中国人ボスに「わたしを信じて」と言われて、いや無理ですと思った話
昨日、突然経営者から呼び止められました。
社会保険の説明をしたいと言います。
そして「診療所なら社会保険が使えるから心配しないで」って言います。
この時点で嫌な予感がしました。
社会保険なんて、すでに入ってますし保険料だって支払っています。さらに経営者は8割は会社負担だからと恩着せがましい態度をとります。
きっと、この後に面倒くさい話をするのだろうなと思っていたら、予想通りでした。
突然、わたしに毎週35時間以上、授業できる体制を作れと言います。
以前に説明したこともありますが、弊社は教師が授業できる時間をカレンダーに登録します。そして学生がカレンダーを見て教師を選ぶシステムです。
このカレンダーに登録する時間を35時間以上にして欲しいと経営者は言いだします。
ちなみに、わたしは40時間登録しています。
つまり、すでに35時間どころか、40時間も授業できますよと言う状況を作っているのです。
ですから、前述の経営者の命令は見当外れです。しかも、わたしの業務実態を理解していないってことにもなります。
さっさと帰宅して、ネコ様のお世話をしたかったのに呼び止められて、恩着せがましい話を聞かされた後、見当外れの命令を受けたわたしは、正直「イラついて」ました。
それで、カレンダーを開くように経営者に言い、毎週35−40時間登録していること。それなのに、会社はわたしに仕事を提供できず、先週は1時間しか授業をしていないことを伝えます。
人に仕事できる状況を作れという前に、仕事を提供できないことについて、どのようにお考えなのかと質問しました。
さらに、わたしの中国生活にどれだけのコストがかかるのか想像したことがあるかと質問しました。
経営者は「すいません」と言うので、謝罪はいらない、従業員の生活とか言ってるけど、真剣に考えたことがあるのか聞きたいと質問しました。
すると、皆さんのことを考えてるので社会保険の説明をしたと言うので、わたしが望むのは安定した収入ですと言うと「わたしを信じて」と言います。
それで、信じるには根拠がいるんですと返事しました。
そして、このままですと暮らせないので転職します。その時は1か月前にお伝えしますと話しました。
さて「わたしを信じて」という言葉について思うことがあります。
考えてみると、自分の人生において「わたしを信じて」と言ったことがないように思います。
もちろん信用してもらいたいと思うことはあります。でも、信じてほしいと懇願した記憶がありません。
また、逆に「信じてますよ」と面と向かって言われた記憶もありません
もちろん、仕事をおこなう上で、重大でタスクを任された経験があります。
その時には「信頼されているんだな」という感覚はありましたし、恐らく上司も「任せたよ」と言ったと思います。
そして、その信頼関係は根拠に基づくものだったと思います。
長年、一緒に仕事をしてきて成し遂げてきたものがあるので、任せられると思うのでしょうし、信頼に応えたいという気持ちに自然になるのでしょう。
でも、昨日弊社の経営者に「わたしを信じて」と言われたとき、あなたの何を信じれば良いのかわからないと思いました。
さて、今後どうなるのでしょう。
わかりません。
ただ、自分にもできることがあります。それは、自分の業務に対して誠実であること。そして品質を上げることです。
日本語教師の仕事は、職人の仕事と似ています。
それで、教えるための腕を磨くと同時に、魅力的な授業を展開できるように励みたいと思っています。
その上で、自分を信じれる、そして信じたいと思う人と協力関係を築けるように前に進むつもりです。
気を確かに持って、今日も前に進みます。
いつも最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日〜