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三遊亭円朝作 『怪談 牡丹灯籠』 岩波文庫

自分の出身地に触れることがたまにあって、落語に地名として出てくることがあったかもしれないと気になった。「牡丹灯籠」で伴蔵とおみねが江戸から逐電するときに戸田の渡しがサラッと出てきた気がして本書を再読したのだが、私の勘違いだったようだ。

落語で「牡丹灯籠」を口演する場合、大抵は「お札はがし」の段だ。桂歌丸は「ライフワーク」と称して毎年夏に横浜の関内ホールで何日かかけて全段を演っていたが、とうとう一度も聴かなかった。「お札はがし」の部分の元ネタとされる「牡丹燈記」は柳家さん喬の噺で聴いたことがある。「お札はがし」以外のところを聴いたことがあるのは柳家喬太郎の「本郷刀屋」だけのような気がする。「本郷刀家」に似た噺で「普段の袴」というのもあるので、ひょっとしたら自分が意識していないだけで派生した噺をいくつか聴いているのかもしれない。落語を文字に起こしたものはつまらないことが多いのだが、流石に「牡丹灯籠」は読み応えがあった。落語というより講談の世界のようだが、圓朝はどんなふうに演っていたのか、改めて気になった。

「落語は人間の業の肯定」とは立川談志の言葉だが、談志存命の頃にこの言葉を聞いて、自分のわずかばかりの落語体験だけでは今ひとつピンとこなかった。なるほど本書は「人間の業」の展覧会のようなものだ。業に従って自分に都合の良い後先しか考えず、安直に人を殺す。安直すぎる印象もあるが、口演なのだからパンチのある話を繰り出していかないと聴衆を惹きつけられないという事情はある。だから書くことを前提に構想された物語よりも口演を文字に起こした話が安直に傾くのは仕方がない。

話は寛保3(1743)年から20年間ほどに亘って展開する。話全体の題名は「お札はがし」の段の怪談噺を指しているが、本題はその背後にある人間関係のドロドロだ。怪談噺の方で幽霊に取り憑かれて亡くなってしまう萩原新三郎は、その本題の人間関係から最も遠いところにいる人物だ。それが「虚空を摑み、歯を喰いしばり、面色土気色に変わり、よほどな苦しみをして」死んでしまうのである。これが全体約280ページの中の183ページあたりに記されている。本書では物語の本当のコアの流れと、この「お札はがし」の話が互い違いに展開する。しかし、その先を読むと、つまり、コアとなっている話の方を読み進めると、「お札はがし」は本当に幽霊の話だったのか疑念を覚えるほどに生きている人間の悪行が展開する。

本書の主題は因縁因果・因果応報だろう。人は因縁の中で生き因縁因果から逃れることはできない、ということを登場人物の中の手相見や和尚に語らせつつ、物語の方はその因縁因果に挑戦するかのような人々の悪事の連鎖で展開する。その筆頭が旗本飯島平左衛門の妻の付人で、妻の死後は妾になるお国。その挑戦者の前に立ちはだかる因縁因果のアイコンが飯島に仕える草履取の孝助だ。

お国は越後村上の荒物商樋口屋五兵衛の娘だが、五兵衛も兄の五郎三郎もフツーの人だ。お国がなぜか性悪で、五兵衛と後妻のおりえ(孝助の実母)はそのことに手を焼いた末にお国が11歳の時に江戸へ奉公に出す。お国がその後は江戸でどうしているのか音信が途絶え、五兵衛が亡くなった知らせにも反応しない。自分の我欲と損得勘定に忠実で、いわゆる人情とか義理といったものとは対極に在る人物として描かれている。

孝助は飯島が刀屋で刀の吟味をしているところに酔って絡んで飯島に切り殺された黒川孝蔵の息子だ。黒川の妻はおりえだが、黒川の酒乱もあり孝助4歳の時に離縁をする。孝助は孝蔵亡き後は叔父の下で養育されるが青年になって奉公に出る。多少の紆余曲折があって、飯島が父の仇であることを知らずに飯島の下に仕える。とにかく忠義で真面目な人物だ。飯島の方は、孝助の昔語りから、自分が若い頃に切り捨てた酔漢の倅であることを知る。しかし、孝助の人物を高く評価しており、孝助には孝蔵の一件は明かさず、ゆくゆくは名乗って孝助に討たれるつもりでいる。そして、真影流剣術の達人である飯島は自ら進んで孝助に剣術の手ほどきをする。

この話は落語、つまり、庶民の娯楽だ。市井の人々が面白がるような話でなければ噺として成立しないし、ましてや、今の時代に文庫本で誰もが気軽に読むものにもなり得ない。それが因縁因果の話であり、義理人情が我欲を制する話なのである。このことは、現実がそうではないということでもあり、だからこそ人々がそういう正義を欲しているということでもある。物語の舞台は江戸時代で、噺が成立したのが明治でも、今、こうして読んで内容に違和感を覚えることはない。生活の風景が変化して、さまざまな新しいことが生まれているかのように見えるが、人の本来的な部分というのはそう簡単に変化するものではない。古い話を見聞するにつけ、いつもそんなことを思う。

ところで、「お札はがし」で新三郎が谷中の新幡随院の和尚から授けられる死霊除けのお経がある。雨宝陀羅尼経うほうだらにきょうといい、宝を雨のように降らせる経だという。なぜ宝を降らせることが死霊除けになるかといえば、その宝の中には金無垢の海音如来という死霊を寄せ付けない強さを持つ仏像も含まれるからだ。落語の方でこのお経を演ったのを聴いた記憶がないのだが、確かに難しそうだ。

ちなみに、これまで書いたnoteの記事で戸田に触れたのは以下の通り。

見出しの写真は豊島区西巣鴨にあるお岩通り。近くの長徳山妙行寺にお岩の墓がある。境内には「明治四拾弍年四谷より移轉」と記した石碑がある。圓朝の落語で『四谷怪談』もあるが、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の方が有名だろう。墓があるということは実在の人物だったのか、と思うのである。伊右衛門とお岩という怪談とは縁のない夫婦が実在しており、存命中に『東海道四谷怪談』が評判になり、大変迷惑を被ったという話を聞いたことがある。それで然るべき筋を通して鶴屋南北に抗議したのだが、南北の方は作り話であるとして抗議に応じなかったという。作り話である証拠に「東海道」に「四谷」は無いではないか、と言ったとか言わなかったとか。

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