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毎日連載する小説「青のかなた」 第78回

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「その頃から絵が好きだったんだね」
「うん。八歳のときにね、父が東京に連れていってくれることになったの。那覇空港で、母が『ひーちゃん、いってらっしゃい』って抱きしめてくれたのを覚えてる。東京の父の実家に着くと祖父母が迎えてくれた。二人にはたまにしか会えなかったから、すごく嬉しくて、私、何日もはしゃいでた。でもなぜか、いつまで経っても沖縄に帰る流れにならなくて。父に『お母さんは?』って聞いたら、『もう会えないよ』って。あとになって知ったんだけど、両親は離婚して、私は父に引き取られることになったんだって」
「そう」
「東京で通うことになった小学校では、同じクラスの子たちにいじめられた。きっかけは肌の色が黒いこととか、方言だと思うけど、一番の原因は私がそこに馴染もうとしてなかったからだと思う。名護と東京はあまりに違ってた。人がぎゅうぎゅう詰めの電車とか、茶色くて濁った海とか、街全体がごちゃごちゃしていて、すごく怖かったの。ずっと『名護に帰りたい』って思ってた。『ここは私のいる場所じゃない』って。なんとか耐えられたのは、祖父母がいてくれたからだと思う」
「いいおばあちゃんとおじいちゃんなんだね」
「うん。二人のことは大好き。でも、やっぱり沖縄にいる母のことが頭にあって。高校生のときにおじいちゃんが亡くなると、さみしくて……それまでよりももっと、母のことを考えるようになった。記憶の中にある母の笑顔を、いつもスケッチブックに描いたりしてた」
「お母さんに会いたいって思ったの?」
「うん」

 光は頷いた。

「私の通った高校、修学旅行先が沖縄だったの。名護のホテルにも泊まる予定だって知って、私、父の箪笥を探って母の住所がわかるものを探した。母は再婚したみたいで名字が変わってたけど、まだ名護にいたんだ。修学旅行で名護に行ったとき、本当は本部町の水族館に行くことになってたんだけど、私はお腹が痛いって嘘ついて、ホテルに残った。それで先生の目を盗んでホテルを抜け出したの。名護の街は昔と少し変わってたけど、ふしぎと土地勘みたいなものが残ってて、迷わないで母の家まで行けた。それで、玄関のチャイムを押したらね、女の子が出てきたの」
「女の子?」
「うん。まだ幼稚園くらいの女の子。その子、私を見ると『だあれ?』って首を傾げたの。どうしようって思ってたら、『ゆうちゃん、どなた?』って声がして、玄関に女の人が出てきた。私の母だった。母は、私が誰なのかすぐわかったみたい。すぐに女の子を家の中に帰して、私と二人きりになった。私、母に会えたのが嬉しくて、こう、足を一歩前に進めて、母に近づいたのね。そうしたら……」

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