月例落選 俳句編 2022年6月号
このところ落選ばかりだ。これは非常事態だ。というわけで、見出しの写真は消防署にした。最後に入選か佳作で作品が掲載されたのが、『短歌』の2021年11月号だった。
さて、俳句の方は2月末日消印有効で短歌は3月15日必着分。時間順で俳句から。
題詠の兼題は「愛」または「足」。今回は「足」を選んだ。「愛」に縁が薄いので、実質的に選択の余地がなかった。
足るを知れ田楽ひとり五本まで
朝寝して欠勤続き足上がる
どちらの句も何のことかわからない。どちらも落語のことを詠んだ。下地になる噺を知らないと全くわからない。しかし、噺のほうを知っていると、面白くも何ともない。俳句を詠むということに対する無気力な感じが漂う趣のある句である。
「田楽食い」または「ん廻し」という噺がある。上方落語なので話の中で「おでん」とも呼ばれている。東京で言うところの「おでん」は上方では「関東炊き」で、上方の「おでん」は「お田」、つまり田楽だ。
噺の中では、新規開店の豆腐屋が宣伝を兼ねて近所に田楽を大量に配ったという設定だ。主人公の家では近所の若い者が集まってワーワーやっているところに田楽がたくさん届いた。そのまま食べるのでは面白くない。たいてい田楽には味噌をつけたりするのだが、「ミソをつける」というのは験が悪い。そこでミソではなく運がつくように「ん」のつく言葉を言って田楽を食べるという噺だ。
季語は「田楽」、季節は春。田楽には蒟蒻や里芋を使ったものもあるが、春の田楽といえば木の芽味噌を塗った豆腐田楽を指す。
「足上がり」も上方の噺だ。「足が上がる」とか「足上がり」といった言葉は今では死語なので辞書のようなものには載っていないが、解雇されるという意味だ。
噺のほうは、ある商家の番頭が「得意先廻り」と称して外出して芝居を観に行く。たいそう贅沢に着飾って女性を連れて出かけるが、そういうことを繰り返しているうちに主人の知るところになって暇を出される、「足が上がる」という噺だ。
季語は「朝寝」、季節は春。
雑詠は以下の三句。
産を問う浅蜊はどれも海のもの
春吹雪今年は一服温暖化
梅の香をマスクで受ける世紀末
浅蜊は春の季語。ちょうど浅蜊の産地偽装が話題になっていた。確かに蜆には青森の十三湖、島根の宍道湖、茨城県の涸沼といった有名な産地がある。三重県桑名の蛤も有名だ。しかし、浅蜊にもそういうものがあるとは知らなかった。それにしても、そういうものの味の違いがわかる人がどれほどいるものなのだろうか。そういえば、昔『川の底からこんにちは』という蜆にまつわる映画を観た。オマケで蜆柄の手ぬぐいをもらった。
たまに行く蕎麦屋では、その日の蕎麦に使った蕎麦粉の産地を店内の目立たない場所に表示している。たいてい北海道内の地名だが、たまに信州とか関東の時もある。支払いの時、店の人に産地による違いはあるのかと尋ねてみたところ、「正直なところ、私にはわからないのですが、ぴたりと当てるお客様がいらっしゃるから、やっぱり味が違うんでしょうね」とのことだった。浅蜊の場合も、やっぱり産地は大事なのかも知れない。
春吹雪はもちろん春の季語。今年は春先の気温が低い気がした。何となく不安で、いつまでもストーブを仕舞うことができなかったが、先週末にようやく物置に入れた。世間では「温暖化」と喧しいのだが、地軸の変化の周期からすると地球は氷河期に向かっているらしい。「温暖化」と言う時の平均気温のシュミレーションには地軸のことは入れていないだろうから、騒がれるほど心配しなくても大丈夫ではないかと思ったりもするのである。それもあって、今の団地に越してきて9年が過ぎたが、まだエアコンを買っていない。暑さが本当に厳しいのは年に2週間ほどだ。その2週間のためにというのもなんだかなぁ、と思っているうちに毎年夏が過ぎていく。さて、今年はどうしようか。
梅は春の季語。今暮らしている団地の敷地内に梅の木が何本もある。梅の香りが漂うと春だなと思う。梅に鶯、ではないが、本当にメジロが梅の木にとまっているのを今年は見た。おー、っと思い、少し興奮してしまった。しかし、そういうことはなぜか詠むことができない。素直じゃないのかもしれない。自分ではこれほど実直な人間はいないと思っているのだが。
駅までの途中にも庭に立派な梅の木のある家が通りを挟んで建っていた。片方は農家だったようで、もう片方が建売のような家だった。何年か前に農家の方が取り壊され、梅の木も伐採され、敷地いっぱいに託児施設が建設された。昨年、梅の花の終わる頃、建売風の方も住む人がいなくなったようで、家はまだそのままだが、庭木がほとんどなくなってしまった。今年の春先は団地と駅の間が寂しくなった。
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