「墓じまい」問題が浮き彫りにする「先祖代々の…」という「常識」の破綻

まずは、次の記事をご覧ください。

この記事によれば、「墓の継承者不足や、墓石を撤去する『墓じまい』が増え、寺の経営は年々厳しさを増している」とのこと。私が気になったのは、お寺の経営難という問題ではなく(お寺関係者の皆様スミマセン💦)、「なぜ『墓じまい』が増えているの?」ということです。

こんなことを考えるきっかけは、父の遺骨を永代供養墓に納骨する選択をしたことでした。父は末っ子で、父の実家とは険悪な関係でしたので、実家のお墓に納骨するわけにはいきませんでした。また、私は子を設けるつもりはなく(子育て能力に欠けていることを自覚しているから)、頼れる身内もいないので、「熊三郎家之墓」を作ったところで、継承者もいません。そんなわけで、永代供養が唯一の選択肢となったのです。私自身も、死後は「第三者」(身内ではない人)によって、永代供養墓に入れられるのでしょうね。

私の例は極端かもしれませんが、「墓じまい」を迫られている方は少なくないと思います。なぜなら、「先祖代々のお墓を一族の子孫が継承し続ける」(以降、「先祖代々の…」と記します)という日本のお墓をめぐる「常識」は、三世代同居家族に代表される伝統的な家族の形がアタリマエではなくなったという日本社会の現状とかけ離れているからです。

ここでは、三世代同居家族(≒これまでの日本社会でアタリマエとされてきた家族)の具体例として、漫画『サザエさん』に登場する磯野家・フグ田家を取り上げます。

この家族の場合、①波平・フネを初代とする「磯野家の墓」、②マスオ・サザエを初代とする「フグ田家の墓」の2基のお墓が建立され(てい)るはずです。①はカツオが継承し、②はタラオが継承するはずですが、ワカメだけは①②の継承とは無関係となり、嫁ぎ先のお墓に入るはずです。波平は福岡の磯野本家の次男ですし、マスオは大阪のフグ田本家の次男ですから、本家のお墓の継承権はなく、自宅からアクセスしやすい場所にお墓を構えるはずです。(参考:Wikipedia「サザエさんの登場人物」)

ここでわざわざ「はず」という言葉を太字にしたのには理由があります。それは、この「はず」こそが、「先祖代々の…」という日本のお墓をめぐる「常識」だということを強調したいからです。特別なことがなければ、「そんなのアタリマエじゃん!」と素通りされてしまうところでしょうから。

改めて「はず」に注目すると、<お墓は代々の長男が継承するべきものだ>という「常識」を見て取ることができます。「家父長制の名残」だとも言えるでしょうか。

では、現代日本社会の家族というものは、この「常識」の枠に当てはまっていると言えるでしょうか?おそらく、「常識」から外れた多様な形の家族が存在しているでしょうから、一概に「現代日本社会の家族」を「常識」に基づいて説明することはできないと思います。磯野家・フグ田家のような三世帯同居家族がアタリマエではなくなってきた、ということです。

そう考えると、「先祖代々の…」という「常識」が破綻しつつあるから、「墓じまい」が社会問題として表面化してきた、と言えるでしょう。


私がこの「墓じまい」問題から感じることは、常識とは絶対的なものではない、ということです。常識が現状にそぐわなくなれば、「墓じまい」のような現象が社会問題となり、常識も変化していくのでしょう。ただ、それ以前に「常識外れ」となっていた私のような者からすれば、常識というルールの存在自体が、自らの存在意義を脅かし、生きづらさを感じさせるものだと思います。

…と考えている私を、亡父はどのような思いで見ていることでしょうか…

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