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旅する日記⑦広島県尾道市のカレーと酔っ払い

 二週間に及ぶ京都での旅を終えたわたしは、新幹線で広島県へ移動した。向かうは瀬戸内海に面した街、尾道。
 尾道にもADDressの拠点がひとつある。会員屈指の人気拠点と聞き、一度訪れたいと思っていたのだ。
 重いバックパックを背負ってなんとか尾道拠点に辿り着くと、カレーの匂いとともにマリコさんが出迎えてくれた。小田原で会って以来二週間ぶりの再会だ。わたしたちは思わずハグをした。 

 普段は基本的に一人で旅をしているのだけれど、尾道の旅ではマリコさんがわたしの相棒だ。彼女も尾道に行ってみたいと言っていたので、一緒に泊まることにしたのだった。
 マリコさんお手製のカレーを食べながら、わたしたちは会わずにいた二週間のことを話した。彼女の旅のこと、わたしの旅のこと。話の種は尽きることがなく、つい夜更かししてしまう。

 マリコさんはわたしより少しだけ年上の、美しい人だ。いろんなことを勉強しているので話していてとても楽しい。
 たとえば、「こうしないといけないのに、できないでいる」ということを話すと、「そもそも、本当にそうしないといけないの?」という問いかけが彼女からは返ってくる。「『しないといけない』じゃなくて『したい』ことは何なの?」という問いかけも。
 いらない先入観や思い込みを外して、自分でも気づいていない本当の望みを引き出してくれる。彼女と出会ってから、わたしは生きるのがとても楽になった。
 そして、生きることが楽しくなった。
 わたしも誰かのそういう存在になりたいと思う。

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 翌朝、尾道邸で目覚めたわたしたちは、リビングの窓の外に広がる光景に思わず目を瞠った。目の前に、本当に拠点のすぐ目の前に穏やかな瀬戸内海が広がっている。
 到着したときはすでに日が暮れていたから気づかなかったけれど、わたしたちはとても美しい場所にいたのだ。

「わたしたち、こんなきれいなところにいていいのかな……」

 思わずそんなことを言ってしまうほどだった。瀬戸内海と、そしてそれを一望できるリビングがあんまり素敵なので、なんだか自分にふさわしくない感じさえしてくるのだ。

「まーちゃん(わたしはマリコさんをこう呼ぶ)、わたし大したえらいこともしてないのにこんな素敵な場所に泊まっていいのかなあ? こんないい思いしてていいのかなあ?」
「えっ?」
「こんないい思いばっかりしてたら、なんかそのうちバチがあたりそうな気がする……。そうだ、生まれ変わったらきっとアリとかミジンコとかになっちゃうんだよ……!」

 そんなアホみたいなことを言った覚えがある。
 おろおろしているわたしに、マリコさんはこんなことを言った。
 
「人はみんなしあわせになるために、楽しむために生まれてきたんだよ。わたしもそうだし、あなたもそう」
「そ、そうなの……?」
「そうだよー。だから、自分がしあわせになることに対して罪悪感を持ったり、不安になったりしなくていいんだよ。しあわせになることが使命なんだから!」

 マリコさんのきれいな目が窓の外に広がる海を見つめる。わたしもつられて、海を眺める。
 そうしていると、なんだか四年前に死んだ母のことを思い出した。

 地元で居場所を見つけられずにいたわたしに、母は「これからは好きなところに行って、好きなことをやりなさい」と言った。末期癌の患者が入院するホスピスでのできごとだ。
 自分が本当に好きなこと……物語を書くことを仕事にすると決めたのは、間違いなく母のその言葉がきっかけだった。
 努力が実ったのか、それとも運がよかったのか、母が亡くなってから一年ほど経ったころに東京のゲーム会社にシナリオライターとして拾ってもらうことができた。だからなんとなく、母の死を境に人生が一気に開けた感じがしている。わたしがいま恵まれているのは、好きな仕事をして好きな生活ができているのは、一番大切な人である母親の死という大きな代償があったからのような感じがしてならなかった。
 だから、しあわせを感じると同時に不安にもなる。大きなしあわせがあると、そのあとにまた、大きな不幸も味わわないといけないような感じがしてしまう。

(でも、もしかしたら……そうじゃないのかもしれない)

 マリコさんの言葉を聞いてそう思う。もちろん、未来のことはわからない。長く生きていたら、また悲しいできごとには遭遇すると思う。でも、そのときのことを考えて不安になり、この目の前のきれいな光景を濁らせてしまうのは、確かにあまり賢いことではない気がした。
 
 マリコさんはこんなことも言った。

「『不幸なこと』っていうのは、あくまでその人の主観でしょ。どんなできごとも、自分を成長させてくれるのには違いないから、ぜんぶ『いいこと』って思ってればいいんだよ。そうしたら、不幸なことなんて何もないから」
「なるほど……」

 確かに、母の死はものすごく悲しかったけれど、それを経験したことで成長できた部分も少なからずある。健康な体を持っていることがどれほど幸福かわかったし、人生に限りがあることも実感できたから自分らしい生き方を追求しようという意識が芽生えた。シナリオや小説を書くときも、登場人物の心の傷とか孤独だとかをより深く掘り下げて考えるようになったから、読み手の感情に訴えるような書き方ができるようになったと思う。

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 そんな話をしていたら、尾道邸の家守さんがお掃除に来た。ADDressの中では割とめずらしい、姉妹の家守さんだ。
 お姉さんは他の会員さんから「朝ドラのヒロインみたい」と言われるほどの天真爛漫で、妹さんはてきぱきしていてイラストが上手。彼女の描いたイラストはいたるところに添えられていて、この尾道邸の個性を作り出している。話したのは短い時間だったけれど、とても素敵な人たちだった。この尾道邸がADDress会員の中で人気が高い理由は、景色の美しさだけではなく、この二人の人柄も大きいと思う。

「ここを訪れる人には、尾道の魅力を知ってほしいと思ってるんです。それに移住者も増やしたい。この街が好きだから」

 いきいきした瞳でそう語るのはお姉さんだ。彼女はその言葉の通り、尾道の魅力をたくさん伝えてくれた。わたしたちが尾道邸を出発したあとも、尾道のオススメスポットをメールでたくさん送ってくれたのだ。「尾道邸の家守さんは気づかいが徹底している」と噂に聞いてはいたけれど、拠点を出たあとも気にかけてくれるとは思わなかった。わたしとマリコさんは「なんていい人たちなんだ……」と頷き合いながら家守さんのメールを読んだ。

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 商店街をふらふらしたり美術館に行ったり尾道の街を満喫したあと、さっそく家守姉妹のおすすめの店である「遊膳」さんに行ってみた。家守さんは「はじめてだと少し入りにくいかも」と言っていたけれど、なるほど他のお客さんとの距離が近い。店内の雰囲気がどことなくスナックっぽいのだ。けれど、出てくる料理はどれもものすごくおいしいから侮れない。地魚のお刺身もだし巻き卵も絶品だ。何より、観光客ではなく地元の方のお気に入りというところがいい。家族連れのお客さんと一緒にカラオケを歌ってはしゃぎ、カウンターで隣になったご婦人に人生相談に乗ってもらった。愛媛の佐島から来ているというお兄さんには佐島にある素敵なゲストハウスを教えてもらい、次の目的地も見つかった。

 楽しい、おいしい思いをたくさんさせてもらい、わたしとマリコさんはしあわせな気持ちで店を出た。駅に向かう道すがら、お酒に強いマリコさんがめずらしく酔ってふわふわになっていた。ものすごくしっかり者な彼女だけど、酔うとごくたまにふわふわ楽しそうな感じになる。わたしはそういうときの彼女がすごく好きだ。なんだか無性にかわいがりたくなって、バッグを持ってあげたり、階段を降りるときに手を繋いであげたりする。彼女は「なんだか彼氏みたい~」と言って笑っていた。そうするとわたしは「マリコのためなら俺はなんでもするぜ」とかいうふざけた返しをする。

 すっかり静かになった夜の商店街を歩きながら、わたしは尾道で出会った人たちのことを思い返した。人とあまりふれ合わなかった旅というのは、そんなに記憶に残らなかったりする。旅の思い出を振り返るとき、頭に浮かぶのはやっぱりそこで会った人たちのことだ。
 わたしが尾道にいたのはほんの二日くらいだけれど、きっと何年か経ってもこの旅のことを思い返す気がする。それくらい、尾道でのひとときは楽しかった。思い出を彩ってくれているのは、この街で出会った人たちだ。その一人一人がしあわせでいてくれたらいいと思う。今こうして、ふわふわした足取りで歩いているわたしたちのように。

 このあとは福山のホテルに泊まる予定だ。わたしとマリコさんは示し合わせたわけではないのに同じホテルを予約していたと知り、思わず吹き出してしまった。

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尾道の旅のおとも:
「からさわ」の抹茶アイスもなかと「丸ぼし」の尾道ラーメン


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