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【鬼滅の刃×儒教×仏教】善逸と堕姫の会話から見る儒教と仏教の教え。

 鬼滅の刃第8話「終結」、1月23日に放送され、視聴しました。やっぱり作画がすごいです(笑)。映画ではないかと錯覚するほどのクオリティでした、、。

(場面振り返りカットリンク)

タイトル通り、音柱・宇随天元、伊之助と善逸、そして炭治郎が集結。

総力戦が始まり、熱い闘いが始まりました。

原作の構図に加え、アニメオリジナルの場面カットやBGMも入り、目が離せない回でした。原作カットも入っているので、非常に好感が持てます。

戦闘シーンに関しては2回観て味わいました(笑)

さて、今回のしびれた場面といえば、、、善逸が堕姫に説教をするシーン!

久しぶりに「やるやん、、、善逸、、、。」と思って感心しました(笑)。

高校倫理の教員として、私は善逸と堕姫の会話に孔子とカントの教えが見えました。

なるほど!と思っていただければなと思います。

■善逸の言葉は儒教の祖・孔子の教え。

アニメを見て、倫理のアンテナが立った善逸の言葉がこちら。

「自分がされて嫌だったことは人にしちゃいけない」

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(漫画『鬼滅の刃』第10巻 人間と鬼 第88話「倒し方」)

堕姫に耳を引っ張られて血を出していた女の子に謝罪を要求した場面での言葉です。

これと似た言葉を孔子が『論語』のなかで言っています。

「己の欲せざるところは人に施すなかれ」
(解説)自分がして欲しくないと思うことは、他人にとっても同じであるから、他人にすべきではない。

どこかで聞いた事があるフレーズだと思います。

この言葉は孔子に対して、

弟子が「人生で一番大切なことを1字でいうとしたら、何という文字ですか。」と質問したときに答えたフレーズでした。

その質問に対して孔子は、「恕」と答えました。

今でいう「思いやり」という意味です。

2000年以上昔に生きていた孔子の思想が現代、
特に学校現場で強く言われ、思いやりという言葉は日常的に使われています。

思いやりは人間関係を構築する上で最も重要なこと。

この「恕」という言葉は、SNS全盛でヘイトスピーチや誹謗中傷があふれる今の時代だからこそ、重要な言葉に思えます。

私はこの言葉を、先に合格した高校3年生に対して使っています。

あなたは合格して嬉しいし、今すぐにでも遊びに行きたい気持ちなのは分かる。
でも合格に向かって必死に勉強している人の横で騒ぐのはどうなのか。

こんな声かけを、あまりにひどい時に限ってではありますが、しています。

「されて嫌なことはしない。」

善逸の言葉はシンプルですが、力があります。

霹靂一閃六連以来に、善逸がめちゃくちゃカッコイイ…と思いました(笑)。


■堕姫と妓夫太郎が抱える、「求不得苦」という苦しみ。

対して堕姫と妓夫太郎はこのように言葉を返します。

違うなあ それは

人にされて嫌だったこと 苦しかったことを 

人にやって返して取り立てる

自分が不幸だった分は幸せな奴から取り立てねえと取り返せねえ

私はここに、仏教の祖・ブッダの教えを見ました。

ブッダは以下のように、現実の苦しみを8つに分類しています。

いわゆる「四苦八苦」という苦しみです。

あ


堕姫と妓夫太郎はこの中の「求不得苦」と呼ばれる苦しみにあえできたのではないかと推測しました。

彼らにもおそらく、幸せを求めてきたのにそれが得られなかった苦しい経験があったはず。

求めても手に入らない苦しさは本当に切実です…。

かつて炭治郎が那田蜘蛛山で戦った下弦の伍の鬼・累も家族の暖かさを求めていました。

もしかしたらすべての鬼に、それがあるのかもしれないですね。

私は求不得苦を大学生の時に感じました。

教員になるという夢が薄れ、将来何をしていいのか分からない時期があり、それが1年半も続きました。

求めても分からない。このままフリーターになるのかな、、、等々脳内をめぐり、不安で仕方なかった時がありました。


幸い教育実習で転機があり、今、教員としてキャリアを積むことが出来ています。

人は生きていれば、それぞれでいろんな苦しみがあります。

たった20数年しか生きていないので、年配の方からすれば、私の苦しみはまだまだだとは思いますが💦


ブッダは苦しみと正面から向き合い、冷静に分析した人でした。

彼は四苦八苦から逃れるためには、自己の囚われである我執を脱ぐことが必要であるといいました。

「~であるべきだ」と思っている、その価値観を捨てる努力をせよ、と説きます。


一流大学に行くことが成功なのか。

よい会社につくことが成功なのか。

スポーツがとびぬけてできることが成功なのか。

そうではない。

この世は無常であり、つねに流れていく。絶対などない。

そのこだわりを捨てよ。


これがブッダの教えです。

我執を解くためには、感情的にならず、常に自分の心を冷静にとらえなくてはなりません。

そのための修行方法を八正道といいます。

勝ち組、負け組という言葉がある社会だからこそ、

その価値観を疑ってみることは必要な気がしています。

こだわりがありすぎる故に本質が見えなくなること、私も仕事のなかであります(-_-;)

人生哲学としてもっておきたい考え方です。

■まとめ

今回はこのように、それぞれ儒教の祖・孔子と仏教の祖・ブッダの思想とつなげてみました。

いかがだったでしょうか?

仏教も儒教も日本に根付いている価値観なので、なじみがあったのではないかなと思います。

実は堕姫の発言にもカントの思想とつなげられる部分があって、鬼滅の刃は倫理の宝庫だなぁ・・・と思いながら見ています(笑)

次回第9話、どんな戦闘になるのか・・・。楽しみです😊

教育のこと、授業をしている倫理や政治経済のこと、熊本の良いところ…。 記事の幅が多岐に渡りますが、それはシンプルに「多くの人の人生を豊かにしたい!」という想いから!。参考となる記事になるようコツコツ書いていきます(^^)/