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愛なんか、知らない。 第4章 ⑪寄り添う気持ち

 けど、心さんから出たのは、意外な言葉だった。
「えと、後藤さんのところに今日行ってみて、居心地がいいなって感じて。僕、ずっと施設では誰かと一緒の部屋で寝起きしてて、寮でも相部屋で。一人だけの部屋って、今までずっとなくて。そういうのもいいなって。社長さんにも自立しなさいってよく言われてたし。だから、バイトもして、毎月家賃は払います」
 最後の一言は私に向かって言った。

 純子さんと信彦さんは顔を見合わせた。
「そう。立派な考えね」
「それなら、葵ちゃんと二人で暮らして、週に何回か、ここにご飯だけでも食べに来るとか、いいんじゃない?」
「そうね、週末だけここに泊まってもいいし。そういうの、どう?」
 今度は私と心さんが顔を見合わせた。
「そうしてもらえるなら、助かります!」
「えと、ハイ」
「そう。なら、決まり」
 純子さんと信彦さんは満足そうにしてる。二人が心さんを受け入れてるなら、全然問題ないってことだ。

「それじゃあ、心さん」
 私は心さんに向き合った。
「明日からでも、二人で住もう。家賃は、貼り紙にも書いたけど、水道光熱費込みで2万円。お風呂も洗濯機も使っていいです。キッチンで料理してもいいし、レンジとか冷蔵庫も使ってもらって大丈夫です。あ、隣のリビングでテレビを観てもいいし。私はあんまりテレビは観ないから。押し入れは何にも入ってないから、好きに使ってくださいね。後は、洗濯、掃除は各自でするってことでいいですか? えーと、後は」

 心さんは「ハイ」「うん」「分かりました」と素直に受け止めている。
「楽しそうねえ。二人で一緒に暮らしながら、いろいろ決めていけばいいんじゃない?」
 純子さんの言葉に、私は「そうですね、そうしましょう」と何度もうなずいた。
 心さんを怪しく思ってた自分が恥ずかしい。
 人は見た目で判断しちゃいけないって、おばあちゃんは言ってたけど。いつの間にか、曇ったフィルターで見てたんだな。

「えと、こんなこと聞くの、変かもしれないけど」
 心さんはパーカーの袖口をいじりながら口を開いた。
「僕、今日、三人とは初めて会うわけで。なんで、そんなに親切にしてくれるんですか?」
 三人で顔を見合わせた。
「そう言われても」
 急に使命感が芽生えたなんて、言えない。
「なんでかしらね」
 純子さんも首をかしげる。

「僕は、会社を経営してたんだよね。小さい会社なんだけど。今は後進に譲ったんだけどね。そこで、いろんな人と出会って、いろんな人を見て来たんだ。根っからの善人もいれば、最初っからこっちを騙してやろうって近づいて来るヤツもいる。卑怯なヤツも、ずるいヤツも、調子いいヤツも、いろんな人がいてさ。そういう人たちとやりあってきたから、大体初対面で信頼できる人なのかどうかは分かるんだよね。若い人でも、ビックリするぐらい心がネジくれてる人もいる。そうかと思えば、僕よりはるかに人生経験がある人でも、純粋で誠実な人もいる。葵ちゃんも心さんも、まっすぐ育ってるってのはすぐに分かったよ。大人から見ても大変な境遇にいても、世の中を斜に見てるわけでも、ひねくれてるわけでもない。僕は尊敬するんだ。君らのような若者を」

 信彦さんのあまりにも嬉しい言葉に、私は「ありがとうございます」って言うので精いっぱいだった。
 心さんはうつむいて、グスンと鼻をすする。
「なんか、住むところが決まってホッとして……大学も辞めなきゃいけないのかなって思ってたから、なんか、こんなに、よくしてもらえて……連絡して、よかった」
 細く、震える声。ジーパンにポタポタと涙が落ちる。
 ギュッと胸が締めつけられた。

 私もこの一か月半、不安や孤独感に襲われてた。そりゃあもう、すごい勢いで。心さんもきっとそうなんだろう。ううん、私よりもずっとずっと、怖かったはず、心細かったはず。お母さんが亡くなってから、ずっと。
 私は家があるだけマシだ。心配してくれる人たちがいるから、恵まれてるんだ。
 大丈夫だよ、ここにいれば、一人じゃないから。ここにきっと、あなたの居場所はあるから。
 私は心の中で心さんを励ました。
 いつか、この言葉を伝えられる日が来ますように。

「うわあ。すごい」
 純子さんのアトリエに一歩足を踏み入れて、心さんは目を見開いた。
「人形の家ですか?」
「そうね、人形を置いて遊んでもいいんだけど。ドールハウスとも言うしね。これはミニチュアハウスって呼ばれてて、本物そっくりに家とかインテリアとか小物を作って楽しむの。本物の12分の1のサイズで作るのが一般的ね」
 心さんは純子さんの作品を一つずつ、穴が開くほど見つめている。

「子供のころ、人形の家が欲しくて、お母さんに泣いて頼んだことがあるけど……買ってもらえなかったな」
 心さんはつぶやく。
「そうなの。どれか持って行く?」
 心さんは目を丸くする。
「えっ、いいんですか⁉」
「ええ。この子供部屋なんて、どう? これは知り合いのお子さんにプレゼントするつもりで作ったんだけど、完成前に引っ越しちゃって、渡せなかったのよね」
 それは天体観測好きな子供の部屋で、ベッドの脇に望遠鏡、机の上に天体儀、タンスの上にロケットの模型が置いてあって、壁には宇宙のポスターが貼ってある、夢のある部屋だ。

「えっ、ホントにもらっていいんですか?」
「どうぞ、どうぞ。10年ぐらい前に作った作品だから、ちょっと完成度が低いかな、って感じではあるんだけど」
「そんなこと、ないです! 本物そっくりで、カッコいいです!」
 心さんは興奮してる。
「葵ちゃんと一緒に住むのなら、葵ちゃんにミニチュアの作り方を教えてもらえばいいんじゃない? 葵ちゃんもワークショップで教えてる、プロのミニチュア作家さんなんだから」
「えっ」
 心さんは私をキラキラとした目で見る。

「そ、そんな、私はたいしたことないけど」
「そんなことないわよお。お客さんから注文を受けてオーダーメイドの作品を作ってるんだから。もう立派なプロです」
「すごいすごい、学生でプロなんてっ」
「いやいやいや、そんな、そんな」
「葵ちゃんは手先が器用で、丁寧に作るのよね。教え方も上手だから、教えてもらうと楽しいわよ、きっと」
 心さんは目で「教えて、教えて」と訴えかけている。
「うん、私でよければ、いくらでも」
「ホントに? やった、やった!」
 心さんはホントに心の底から喜んでるみたい。

「じゃあ、後藤さんの家にも、こんな作品がいっぱいあるの?」
「うん、純子さんほどじゃないけど。明日帰ったら、見せるね」
「ホントに? やったあ」

 なんだか。
 お母さんがいなくなって、孤独感に打ちのめされてたけど。
 今は、満たされてる。いろんな人に助けてもらって、私は一人じゃないって思えて。
 明日から、シェアハウスを始めるなんて急展開だけど。新しい生活が始まるんだ。

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