「居場所」と「収入源」さえ確保できれば、無理して学校に行かなくてもいい!
〈アタリマエ〉教研究家、ぬいぐるみ教信者、元塾講師、精神障害者、つなぎ屋。
そんな私は、今日の『Yahoo!ニュース』の次の記事を見て、黙っちゃいられない!と思い、記事をまとめることにしました。
「学校行かないとダメですか?」
私なら、次のように答えます。
「居場所」と「収入源」さえ確保できれば、無理して学校に行かなくてもいい!
「学校」は「〈アタリマエ〉教の宗教施設」
〈アタリマエ〉教
ヨノナカの「~(す)べき」「~(し)なければならない」=〈アタリマエ〉を、絶対のものとして信じて疑わないこと。
「〈アタリマエ〉教」とは、私(熊三郎)が勝手に名づけたものであり、このような名称の宗教法人が実存するわけではありません。
ですが、日本社会では〈アタリマエ〉(≒世間体)に縛られて苦しんでいる人が少なくないのでは?という思いから、人間が心の拠り所を求める営みである「宗教」の性質を持つものとして「〈アタリマエ〉教」という言葉を使っています。
学校ほど、私たちの身近にある公的施設はないと思います。
それ以上に、ヨノナカの〈アタリマエ〉を身に付け(させられ)る、影響力の大きい施設でもあります。
「クラスメイトとは仲良くするのがアタリマエ」という〈アタリマエ〉一つ取っても、学校生活を経験した人なら大なり小なり植え付けられているはずです。
私がnoteを好み、続けている理由は、
私だからこそ紡げる言葉によって、苦しんでいるだれかの力になりたい。
それが、私自身の幸せだと心の底から思っている。
からです。
自分に無理をすることなく〈アタリマエ〉になじめる人もいるでしょうが、私を含め〈アタリマエ〉に違和感を持ち、苦しんでいる人もいると思います。
もしあなたが「学校行かないとダメですか?」と真剣に悩んでいて、〈アタリマエ〉教の呪縛に苦しんでいるとしたら、〈アタリマエ〉教研究家として、
無理して学校に行かなくてもいい!
とお伝えしたいです。
学校を卒業することの意味は?
究極的には「自分が望む仕事に就く可能性を高めるため」ではないでしょうか。
医師であれば、大学の医学部を卒業することが必要。
大手企業であれば、ブランド大学を卒業したという肩書がないと就活で門前払いを食らう。
アルバイトを探すにしても、何気に「高卒以上」というハードルが課されている。
学校で勉強した内容が直接仕事に役立つかどうかは、就職を考えるときにはそれほど問題にはなりません。
むしろ、「●●大学卒」「●●高校卒」という学歴の有無のほうが問題です。
極論を言えば、学校で勉強した内容を一切忘れてしまっても、卒業後の人生を不自由なく送れてしまうのです。
大学で教育社会学を学び、20年近く塾講師を生業としてきた立場から、そう思います(「ありのままの自分を大切に」などと、学校で学んだ記憶もありませんし)。
学校の人間関係は「ありのままの自分」を排除する
私自身は体験したことがないのですが、塾講師時代に生徒さんから「スクールカースト」に苦しんでいる話を聞いたことがあります。
私からすれば「特定のキャラを演じることの強制」だと思います。
スクールカーストに直面していない人もいるでしょうが、学校とくに学級が「様々な社会背景を持った子どもの寄せ集め」に過ぎないことを考えれば、学校は「ある特定のキャラを演じることでしか人間関係を築けない場」です。
学校で「ありのままの自分」をさらけ出すことは、リスクでしかないのです。
毎晩「くま会議」を開き、くまのぬいぐるみを心の拠り所としている私にとって、「ありのままの自分」ではいられない学校の人間関係は、二度と経験したくないものです。
もしあなたが学校で「ありのままの自分」でいられないことに苦しんでいるとしたら、
無理して学校に行かなくてもいい!
とお伝えしたいです。
「居場所」と「収入源」が確保できれば「ありのままの自分」を生きられる
「ありのままの自分」をお互いに尊重し合える場、居場所。
衣食住を充足して生活するために必要な、収入源。
たとえ学校を卒業しなくても、居場所と収入源が確保できていれば、自分らしく生きることができます。
もちろん、これまで学校が友人関係を築く場、将来の収入源(仕事)を確保する場として機能してきたことは否定できません。
しかし、「居場所」や「収入源」は、学校を経由しなくても手に入れられる時代になりました。
それならば、学校に行く意味って、何なのでしょうか?
私は、
「居場所」と「収入源」を自力で確保する覚悟があるなら、学校なんて無理してまで行かなくてもいい
と考えます。
とはいえ、「居場所」と「収入源」を確保することは、決して簡単なことではないと思います。
私自身、まさに今「居場所」と「収入源」を求めています。
精神障害者になり、一般就労が困難になりました。
家族関係でつまづき、一人暮らしになりました。
そんな私にとって、居場所と収入源の確保は死活問題。
noteでも、地域社会という現実世界でも、人間関係を広げ、収入を得たいと思っています。
この課題を実現することが、私が「つなぎ屋」として生きるということです(決意表明しちゃいました)。
「学校に行かなくちゃ」と無理しないで!あなたが「ありのままの自分」を生きられる道を、一緒に探しましょう!
私が紡いだ言葉があなたのお役に立てば、この上なく嬉しいです。 noteで発信し続けるためには、お恥ずかしながら、収入が不足しています。 サポートを頂戴できれば、その分だけ、安心して言葉を紡ぐことができます。 ぜひ、お力をお貸しください!(2021年9月7日)