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違和感を感じる言葉

僕が違和感を感じる言葉の話。
多くの人が当たり前のようにしているが、耳にする度に「それさぁ…」と思ってしまう言葉がある。本人はそんなつもりはないかもしれなんだろうが、話していて気になってしまい、ツッコミが喉まで出てきてしまう。

「そんなこと気にするなよ」と思われるかもだ、気なって仕方ないので記事のネタにしてみた。主に4つある。

①出会いがないからな…
彼氏や彼女がほしいがいない人系がよくする言葉。僕はこんなことを言っている人は大した魅力ないと思っている。出会いさえあれば、自分に彼女や彼氏ができるとでも思っているのだろうか?本人にも選ぶ権利はあると同時に、選ばれる側でもある。言っている人は完全に自分が選ばれる立場でもあることを忘れている。

なので、選ばれるような自分磨きもほとんどしていない。仮に出会いがあったとしても磨いていないのであれば選ばれるはずがない。それに、出会いは何もしない人にはやってこない。自分磨きをやって行動をしている人にしか出会いはこない。まずは出会いがない人は自分が魅力不足がという自覚をもつこと。

②なんで、あの人と同じ給料なの?
必ずと言っていいほど、こんな文句を言うが職場にいる。だけど、こんなことを言う人って、尊敬できるほど仕事ができるかと言うと、そんなことはない。少なくとも僕は遭遇したことない。

そもそもサラリーマン社会はそういう世界。それに上には仕事できる人がたくさんいて、上のからすると文句を言っている人も下に見られて比較される立場。
「なんで、あの人と同じ給料なの?」という文句は世界の文句中でも幼稚の極み。自分が言うことではなく、周りに気づかせるもの。それができたら存在価値が認められ、給料は上がる。そんなこと言う余裕があれば、自分に集中すること。

自分の方が仕事できるということ認識させようとしているのだろうが、本当に仕事ができいている人は絶対にこんなことは言わない。

③前も言ったよね?
人に完璧を求めすぎで完璧主義もいいところ。一回ぐらいで理解できてこなせるほど人間はできてない。それに言っている人も、これまで同じこと繰り返し言われてきた人がほとんどこれまで自分が言われてきたことを忘れて、言われてきたこと言える気持ちよさに浸っているだけ。

人は何度も繰り返し行うことで脳に擦り込まれて定着する。それまではたくさん失敗するもの。なので、人に教える側は根気よく言い続けないといけない。なのに、一回できないと「あいつは駄目だ…」と言う。自分の過去を棚に上げて、よく言うなぁと思ってしまう。

④時と場合による
意見や考えを教えてほしくて相談すると、「時と場合による」と言う返答を人がいる。ヒドイ時は二択の選択肢を与えても同じように言われる場合があり、相談して時間と体力を損した気分になる。「そんなことぐらいわかっている」という気持ちになり腹が立つ。

時と場合による」とか言い出ししたら終わってしまう。これはとてもではないが、意見や考えを言った内に入らない。何も答えていないのと同じ。聞きたいのは、「それでも〇〇だと思う」「僕だったら〇〇にする」「一概に言えないが〇〇」ここの〇〇を聞きたいわけ。

自分の意見が否定されたり、違ったりすると恥をかいたりするから、保険をかけているのかもしれないが、何を言おうが絶対はない。だったらハッキリとポジョンをとって言ってほしい。

⑤頑張れ
いい加減にもほどがある。どんなつもりで言っているのだろうか?語彙力がないと思われても仕方ない。「頑張れ」という言葉は妙に斜め上からで、とりあえず言っておけ感をしかない言葉。応援していることを伝える時によく使われるが、本当に応援する気があるのか?と疑ってしまう。

言われる人は、頑張らないといけないことぐらいはわかっており、どのようにどう頑張れはいいか模索の状況だったりする。また、できる限り頑張っている場合もある。そもそもやる気すらない人も中にはいる。

頑張れという言葉は抽象的過ぎて、中身も何もない。応援したり変わってほしいのであればもう少し具体的に絞った言葉を使わないと相手に伝わらない。

僕は、この言葉を使わないようにしている。使っているはそんなつもりはなく、何となく使っていることがほとんど。使っている言葉だけで嫌いになることはないが、その人を好むことはない。

また思いついたり、感じたりしたら記事のネタにしてみるか。
何気ない言葉の選択で、人は人を選んでいる。僕も何気なく使っている言葉が違和感与えて苦手にさせてしまっていたりするかも。もっと考えて言葉を使わなければ。




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