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中国人Mさんとワールドカップの放映を見ながらおしゃべりしたこと。

昨日の夜、突然中国人友人、Mさんからビール飲まないかと誘われました。

すでに妻氏と一緒にステーキとロシアのビールもいただいたあとだったので、お腹もいっぱいだったのですが、可能なときはいつでも友人からの誘いには応じるようにしていますので、すぐに出かけました。

Mさんは、一緒にワールドカップを見ようと言います。サッカーを見るのは大好きですし、好きなオランダ戦。開始時間が中国時間で夜11時なのは気になりましたが、一緒にビールを飲みながらサッカー観戦をすることに。

試合が始まり、Mさんがぽつりと「これは生中継なんだけど、きっと数秒遅れで放映されているはずだ。それにワールドカップの醍醐味は、選手のパフォーマンスだけではなく、会場の雰囲気を楽しむことなのに、どうして観客席を放映しないんだ」と言います。

わたしはマスクをせずに、大勢の人が試合を楽しむ様子を中国人に見せたくないのだろうと言いかけましたが、彼の悲しみを煽るようなことをいうのはやめて、ただ「そうだね」と言いました。

するとMさんは「マスクをせずに世界の人が暮らせているということを、自分たちが知らないとでも思っているのか」と言いだしました。わたしは「マスクなしで試合を観戦する人々をみて、腹を立てたりする人がいるのでしょうか」と聞くと、「教育レベルにもよるけど、ワールドカップの観客の状況を根拠にマスクは要らないと言いだす人がいると思う」と言います。

それで、そうかもねと応えつつ、でも、わたしたちも屋外でテレビでサッカーを見ながら、ノーマスクでビール飲んでるし・・・外国の人がどうであれば、自分たちも自分たちで決めてよい範囲でどうするか決定しているよねと言うと、Mさんもそうだねと笑ってました。

Mさんは出張で、中国の各地を行ったりきたりする人です。コロナに関連する隔離政策に巻き込まれたり、ホテルから拒否られたりしてストレスも溜めってるのでしょう。せめて4年に1度のワールカップくらい、思う存分楽しませてくれよというのも本音なのでしょう。

最近の note で取り上げた最近の出来事を振り返ってみると、人々の忍耐力・許容力も限界に来ているように感じます。

当然、わたしも疲れを感じています。この疲れの原因って、なにか特定の大きな出来事ではなくて、小さなことが蓄積されることで深刻化しているんだなって感じます。

そして、大きな出来事が引き金になり、こらえていたものが爆発してしまうのでしょう。今、大勢の人が後先考えずに行動しています。そういった現象の本当の理由が、どこにあるのか考えてみるべきだと思います。

昨日、わたしはMさんに、今の状況は靴の中に小石が入っていて、不愉快だし痛いんだけど、お上から靴を脱いではいけない。歩き続けろって言われているみたいだよねと言うと、その通りだと笑ってました。

耐えられないほどの苦痛ではない。でも痛い。そして、どうすれば痛みを取り除けるかもわかっている。でも、行動することは許されない状況に気分が害されている。その不愉快さは、もしかすると痛みよりも深刻なのかもしれない。

そんなことを考えてました。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

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