毎日連載する小説「青のかなた」 第81回
「それは……今日みたいにってこと?」
「そう」
レイは頷いた。
「あのときは本当に驚いた。自分たちが獲った魚で作った料理を、彼らは名前も知らない外国人である僕や祖父母に何のためらいもなく差し出してくれたんだ。そして僕がただ料理を食べているだけで喜んでくれた。そこには何の言葉もいらなかったんだ。僕がアメリカ人だということも、祖父母が日本人だということも関係ない。彼らがパラオ人だということも関係ない。純粋な人と人との交流があった。そのとき、僕はここで生きてみたいと思うようになった」
レイのやさしい茶色の瞳が目の前の海を見つめる。彼の縮れ毛は空気をよく含むようで、濡れても乾くのが早い。風が吹くたびにふわん、ふわんとやわらかく揺れていた。
戦時中、米軍による艦砲射撃で、自然豊かだったペリリュー島は丸裸のようになってしまったという。一度は何もかもを破壊し尽くされた土地のはずなのに、今は草木も花も豊かで、人の生活が根付いている。
すべてを失い、傷だらけになっても、残っているものがある。再生の可能性がある。
そう思ったとき、ふっと、明人の声が聞こえたような気がした。
――しあわせだと感じる瞬間が、本当になかったか?
ああ、そうだった。祖母は洋菓子を作るのは苦手なのに、光の誕生日になると一生懸命ケーキを焼いてくれた。祖父は絵本だけでなく、マンガまで効果音つきで読み聞かせてくれた。明人は、光が落ち込むと何も聞かずに近所の水族館へ連れていってくれた。
両親はそばにいてくれなかったかもしれない。生まれ育った沖縄からは引き離されたかもしれない。でも、その代わりに数え切れないほどの思い出を得た。
それは間違いなく――私だけの宝物だ。
隣がなんだかガサゴソと騒がしいので、見ると、レイが何やらハーフパンツのポケットに手を突っ込んだり出したりしているところだった。
「何してるの?」
「いや、ハンカチ出そうと思ったんだけど、なくて」
「ハンカチ? なんで?」
「なんでって……泣いてるから」
レイにそう言われて、自分の顔が濡れていることにやっと気づいた。自分のポケットにも手を突っ込んで探してみるが、やっぱりハンカチはなかった。ボートに置いてきたらしい。
「なんか、もういいや。そのままにしとこ」
光が言うと、レイは「うんうん」と頷いた。
「そうだね。光の体はいま涙を流したいんだから、そうさせてあげるのがいいよ」
レイはにこにこしている。どうして、この人はそういうものの考え方ができるんだろう。ふしぎに思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?