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愛なんか、知らない。 最終章⑯愛を知る家

 それからの1か月は、あっという間に過ぎて行った。
 今さらだけど、銀行口座を閉じて、別の銀行に口座を開いた。
 おばあちゃんがローンを払い終わってるから、家賃を払う必要はないのが不幸中の幸い。心に話したら、毎週のように料理を作りに来てくれて、大量に作り置きして行ってくれるし。
 あ、その時に彼女さんも一緒に来て、紹介してもらった。穏やかな人柄の人で、心にピッタリだった。

 それどころか、懐かしい人が突然訪ねて来てくれて。市原さんが、お惣菜を持ってやってきたのだ。
「心ちゃんから、話を聞いて。店長さんに言ったら、日持ちする総菜を持ってけって言ってくれたから。いろいろ持って来ちゃった」

 髪が白くなりかけている市原さんは、タッパーに詰めた肉じゃがやかぼちゃの煮物、きんぴらごぼうやひじき、切り干し大根を次々にテーブルに並べていった。
「煮物が多いけど、日持ちするからね。これは肉団子とハンバーグ。食べきれなかったら冷凍して。後、これは焼きそば」

 焼きそば。この焼きそばで、ミニチュアを作ったっけ。懐かしい。はなまる亭のミニチュアハウスも作ったんだった。
 私は何度もお礼を言うしかできなかった。
 市原さんは私の両手を包み込んだ。

「あなたのお母さんが子育てを放棄してたってこと、心ちゃんから前、聞いたことがあって。バイトで、毎回お弁当を買って帰ってるから共働きなのかなとは思ってたけど、ホラ、私がお弁当をあげたら、泣いて食べてたこともあったでしょ? だから、家族で何かあるんだろうなとは思ってたんだけど、そんなに踏み込んで聞くわけにもいかないし。心ちゃんに聞いた時、あの時、もっと何かできなかったかなって思って」
 涙を浮かべた目で私を見つめる。

「後ね、うちのお母さんにミニチュアの家を作ってくれたでしょ? 亡くなるまで、あの家を大切にしてて。会いに行くたびに、この家であんなことがあったとか、こんなことがあったとか、いろいろ話してくれて。だから、最後は本当にいい日を送れたと思う。葵ちゃんのミニチュアの家のお陰で」
「そ、そんな、市原さんにはいっぱい親切にしてもらったし、ミニチュアショーのことを教えてくれたから、今の私があるんです」

「そう言ってもらえて、嬉しい。とにかく、食べるのに困ったら、うちの店に来て。待ってるよって、店長さんも言ってたし。心ちゃんをうちの店に紹介してくれたのは葵ちゃんだしね。私もまた、食べ物を持って来るから。とにかく、よく食べて、よく寝なさい。何か食べてたら、生きてけるんだから。時間がかかっても、たいていのことは乗り越えられるから。ね?」

 市原さんの息子さんたちは一人成人して社会に出て、一人は大学生みたい。
「うちのドラ息子たちが、いつ独り立ちできるか分かんないけどね」
 カラカラ笑って、市原さんは帰って行った。

 信彦さんはそりゃあもう心配して、「こっちで暮らしなさい!」と言ってくれた。お言葉に甘えて、泊まらせてもらって、信彦さんの手料理を振舞ってもらったり。
 こども食堂の目黒さんたちも、信彦さん経由で聞いたみたいで、「うちの食堂にも食べに来ていいんだからね」と言ってくれたり……。
 あれ、食べることばっかだ。まあ、市原さんが「何か食べてたら生きてける」って言ってたように、食べてる限り、生きてけるし。

 信彦さんは純子さんと親しいミニチュア作家さんたちに話をしたみたいで、「ミニチュアの道具で必要なものがあれば言って。分けられるから」と連絡をもらった。単発のミニチュアのワークショップの仕事も紹介してくれたりして。
 とにかく、いろんな人が気にかけてくれて、サポートしてくれて、何とか生活できている。

 お母さんは、何と、駆け落ちしたらしい。
 警察から連絡があって、フィットネスクラブに通って来てた既婚者と不倫して、二人で逃げたのだと知った。相手の奥さんが何日も家に帰ってこない旦那さんを心配して警察に相談したら、クラブでお母さんと不倫相手が仲良さそうに出ていく光景が、防犯カメラに写ってたみたいで。

 警察には、私のお金を持って逃げたことも話した。
「とんでもない母親ですね。被害届を出しますか?」と聞かれたけど、やめておいた。
 もう、関わり合いたくない。その気持ちしかない。
 それにしても、最後の最後まで、人に迷惑かけることばっかして。怒りを通り越して、段々哀れに思えて来た。
 あんなに無敵に見えて、欲しいものをすべて手に入れていたお母さんが、堕ちるところまで堕ちて。たぶんもう、後戻りできないだろう。もう、二度と普通の生活を送ることはできないんだろうな。

 南沢さんには、ミニチュアのスケッチを何点か見てもらった。
「よかった。後藤さんがまた、ミニチュアを作れるようになって、よかった」
 南沢さんは涙を流して喜んでくれた。その姿を見て、私も泣けてきた。
「この作品、絶対カバーに使いたい」
 それは、真っ暗な部屋に一筋の光が射しているスケッチだ。
「これは、作品の名前はもう考えてるの?」
「そうですね……」
 私は、ふと、思い浮かんだタイトルを告げた。
「愛を知る家、です」

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