「それ意味あるの」と出鼻をくじかれ続けた自分が思う努力を続ける価値について
そんなことをしても意味がない
これはわたしが子どもの頃から何度も聞かされた言葉です。
将棋をしてみたいと思ったとき、祖父から遅すぎると言われました。
当時10歳くらいだったと思うのですが、たかが将棋を始めるのに遅すぎるとはどういうことか理解できませんでした。
きっと、祖父はわたしが棋士になりたいと言っていると勘違いしたのでしょう。わたしはただゲームとして将棋がしたかっただけなのにです。
将棋だけではなくて、ギターやプログラミング、絵画や写真など、さまざまなことに関心がありましたが、そのすべてに取り組む機会すらありませんでした。
大人になってからも「意味はないのに・・・」という人は現れ続けます。
例えば「中国語」です。
最初から、自分には語学のセンスがないことはわかっていました。
そもそもわたしは中国語のピンインの違いを聞き取れませんでした。今でも n ngなどはハッキリわかりません。
当然のことですが、聞き分けられない音を区別して発声することなどできません。それで、今でも不明瞭な中国語を話すことになります。
そんなわたしに「中国語なんて勉強してもしかたない」と言う人、今でもいます。
また同じトーンで「中国で暮らすなんて意味がない」とアドバイスしてくれる人もいます。
でも、本当に意味がないのでしょうか?
美しい中国語を話せない人が話す中国語に言語としての意味はないのでしょうか。わたしはそうは思えません。
わたしだって、明瞭で美しい中国語を話したいと思ってます。でも、できないのです。
しかし、中国人と冗談を言い合い、ビールを飲みながら泣いたり笑ったりできます。中国語のアナウンサーになれなくても、別に構わないんじゃないと思います。
中国で暮らしていて、確かに老後の備えなんてありません。また、ここでの暮らしが経済的なメリットに結びついているという感覚もありません。
でも、だからといって今の暮らしに意味がないと思いません。何がどこでどう影響するのかなんて神のみぞ知る世界なのです。
大事なのは、試してみたいと思ってはじめたことを続けられていることです。結果は、どうなるかなんて誰にもわからないのです。
最近、コスパとかタイパという言葉の意味がどんどん強くなっているように感じます。
効率やリターンを追求することは良いことです。
しかし、効率やリターンが生きる目的になるのは味気ないと思います。
人生はそんなに薄っぺらくありませんし、成功の尺度も非常に豊富で人それぞれなのです。
最近、Xで元気づけられるポストをみました。
最強の自分は「今の自分」と言えるように。そして、まだ伸びしろ残してるぞと信じて努力することって素敵です。
キングギドラが何か・・・ちょっとわかりかねますが(白目
そんなわけで、家族や友人、学生が何かに関心を持ちはじめようとするときには「それ、面白そうだね。経過を教えてね」と言えるオッサンになりたいモノです。
そして、自分に対しても「遅すぎることはない。今すぐやれ」と言えるようにしたいなと思いました。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日!
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