愛なんか、知らない。 第5章 ⑤ざわつく心
その日は、お父さんと久しぶりに会うことになっていた。
お父さんは結弦君が生まれてから、すっかり子煩悩になった。土日は結弦君のお世話をしてるみたいで、Pacebookでもよく「息子とブロックで遊びました」とか「公園に行きました!」って投稿してる。
もう、私以上に愛情を注いでいるのは明らかだから、複雑な感情を通り越して呆れてる。私もフォロワーになってるのに、私にこういう写真を見せても何とも思わないってところがね。。。
心は、「自分では葵にも愛情を注いできたって思ってるんじゃない?」って言ってたけど。
私と一緒に暮らすのを拒んで、おばあちゃんに預けたこと、忘れちゃったの? 今だって、一人でこの家で暮らすのは怖いから、心と一緒に暮らしてるのに。
お父さんがしたこと、私は一生忘れないよ。
って、直接本人にぶつけてみたい気がしてる。
それにしても、私に弟ができたなんて、全然実感がない。
お父さんは私と結弦君を会わせようとしたけど、奥さんが嫌がったみたい。奥さんとも、まだ一回も会ったことがない。お父さんや結弦君と一緒に写ってる写真があるけど、お母さんのほうがこの人より年上だけど断然美人。平凡な顔って感じだけど、どうしてお父さんはこの人を選んだのかな。性格もそんなにいいとは思えないんだけど。
今日は学校帰りに大宮の駅ビルのカフェで会う約束をしている。
お父さんは30分ぐらい遅れて来た。ワイシャツの背中には汗が広がっている。
「すまん、取引先からクレームの電話が来て、対応してたら遅くなった」
「そうなんだ。学校の課題やってたから、大丈夫だけど」
しばらく、二人でたわいのない話をした。
っていうか、ほとんど結弦君の自慢話だけど。つい最近立てるようになったみたいで、一生懸命立ち上がろうとしてる姿がたまらなくかわいいって、動画を何度も再生して見せてくれる。完全にメロメロになってるよね。
ねえ、お父さん。私が赤ちゃんの時も、そんな風に嬉しく思ってくれた?
「それで、老人ホームのワークショップは続けてるの?」
「うん。この間、また入居者さんからミニチュアハウスの注文をもらったんだ」
「それはすごいな。売れっ子じゃないか」
「売れっ子って程でもないけど」
「いやいや、学生でそれだけ稼げるのはすごいよ。オレの学生の時なんか、居酒屋でバイトしてたし。自分の腕でそこまで稼げるのは素直にすごいよ」
「そうかな」
お父さんはしばらくストローの袋をいじっていた。何かを話したくて躊躇っているのが分かる。
「あのさ、言いづらいんだけど」
お父さんは急にかしこまった。
「今、葵に毎月3万円、生活費を渡してるだろ?」
「うん」
「それを、やめにしたいんだ」
「えっ、えっ!?」
「いや、オレとしてはこれからも払ってあげたいよ? 葵もオレの大事な娘だし。せめて大学を卒業するまではって思ってたんだけど。嫁がさ、結弦が大きくなるにつれお金がかかるから、貯金に回したいって言うんだ。ホラ、今は小学校から受験したりとか、色々あるしさ。まあ、まだそこまで考えてるわけじゃないんだけど。それで、学費はこれからも払う、卒業するまで。だけど、生活費とか固定資産税とかは、葵のほうで何とかならないかな? ワークショップとか家で教室とか開いてるし、心ちゃんだっけ? 同居人からの家賃もあるわけだし、マイホームはあるわけだし。それで何とかやっていけないかな?」
私はしばらく何も言えなかった。
その生活費だって、最初は5万円だったんだ。でも、奥さんから赤ちゃんが生まれて何かとお金がかかるからって言われて、3万円に減額になった。
そりゃあ、2、30万ぐらい稼げる月もあるけど……毎月じゃないし。いつ仕事がなくなるか分かんないし。えええ~。
お父さんは私の反応に動揺したのか、「あ、でも、苦しくなったらいつでも言ってくれていいから。絶対払えないってわけじゃないから」と慌ててフォローする。
お父さんにとっては、私より新しい家族のほうが、はるかに大事なんだ。それは分かっていたけど。こうも現実を突き付けられちゃうと……。
私はふうううーと長いため息をついた。
「……分かった。とりあえず、それでやってみる」
「ホントか? いや、助かるよ。あ、でも、厳しかったらいつでも言ってくれな、ホントに」
お父さんは明らかにホッとした様子だ。奥さんの望み通りにしないと、色々と大変なんだろうな。
「すまん、最後まで援助できなくて。でも、葵が自立しててよかったよ」
「……うん」
自立してるのかな、私。
これで、お父さんと会うことはますますなくなるんだろうな。つながりが、どんどん消えていくんだろうな。
「月3万円なくなるのって、痛いよね」
落ち込んでいる私の前に、心はオムライスが乗った皿を置いた。サイドディッシュはゴマだれをかけた温野菜のサラダ。
「とりあえず、これでも食べて、元気出して」
「ありがと」
心ははなまる亭でバイトを始めてから、料理の楽しさに目覚めたみたい。
市原さんたちパートのおばさんが「上手にできるようになったじゃない」って、しょっちゅう褒めてくれるんだって。はなまる亭では注文を受けてから作る焼肉弁当とかがあるんだけど、お客さんから「この間の、おいしかったよ」って褒められたことが嬉しかったみたいで。
人に評価されるのって、やっぱりやる気スイッチが入るんだね。
今は、はなまる亭にないメニューを作るようになって、私よりずっと上手になったし、レパートリーも多い。市原さんの教え方がよかったんだろうな。
ケチャップでオムライスの上にハートを書いてから、「いただきます」と手を合わせてスプーンを手に取る。
一口食べると、トマト味のチキンライスと半熟卵が口の中で溶け合う。
「ん~、おいしっ。心、どんどん料理がうまくなるよね」
「そう? 卵をもうちょいトロトロにしたかったんだけど。ケチャップは、ここのメーカーのがおいしい気がする」
心もオムライスを食べながら、うんうんとうなずいてる。
「ケチャップのメーカーまでこだわるなんて、プロの料理人みたい」
「市原さんが教えてくれたんだ。このメーカーのケチャップが一番だって」
「へえ~」
市原さんと心は相性がいいんだろう。心からはよく市原さんの話を聞くし、市原さんからも「心ちゃん、頑張ってるよ」とたまにメッセージが送られてくる。一緒に写ってる画像もあって、なんだかちょっとうらやましくなる。ホントの親子みたいで。
心はチラッと私の顔を見てから、「市原さん、葵と久しぶりに会いたいって言ってたよ。ずっと会ってないって寂しがってるよ」と言った。
たぶん、心は私の微妙な気持ちの揺れを察したんだろう。施設にいて、人の顔色を伺うことが身に沁みついているのかもしれないなって、時々思う。
「そっかあ。じゃあ、今度会いに行こうかな」
「うん、来なよ。店長さんもぎっくり腰から復帰して、前よりうるさくなくなったよ」
「そうなんだ」
そこはもう私のじゃなく、心の居場所なんだ。それは当然なんだけど、寂しく感じるのは何でなんだろ。
その年の夏休みは忙しかった。
やっぱり、これからお父さんをあてにできないって思うとプレッシャーがかかる。夏休みの間に稼げるだけ稼ごうって思って、井島さんから紹介された追加の教室も始めたし、老人ホームのワークショップも回数を増やした。
その合間に、純子さんが展示会に出店する時は店番やワークショップのお手伝いもした。純子さんからお金をもらうつもりはなかったけど、私の状況を知っているから、バイト代を払ってくれた。
「いいの、受け取って」と純子さんはいつも微笑んでいる。
その日はホビーショーに純子さんが出店するから、店番を手伝っていた。ランチ休憩をとったタイミングで、会場をぐるりと見て回った。
こういう展示会や即売会には、毎回必ず出店するミニチュア作家の人たちがいる。純子さんもその一人。すっかり顔なじみになった作家さんたちに挨拶しながら、新作を見せてもらったり、気になる商品を買ったりした。
すごいなあ。毎回、フードミニチュアとか動植物のミニチュアとか、販売用の商品を何十個も何百個も作っている人は尊敬する。私は自分が同じ作品をそんなにたくさん作って販売するイメージがわかない。そういうのは向いてない気がする。
かといって、純子さんのように毎回新作のミニチュアハウスを発表して販売するのも、できる気がしない……。お客さんから注文を受けて作るのはいいんだけど。そんなにポンポンアイデアが思いつかないし。
うーん。私は何で勝負したらいいんだろう。
そんなことをモヤモヤ考えながらブースを回っていたら、ふと隅っこにあるブースに目が留まった。
望月圭……えっ、圭さん!? 圭さんが出店してたなんて、知らなかった!
早足でブースに向かうと、そこには女性が一人スマホを見ながら店番していた。圭さんの姿も、佐倉さんの姿もない。佐倉さんは、もう秘書をやめちゃったのかな。あの時、相当怒ってたし。
ディスプレイ棚には、ミニチュアハウスが3つ置いてある。
圭さん、新作を作ったんだ!
グラビアアイドルとのデートを優先して、教室をドタキャンして炎上した騒動から、圭さんとは連絡が取れなくなってしまった。DMでも何も返ってこないし、おそるおそる電話をかけても留守電になってしまう。留守電にメッセージを残したから、聞いてるとは思うけど……折り返しはなかった。
気になりながらも、会わなくなって2年になる。
圭さんはその間に作品を発表することはなくなっていた。ミニチュアをやめちゃったのかなって思ってたけど、復帰したんだ!
私はワクワクしながら、ミニチュアハウスを覗き込んだ。
あれ……これ、ホントに圭さんが作ったの?
確かに、トルソーもあるけど。なんか、雑。トルソーに着せてある洋服のフォルムが崩れてる。生地の合わせ目も合ってないし、ボタンが等間隔に並んでない。
部屋の壁紙も、端の方が浮いちゃってるし。あ、タンスの引き出しもゆがんでる……なんか、初心者の人が作ったミニチュアみたいだ。
作品には数十万円の値がついてる。前に比べたら安くなってるけど、どれも売約済みになってない。
そうだろうな。この仕上がりじゃ、買おうと思わないよね。
圭さん、一体どうしたんだろ。
「あのっ」
思いきって店番をしている女性に声をかけた。女性は面倒そうにこちらを見る。
「あの、圭さ……望月さんは、今日は来てないんですか?」
「あー、私、店番を頼まれただけだから、詳しいことは分からなくてぇ」
「そうなんですか。じゃ、じゃあ、佐倉さんは」
「あー、その人に頼まれたんですけどぉ、知り合いですかぁ?」
「あ、前、一緒にお仕事をしていたことがあって」
「そうですかぁ。じゃあ、詳しいことはその人に聞いてください」
間延びした声で言うと、女性はスマホに視線を戻した。
よりによって、なんでこの人に店番を頼んだんだろ……。これじゃ、作品が売れないよ。
それ以上何も聞けず、ブースを後にする。とりあえず、佐倉さんは秘書を続けてるみたい。
圭さん、もうミニチュアを愛してないのかな。
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