=18

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?