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『工芸青花 16』 新潮社 / 坂田和實 『ひとりよがりのものさし』 新潮社

今となっては何で知ったのか記憶に無いのだが、1,000部限定で発行されている『工芸青花』という定期刊行物を購読している。記事のほうは何を言っているのか理解できないものが多くてあまり読まない(読めない)が、写真が良く、写真集のようなつもりで目を通している。本号は先月半ばに届いたが、この連休にようやく開いてみた。

著名な古道具屋が次々と店を閉じたそうだ。2019年に麻布十番「さる山」、2020年に西荻「魯山」と目白「坂田」。古道具というのは私には敷居が高くて近寄り難く手の届かない存在だ。「坂田」の店主である坂田和實の「ひとりよがりのものさし」(新潮社)は愛読書のようなもので、折に触れてはパラパラとめくって読んでいる。本書は月刊誌『芸術新潮』の連載をまとめたものだ。『青花』の記事と違って読みやすく、しかも深い。千葉県長南町にある「坂田」の私設美術館「as it is」にはレンタカーで何度か出かけた。自分でも道具屋をやってみようかとも考えて、あれこれ思いついたことを書き殴ったノートの切れ端を捨てられずに手帳のカバーのポケットに挟んでいたりもする。そうした上で、自分にとっては敷居が高いと感じるのである。

茨木のり子の詩に「自分の感受性くらい」というのがある。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

(『茨木のり子全詩集』花神社 167-168頁)

古道具屋を前にすると、この詩が思い浮かんでしまって、中に入ることができないのである。怠け者で、心身ともにしなやかではなく、なにもかも下手くそで、ひよわな志しかなく、尊厳を簡単に放棄している、ばかものとは私のことだ。骨董だの古道具だのを見る眼など持ち合わせていない、と思ってしまう。

その点、本や雑誌は気楽に手に取ることができる。能書や蘊蓄はちゃんと理解して書いているのか、どこかで聞き齧った受け売りなのか、読めばだいたい伝わってくる。坂田の『ひとりよがりのものさし』は優しそうなタッチだけれど、人としての値打ちを問われているようで、やはり読んでいると「ばかものよ」と怒られているような気分になってしまう。

普段の生活の中で、ちゃんと怒られる機会は滅多にない。怒られたりクレームを受けたりするのは、こちらの不行き届きももちろんあるのだが、相手のエゴに因るところも少なくない、と思っている。茨木の詩や坂田の文章には真摯なものを感じて、怒られているけれど嬉しいのである。

僕とあなたは違う人間。同じものを同じくらい好きということはあり得ない。今の時代、何が好きかを明確にしても切腹させられることはないのだから、一人一人が自分の責任で何が好きなのか、つまりはどんな道を歩きたいのかを声高く言い続けなくてはいけないと僕は思う。
(『ひとりよがりのものさし』15頁)

その通りだとは思うのだけれど、ちょっと「声高く」は言えない。ボソッとなら言えるかもしれないが。おそらく、好きなことを好きと言ったり好きな道を歩いたり、つまり、しあわせに生きることは、それほどむずかしいことではない。ほんのちょっと吹っ切れば良いだけのことだ、とは思う。

 小谷さんは、骨董や道具の美しさは、遊び心を持っていないと感じることが難しく、一旦、その美しい線を自分のものとして会得してしまうと、あとは、たとえ西洋の物であろうと東洋の物であろうと、古代の物でも現代の物でも、又、高価なものでも道端に落ちているものでも、その選択は単に応用問題にすぎないということを、僕達、若い仲間に教えてくれた人。房総の網元の生まれで、仕事の関係上お持ちだった船を、遊びのために次ぎ次ぎと売り払い、最後に残ったものは、一枚の板切、使いこまれたボロ布、サビた鉄金物、シミの入った侘びた陶片。服装も古いアメリカ製ジーンズや、イギリスのヨレヨレのコートなどがお好みで、道具屋をやめた後は、その風貌と着こなしを見込まれて、ファッションのモデルもしていた。
 僕達から見れば、好き嫌いというだけの選択で骨董道楽に生きた、稀な、又羨ましい人だったけれど、ある時「何ともない人生だったな」と、ポツリひとこともらしたことがある。亡くなる一ヶ月前に戴いた手紙は、いつもの太めの朴訥な鉛筆文字で、「永い間、つき合ってくれて有難う。楽しかった。さようなら。」だった。享年七十八歳。
(『ひとりよがりのものさし』27頁)

この小谷伊太郎という人がどのような人なのか全く知らないが、自分も最後にはこんな手紙を出す相手がいたらいいなと思う。


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