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ロシア・ウクライナの豊かさにびっくり 〜ダーチャ最強説〜

くまたねでは2024年度、食料安全保障に関する連続企画を開催予定です。
その1回目となる、題して「ロシアの台所から見た食料事情」という学習会を4月に実施しました。

とにかく食料に関して、どれだけロシアとウクライナが豊かかということを聞いてびっくり!また“農園付き別荘”とも訳される「ダーチャ」の存在の大きさも、改めて認識することになりました。
そして現在も続く戦争に関して、「ロシアとウクライナの間にはそんな事情があったのか…」と、もちろん全ての情報を把握したわけではありませんが、大きな大陸の国同士の事情について、思いを巡らせる機会をいただきました。“国境は動くもの”という言葉に、島国日本との認識の違いにも気付かされます。



熊本屈指のロシア通・馬場朝子さん

今回話題提供者として、ロシアについてお話くださったのは、著書執筆のほか長年テレビ番組制作にも携わってこられた馬場朝子さん。

●馬場朝子(ばばともこ)さんプロフィール
くまもとのタネと食を守る会 会員
1951年熊本生まれ。1970年よりモスクワ国立大学文学部に6年間留学。
帰国後、NHKに入局、ディレクターとして40本以上の番組を制作。
【著書】『俳句が伝える戦時下のウクライナ』『俳句が伝える戦時下のロシア』『ロシアのなかのソ連:さびしい大国、人と暮らしと戦争と』『タルコフスキー 若き日、亡命、そして死』、『低線量汚染地域からの報告 チェルノブイリ26年後の健康被害』他。
【馬場さんが制作してきた主な番組】
「ソビエト市民の静かな革命 ラトビア人民戦線 独立への息吹き」(ETV8)、「私は臆病者―プラハ侵攻に反対した赤の広場の8人」(ハイビジョンスペシャル)、「過ぎし時への悲歌―映画監督ソクーロフの世界」他多数

まずこんな身近にこんな方がいたのかという、そこからびっくりな我々。
ロシア滞在の経験もあり、ご友人も多くいらっしゃるので、現地に暮らす「ふつう」の人々の様子についてもお話しくださいました。
目の前にいる人の「友人の話」として聞くと、急に現実味を帯びてくるというか、戦争中の大国にも、実際そこには大勢の庶民の暮らしがあり、ずっと、今日も、日々続いているんだ、と当たり前のことながら、ハッとする思いでした。

戦時下でも、豊富な食料を豊かな大地で育むロシア

戦争が長引くロシアで、人びとは大丈夫なのか、飢えていないのだろうか?という疑問に対しては、馬場さんから「それは大丈夫!」とはっきりとしたお答え。
世論調査の結果を見ても西側諸国からの制裁の被害はさほど無く、馬場さんのご友人も「生活に不自由はない」とのこと。特に食料に関しては問題なく過ごしているそうです。
そもそも “撒けば実る”レベルの豊かな土地、しかも広大。ロシア・ウクライナともに穀物等は世界における主要輸出国であり、ロシア国内での生産量は順調な様子です。
他国では輸入経路の関係などで被害があり(アフリカでは穀物輸入が滞ってしまっているらしい)、もちろん日本でも、何もかも値上げで身近に影響を感じる一方で、穀物メジャーと呼ばれる大手国際商社ではこの戦争開始後、利益が65%増加したともいわれているそうです。

※写真はイメージです

話をロシアに戻すと、どうして戦時下でも食に関して困ることなく生活できているのか、その背景について教えていただきました。
まず第一には、革命や世界大戦、ソ連崩壊などいくつもの過酷な出来事を経験してきた国の、国策によるもの、とのこと。
ここ数十年の歴史をみると、いつどこで何をどれだけ生産するか全てクレムリンで決定、収穫期には軍隊や学生を動員していたソ連時代(コルホーズ、ソフホーズといった集団農場や国営農場については世界史の授業で習ったような気もする)があり、その後ソ連崩壊。90年代は暗黒の時代と呼ばれるほど産業が落ち込んだものの、2000年代プーチン政権下で状況は改善に向かうことに。2014年にはクリミア侵攻で制裁を受けたのをきっかけに農業振興を改めて国策として打ち出し、ここ10年は食料の生産も輸出も増加傾向にあるとのこと。
ただし、タネに関してはE Uからの輸入が多く(この戦争中にも輸出禁止措置は取られていない)、今後はタネについても国内生産増量へと舵を切るそう。

最大の食料安全保障、それは国民一人ひとりの暮らし方

※写真はイメージです

国家レベルだけでなく、国民一人ひとりが食べ物を作ることへの関心・意識が高いことも大きいと、馬場さんは続けます。
ロシア人の多く(お金持ちだけでなくごく一般の人びとも)は、郊外に「ダーチャ」と呼ばれる農園付き別荘を所有しており、週末や夏休みにはそこで野菜を栽培したり大工仕事をしたりと、自然の中での暮らしを営んでいます。近年では若い世代には敬遠されがちだったものの、この戦争を機にダーチャの暮らしは見直されてきているそう。馬場さんもロシア滞在時には友人から大きな袋に詰めた旬の野菜をお裾分けしてもらっていたのだとか。冬場は寒く野菜が不足してくるものの、夏場にたくさんのピクルスを仕込んでおくことで賄っており、ダーチャの地下室には何十個ものピクルス瓶が並んでいるそうです。
都市部にも自然が多く、ダーチャのある暮らしが根付くロシアでは、自分の食べ物は自分でつくるという意識が強く、食料不足とは無縁なようです。
ちなみにウクライナでも同様にダーチャのある暮らしが根付いており、豊かな土壌により食料の心配はないとのこと。
戦争はじめ、危機が訪れたとしても食べ物や暮らしを自分の手でつくり、耐えていける。そんな力のある人びとが多くいるというのは、日本とは全く異なっているように思えます。もちろん、情勢的に安定しているのは日本の方ですが、安定していないからこそ、食べ物を確保することがいかに大変で重要なことかを体感し、実践し続けているのかなと感じました。そしてそのこと自体が、最大の食料安全保障にほかならないのだろうと思わされました。

●ダーチャとは
ロシア・旧ソ連圏で一般的な菜園付きセカンドハウス。
都会のひとが週末や長期休暇を利用して気軽に行き来しており、平日は街で働き、週末はダーチャで過ごすというのが一般的。週末には郊外へ向かう“ダーチャ渋滞”も発生するとか。
お金持ちしか持てない別荘ではなく、ごく一般の生活者が取得できるもので、建物から自分たちでつくることも多くあるという。

Wikipediaによると「現在のような大衆的ダーチャは第二次世界大戦中から大戦後の食糧不足の対策として、市民に対し土地を与えるように州政府や国に要求する運動が起こり、1960年代にフルシチョフ政権が一家族に最低600ソートック(平米)の土地を与えるよう法制化したもの」とのこと。

※写真はイメージです

現在の戦争のきっかけって何だったの?

ところでやはり気になるのは現在も続くウクライナとの紛争。どうしてこのような事態になってしまったのか。その経緯について、馬場さんからの解説は以下のようなものでした。

  • 旧ソ連時代、各国の境は県境のような感覚。旧ソ連が解体された後も各国にロシア人がたくさん残った。

  • 当然ウクライナでも現在に至るまで多数のロシア人が生活しており、割合は全体の17%程度。特に東側(ロシアに近い方)は割合が高く親ロシア的。対して西側はヨーロッパ寄り。

  • 2014年、今回の戦争の始まりとも言えるような出来事が起こる。ウクライナの首都・キーウで、市民100人が犠牲になるマイダン革命(尊厳の革命とも呼ばれる)だ。

  • 革命後、東部の一部地域は独立国を名乗り、ウクライナ政府軍と銃撃戦を繰り広げることに。それが8年続き、1万4千人が亡くなった。

  • その後ウクライナではゼレンスキー政権が発足。ロシア・プーチン政権とうまくいくことはなく、対ロ強硬路線へ。

  • ロシアとしては、ウクライナで生活するロシア人を守らねばという思いがある中、ウクライナのNATO加盟の動きが加速し、西側諸国の脅威が迫る形となった。これまでの歴史的経験からの恐怖感もあり、侵攻を開始。

30年と少し前まで、ソ連という一つの国だった両国。ヨーロッパなども含め大陸諸国では、国境は“動くもの”だという認識に、島国である日本に生きる私たちはピンとこないかもしれません。
それでも、何事もまずは知ることから始まるのだと思います。全てを把握することは不可能だとしても、情報を集めて思いを巡らせてみることで、見えてくるものがあったり、自分たちの立ち位置がわかったりするのではないでしょうか。

まとめ

正直、ロシア(とウクライナ)のことについて、私は全然知識がなかったし、今回のお話は目からウロコの連続。豊かな大地で一般市民含めてみんなで作物を育て自給できる状況にあるのは、本当に豊かなことと思う一方、だからこそ戦争の長期化に耐えられてしまうという側面もあるのかもしれません。
馬場さんのお話は、書籍から引用したデータや地図、グラフなどの資料も用意してくださっていて、とてもわかりやすいものでした。そして何より、ご自身のロシア滞在中のご経験やロシアのご友人の言葉など、具体的で臨場感あるお話のおかげで、ロシアまでの心理的距離はぐっと縮まったように感じます。

これまでの歴史的経緯や、長引いてしまっている今回の戦争。過酷で不安定だからこそ、まず自分たちの食べ物を確保し続けるということを一般市民レベルで実現していて、食べ物との向き合い方が根本的に違うように感じました。
対して私たちは、いかに日本で安定した暮らしを送れているかも実感することになり、安定しているからこその意識しか、食べ物に対して持てていないと思わされました。かといって情勢が不安定になるのは嫌です。安定しているうちに、できることをやっておかないといけない。そんな危機感、焦燥感のようなものも感じざるを得ませんでした。

「知らないことがいっぱいある」、「平和が一番」、「食べ物がないと生きていけない」、そんな当たり前のことも、目の前の忙しさにかまけて普段は薄れてしまっているように思います。日常をいかに守れるか、そのためにまずは“知ること”から、普段の暮らしの中で少しずつでも、取り入れていきたいものです。

文:FUMI


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