老害問題は、老いることではなく、数が多いことが問題なのかもしれない
note記事で老害についてあれこれ書いておきながら、考えてみれば自分はあまり老害体験がない。
お年寄りに叱られたり教訓めいた話をされた記憶もないし、若手メインの職場でばかり働いていてたので、上司と言われて想像するのはせいぜい30代の人だ。
老害体験を無理やりひねり出すなら、授業中に自分の手柄めいた話や説教ばかりしていた中学校教師、中学校での先輩後輩間のナゾの上下関係、時おり見かける店員さんに詰め寄っているクレーマー、病院で自分が乗った車いすを押してくれている奥さんにガミガミ文句を言い続けているおじいさんとか?
でも、年齢的には高齢者とは限らず、老害というよりはパワハラというべきか。
どうして老害に出くわしてないんだろう?と人口データを見てみたところ、なんと昭和の時代には高齢者はなんと総人口の1割もいない。
高齢者(65歳以上) 1980年 9.1%、2023年 29.1%
子ども(15歳未満) 1980年 23.5%、2023年 11.5%
確かに、子どもの頃を思い出してみると、小さな田舎町ですら外に出れば遊び相手に困らないくらい子どもがたくさんいたのに対して、お年寄りはあまり見かけなかった。思い出せるのは、近所の90ちかい一人暮らしのおばあさんと、遠縁の足の悪かったおばあさんだけだ。
祖父母の代ですら、まだ65歳にはなっていなかったはずで、お年寄りという感じはなかった。
それが今や高齢者と子どもの数が逆転して、高齢者は3割近い。
前回は老いを感じたらみそっかすに戻ったらどうだろう?と書いたけれど、みそっかすが10人中1人なら残りの9人で支えることはできても、3人もいたら遊びとして成り立たない。
老害は、害になる老人という意味ではなく、もしかして数が多いこと自体が害なんだろうか。
バッタも一匹なら可愛いものでも、群れて飛蝗に変異すると蝗害を引き起こす。もし職場で厄介な上司や先輩が1人だけなら耐えられても、3人もいたらかなり耐え難いはず。
こちとら第二次ベビーブーム世代。この世代が高齢者年齢になるころには、人口の4割が高齢者になると推定されているそう。
数が多いゆえに子どもの頃は重宝されず、進学時には受験戦争、就職時には不景気&氷河期。老いてみればこれまた数の多さ故に老害って…
悲しいなぁ。
どうしたらいいんだろう?
定年の延長、年金からの後期高齢者医療費の徴収など、国の政策としては「ずっと一人前のままでいてもらう」方に向かっているようだけれど、それだと老いた自覚のない老害が身の回りにどんどん増えることになるから、若い世代はますますやりにくくなるんじゃないだろうか?
そういえば日テレの「SENSORS」で、深津貴之さんが日本ならではのAI活用方法として「AIx高齢者の組み合わせ」を挙げていた。
こうなったら、トヨタ社のWOVEN CITYのような実証都市をつくって、住民は65歳以上限定で全員先端技術のモニターや被験者になる前提条件で、老人が生涯一人前として生きる方法を模索するのはどうだろう?
みそっかす作戦が無理なら、何とかして老害でなく老益に変異する方法を見つけなければ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?