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全国住み放題サービス「ADDress」を1年使ったらこうなった〜ADDress卒業レポート〜

こんにちは。はじめての方は、はじめまして。ライターの神代(くましろ)と申します。
生口島以来、「旅する日記」をまったく更新しなくなってすみません。

更新しなくなったことで、ADDress生活をやめてしまったかとお思いの方もいらっしゃると思うのですが、実はやめたわけではなく、

きっちり1年間、ADDress生活を満喫しました!!

生口島のあとに滞在した場所は、だいたいこんな感じ。
大洗(茨城)
三崎(神奈川)
藤沢(神奈川)
蒲原(静岡)
用宗(静岡)
上野
また京都
奈良
大阪
逗子
大洗(2回目)
いわき
湯本温泉
古淵(神奈川)
名古屋
また大阪
岩美(鳥取)
奉還町(岡山)
尾道(2回目)
金沢
長野
軽井沢
みなかみ(群馬)

こうやって書き出してみると、それぞれの場所に思い出がたくさんあります。
旅先ではいちいちすてきな人がいたし、いちいちおいしい食べ物が食べられたし、いちいち美しい景色に出会いました。本来だったら何年もかけて味わうような幸福が、この一年にはギュッと凝縮されていたように思います。


どこに行って、誰と会い、何を話しても、大体同じメッセージにたどり着く。

じゃあなんで「旅する日記」の更新をやめたのかという言い訳をさせていただくと、
高校生のときに書いた小説をネットにアップしたら思ったより人気が出たので続きを書いていたからとか、ずっと書いてみたかったパラオを舞台にした小説を書いていたからとか、いろいろあるのですが、一番大きな理由は「『旅する日記』がだんだん書けなくなった」からかなと思います。
じゃあ、どうして書けなくなったのかというと、

どこに行って、誰と会い、何を話しても、大体同じメッセージにたどり着く。

からです。

こう一言で書いてもよくわからないと思うので、ちょっと詳しくお話ししていきますね。
「物語」というのは、主人公(あるいはその近くにいるキャラクター)の変化を描くものです。物語開始直後と終盤で、主人公が精神的にどう変化したかを描くもの。
なので、「旅する日記」も、基本的に「わたし」がその土地でのできごとを通してどう変化したかを描いてきました。
しかし、ADDressでの生活というのはまったく不思議なもので、

どこに行って、誰と会い、何を話しても、結局「心のままに生きるのが、ひとにとって一番しあわせで、自然な姿である」という結論にたどり着くのです。

同じメッセージを形を変えて受け取っているわけなので、だんだん「書くことがなくなってくる」のです。

「どこに行って、誰と会い、何を話していても、結局『心のままに生きるのが、ひとにとって一番しあわせで、自然な姿である』という結論にたどり着く」という感覚は、ADDressを使ってみたことがある人はわかるんじゃないかなと思います。


ADDressで出会う人たち

ADDressで生活するということは「昨日まで知らなかった人と一緒に暮らす」ということです。ADDressを利用していなければ出会いようもない人たちと、同じテーブルで食事をし、互いの人生や価値観なんかについて語り合う。
そんな生活を毎日しているわけだから、一年のあいだに会話をする人数は格段に増えるのですね。

わたしが一年間のADDress生活で出会った人たちの中には「自分の心の声に従って生きている人」がたくさんいたし、その逆で「ADDressを使って各地を回り、自由に生きているように見えるけれど、実はものすごくいろんなものに縛られている人」もたくさんいました。

その人を縛っている「いろんなもの」というのが何かというと、それはその人によってさまざまですが、

・子供の頃から親や兄弟、学校に植え付けられてきた思い込み
・世間一般で「普通」とされている価値観
・生い立ちで発生したさまざまなトラウマ

などが多かったように思います。

人生においてあらゆる選択を迫られたとき、自分の意思で選んでいるようで、実は「世間でよしとされている価値観」や、「家族や学校に植え付けられてきた価値観」「過去の経験」を基準にものごとを選んでしまっているのですね。
つまり、本当の本当の意味で「自由」ではないということ。

わたしがADDressで出会った人たちは、「本当の意味で自由に生きている人」、「本当の意味で自由になろうとして頑張っている人」、「自由に見せているだけで実はいろんなものに縛られている人」が多かったように思います。
※もちろん全員ではありません。

かくいうわたしはどういう人間だったかというと、「いろんなものに縛られている人」でした。
ここでぶっちゃけてしまうと、ADDressを利用しているあいだに、わたしはそれまで勤めていたゲーム制作会社を退職しています。
辞めた理由はいろいろ。ADDressの生活が楽しすぎて仕事に時間を奪われるのが苦痛になったとか、仕事のストレスで適応障害になったとか、仕事でシナリオを書かなければならないのに精神的な理由でまったく書けなくなったとか、つまるところいろんな意味で限界を迎えたのです。

思えばADDressを始める2ヶ月くらい前に尿管結石ができたりして、「お前にはその仕事は向いてないよ。心も体もつらいだけだからすぐ辞めなさい」というメッセージが来ていたのだけど、鈍感なわたしは本当の限界を迎えるまでそれに全く気づいていなかったんですね。
そして、辞めたあとも「どこかの会社に所属していないと今後の生活が不安だから」という理由で、シナリオライターの仕事に戻ろうとしていました。心の底では「もう傷つくのは嫌だから戻りたくない」と思っているのに、その「心の底の声」を無視して、お金とか社会的立場を優先していたわけです。

ADDressを退会して東京に戻った今、つくづく感じるのは「この国には他人の声には耳を傾けるのに、自分の声は無視する人が本当に多い」ということです。
まあ、仕方ないですよね。だって子供の頃からそういう風に教えられてきたんだもん。学校では「他人に尽くす」という精神はこれでもかというほど教えるけど、「自分をかわいがってあげることの大切さ」とか「自分の可愛いがりかた」とかは、誰も教えてくれなかったし。

そんなわけで、当時のわたしも「自分で自分をかわいがれていない(大切にできていない)」ということにさえ、全く気付けていなかったのです。今思うと本当に恐ろしい。


無職になり、ADDress生活を満喫したけど……

会社を辞めてプー太郎になったわたしは、その後8ヶ月近くにわたってADDress生活を満喫するわけですが、そのあいだ本当にいろんなことがありました。もちろん楽しいことがほとんどでしたが、ADDressでの生活はたくさんの人と関わることになるので、東京で一人暮らしをしていたときよりも、抑圧だったり、同調圧力に近いものを感じることもありました。

ADDressは時代の最先端ともいえるサービスを提供してくれていますが、そこに所属している人すべてが、これからの時代に合ったジェンダー観を持っているわけではもちろんありません。わたしがドミトリー契約をしていた小田原拠点は飲み会が特に多かったので、お酒の席で容姿やセクシャリティについて傷つくような言葉を言われたこともありました。
※悪意を持って発言しているというよりも、特定の誰かにひどいことを言って笑いを取ろうとする、いわゆる「いじり」が癖になってしまっている人が多い印象です。

でも、あとになってよくよく考えると、わたしもその飲み会に本当に参加したくてしたわけではなく、「なんとなく参加しといた方がいいかな」「一人でいて寂しい気持ちになったら嫌だし」という、あまり前向きではない気持ちだったように思います。なので、わたしが「そのとき本当にしたいと感じていたこと」を優先させていたら、傷つくような言葉を言う人に会うこともなかったわけです。

そんな感じで、あの頃に経験したことすべてが「自分の心や体の声に耳を傾けてね」というメッセージだったと今は感じます。


ADDressとの1年間の契約期間を終えたあと、更新しなかった

現在のわたしは、上記したようにADDressを退会しています。ADDressの契約期間は1年で、そのあと審査を受ければ更新することもできるのですが、結局しませんでした。
まだ行きたいところもあったし、ADDressを終えたあとの生活もまったく決まっていなかったので、かなり悩んだのですが、

「いろんな土地に行ってみたいという気持ちはあるけど、数日や数週間で住処がコロコロ変わるADDressの生活は体力的にも精神的にもつらい」
「清潔じゃなかったり狭かったり、日当たりのよくない部屋で暮らすことに苦痛を感じる性質だから、そういう部屋に当たる確率もあるADDressの生活は向いてない」
「少ない人数でのんびり会話をするのが好きだから、大人数での食事や飲み会が多い環境は性格的に向いてない」
「ADDressの生活はもう充分楽しんだから、何か新しいことをやってみたい」

という思いがあり、それを優先することにしたのです。

退会後しばらくは実家のある北海道で過ごしましたが、紆余曲折あって東京に戻り、キャラクターデザインの学校に半年間通いました。ずっと憧れていたClipStudioでのイラスト制作ができるようになり、銀座のギャラリーでの作品展示にも挑戦しました。それまではできなかったことが、今ではたくさんできるようになったと思います。
そういう道を辿ることになったのも、わたしが自分の心や体の声を聞けるようになった(以前よりは)結果かもしれません。


結局、1年間ADDressを使ってみてどうなった?

ここまで長々と書いてきましたが、「1年間ADDressを使ってみたわたしがどうなったか」を一言で書くと、

「いろんなものに縛られている人」

から

「本当の意味で自由になろうとして頑張っている人(自分の心の声に耳を傾けるように意識できるようになった人)」

にステップアップできた!

のではないかなと思います。

ADDress生活を通して「本当の意味で自由に生きている人」と「自由に見せているだけで実はいろんなものに縛られている人」にたくさん出会ったあと、「さて自分はどちらになりたいか?」と考えると、答えは明白でした。

といっても、いまも本当の意味で自由に生きられているわけではありません。あれだけ大変な思いをして会社を辞めたのに、「やっぱお金ほしいしキャリアのあるシナリオライターに戻った方がいいんじゃね? 本当は怖いけど」と悩むこともしばしばです。というか悩んでいることの方が多いです。
ですが、そのたびに「シナリオを執筆するのは辛くても、ディレクションならできるんじゃね?」とか「仕事をするなら、なるべく自分がしていて嫌じゃない仕事を探してみようかな」とか「仕事よりも自分の作品作りに集中したいから、働かないでも暮らせる道を模索してみようかな」とか、なるべく自分の本音に近い選択をできるように、いろんな人に相談してみたり自分と相談したりしています。

これはすごく小さな変化かもしれませんが、わたしの人生にとっては、ものすごく大きな変化だと思うのです。

わたしはADDressを退会しましたし、この先も再入会するかと聞かれたらちょっとわからないのですが、
それでも、2020年のあの夏の日、ADDressに入会して本当によかったと思うのです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

神代さわ🐬



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