見出し画像

梯久美子 『百年の手紙』 岩波新書

やっぱりナマに勝るものはない。ナマの生活のなかで生み出されたナマの言葉。ましてやさまざまに追い詰められた状況で、必死の思いで綴られた言葉には言霊がわんさかと宿っている。活字になった、しかもわずかばかりの引用を読んだだけでもそんなことを感じさせるのだから、自筆の筆圧の変化が如実にわかるような筆致で、書き手の体温が伝わってくるような便箋や葉書に書かれたものを手にしたら、気弱で虚弱体質の私なぞは腰が抜けてしまうかもしれない。

人は関係性の中を生きる。その人が置かれた環境の中でさまざまな影響を受け、あるいは与えて時事刻々変化しながら人生を全うする。人格とか性格の類も当然に生物個体としての個性もあるが、置かれた環境の影響もそれに勝るとも劣らず大きいと思う。或る人が誰かに書く手紙には、その人の生きた時代や環境が全て凝縮されているといえる。自分が意識するとしないとに関わらず、「私」は私個人ではなく、私を巡る関係性の結節点のようなものだからだ。

本書にはいわゆる思想犯として刑務所に収監されていた人が書いた手紙がいくつか紹介されている。今はこうして勝手気儘に好きなことを書いて公に晒しても、それが公序良俗に反していない限り何の規制も無い。しかし、それはたまたま今がそういうことになっているだけで、権力が大衆の思想にまで介入していた時代もあった。

権力が盤石であれば下々が何を言おうが知ったことではないが、権力基盤が脆弱であればその脅威に対して敏感にならざるを得ない。今我々が暮らしている時代は、そういう意味では安定している。また、様々な大衆文化娯楽が花開いた徳川治世もそういう時代だったのだろう。その徳川の世が揺らいで権力が交代した19世紀後半から20世紀前半は新権力が権威を誇示することに躍起になり、反対者を弾圧し、反対勢力と戦争をし、今から振り返ってみれば物騒な時代だった、と見える。その物騒な時代は世界秩序を決する大戦争で徹底的に敗北し、超大権力の支配下に組み込まれることで安定を得て今日に至っている、と私は理解している。

本書で紹介されている獄中で書かれた手紙のうち、いわゆる思想犯の手になるものは4人のものだ。幸徳秋水、管野すが、小林多喜二、宮本顕治で、幸徳と管野は東京監獄、小林が豊多摩刑務所、宮本が東京拘置所だ。

幸徳と管野の手紙が書かれたのは1911年で、当時の東京監獄、後の市ヶ谷刑務所は主に死刑囚の収監と死刑の執行が行われるところだった。二人とも大逆事件で死刑になった社会主義運動家で、おそらく捕まれば死刑との思いはあっただろう。管野の手紙は、手紙というには異様な形態だが、二人の手紙には本当に死を覚悟した者の心の静寂を感じる。

小林の手紙は1930年12月に志賀直哉に宛てて書かれたものだ。書かれた時点では小林が志賀に私淑していて、面識のない志賀に対して一方的に書いたファンレターのようなものだ。1931年1月に保釈され、11月に小林は奈良の志賀の家を訪ねた。奈良の旧志賀邸は現在、「奈良学園セミナーハウス志賀直哉旧居」として公開されている。豊多摩刑務所は1983年に閉鎖され、跡地が平和の森公園と東京都の下水道施設になっている。最寄駅は西武新宿線沼袋駅だ。以前、この二つ先の都立家政駅の近くに住んでいた。娘が小さい頃、平和の森公園には何度も一緒に遊びに出かけた。奈良の志賀直哉旧居も数年前に訪れた。ただそれだけのことだが、それだけのことでこの小林の手紙のところは妙に記憶に残った。

宮本顕治は、おそらく私世代なら共産党の「宮本書記長」として記憶に留めているのではないだろうか。今と違って野党それぞれに特徴のある看板政治家がいた時代の共産党書記長だ。本書で宮本顕治と宮本百合子が夫婦であったことを知った。己の常識の無さに苦笑してしまった。小説というものは殆ど読まないので、小説家のこともまるで知らないのである。

本書に紹介されているのは、その宮本顕治から百合子への手紙である。夫婦間の手紙であり、ラブレターだ。本書には紹介されている半分近くの手紙が何らかの形のラブレターでもある。自分にも経験があるが、終わってしまえば馬鹿馬鹿しいものだ。思い返してみて恥ずかしいというより不思議な感じがする。しかし、それは男女の間だけのことではなく、人間関係遍くそういうものであるように思う。

程度の差、持続時間の違いはあるにせよ、結局のところ世の中は人と人との縁や関係で成り立っている。その関係性の表現にどれほど工夫を凝らし、思索を重ねるかが関係性の強弱を左右する気がする。端的には、手書きの文章や手紙は文面以上のものを伝える力があると思う。達筆であるとか悪筆であるというのは、手紙の力にはあまり本質的なことではない。むしろ、そういうことを気にする相手というのは、大抵はつまらない人間なので、無視して差し支えないとさえ思う。そういうことではなくて、のたうつ線から文字という形状以上のものを伝え合う関係というものに人間の神秘を感じる、と言っては言い過ぎか。その手書きの文字でのやりとりが少なくなっていることが意味するところは何だろう。毎度同じようなことばかりなので、これ以上は書かない。


この記事が参加している募集

読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。