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続 『和の思想 日本人の創造力』

で、その「らくごカフェ」を初めて訪れた日のこと。そのビルの外に長蛇の列があった。「えっ、そんなに売れてる噺家だったの!」と驚きつつ、その列の後ろに並んだ。そのカフェは定員が30人ほどと聞いていた。事前に予約もした。それなのに、その列は30人どころではなかった。暫く並んでみて「まてよ」と思い、列の前のほうへ探索に行ってみた。列はビルの中に入り、さらに階段に入り、上の階へ向かって続いている。そこで列に並んでいる人に尋ねてみた。
「あのぅ、何の列ですか?」
「カレーです」

ところで、第五章「間の文化」で感心したのは俳句の話だ。

古池や蛙飛びこむ水のおと 芭蕉

 芭蕉の古池の句は「古池に蛙が飛びこんで水の音がした」という句ではなく、「蛙が水に飛びこむ音を聞いて心の中に古池の面影が広がった」という現実の水音とそれを聞いて芭蕉の心に浮かんだ古池の面影の取り合わせの句だった。
 なぜ俳句という小さな器の中で現実と心という次元の異なる二つのものが互いに調和し、共存できるかといえば、この句が「古池や」のあとで切れて、ここに間が深々と開けているからである。この間の働きによって「蛙が水に飛びこむ音を聞いて、心の中に古池の面影が広がった」という現実から心の世界への奇跡的な飛躍が楽々と果たされる。
 古池の句が仮に「古池に蛙飛びこむ水の音」だったなら、ここに間はない。

115頁

感心というより感動した。切れ字とはそういうものだったのかと今ごろ知った。

 俳句を詠むということは言葉だけでなく、切れを使って言葉のまわりの間を使いこなすことなのだが、俳句をはじめたばかりの人は間が見えないので言葉だけでものをいおうとする。いきおい俳句という小さな器に言葉を詰めこんで窮屈な句にしてしまう。名句といわれる句は窮屈な印象を与えない。長谷川等伯の「松林図屏風」の松のように豊かに広がる余白のあいだに静かにのびのびとたたずんでいる。

116-117頁

この数ページの文章に出会っただけで本書を読んでよかったと思う。それも時間に余裕をもって落語会に出かけたおかげであり、注文した上海焼きそばがすぐに出てきたおかげであり、東京堂書店がその時間に営業していたおかげである。いわば縁だ。ささやかなことかもしれないが、ここで俳句の切れについて「はっ」と思ったことでこの先何かが大きく変わらないとも限らない。

「松林図屏風」が例に引かれているが、「間」は俳句の切ればかりではなく、日本の絵における何もない空白であるとか、日本の古い建築における空間であるとか、生け花の表現など様々なところで語られる。それは表現者も鑑賞者も空想を拡げる余地として存在するのであって、その空間があることで表現や鑑賞の奥行きが生まれる。当然、表現する側が想像する「間」における奥行きと鑑賞する側のそれとは必ずしも一致しないし、互いが全く異質のことを想像することも少なくないであろう。しかし、だからこそ対立することなく豊穣な世界が広がり得るのではないか。「私」と「あなた」は違って当たり前なのである。その違う者同士が調和を図ろうとすれば、対立を呑み込み、その対立が取るに足りないもの、それどころか心地良い景色に感じられるようなものに転換してしまう装置のようなものがどうしたって必要になる。それこそが「間」というものなのだろう。

和とは異質のもの同士が共存し調和することだった。その和が誕生するためになくてはならないものが、じつは間なのである。和は間があってはじめて成り立つということになる。

108頁

たしかに間は誰にでも通じるわけではない。発信者と受信者、芝居の場合は役者と観客のあいだに共有する場がなければならない。しかし共有の場が成立すれば、間は言葉よりもはるかに洗練された伝達の手法である。

124頁

近頃はなんとなく人と人との間に共有する場が窮屈になった。それは私個人の感覚なのか、他にもそう感じている人が多いのか、それはわからない。

長谷川は日本の文化で「間」が重要な役回りを果たす由来を『徒然草』に発見した。第五十五段にこうある。

 家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころわろき住居は、堪え難き事なり。
 深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりよりも明し。天井の高きは、冬に寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定めに合い侍りし。

西尾実・安良岡康作校註『新訂 徒然草』岩波文庫 102頁

『徒然草』の「夏を旨とすべし」という一文は日本人の生活と文化すべてに及ぶ鉄則なのではないか。日本人であれば誰もが経験からわかっているにもかかわらず、いやそれゆえに滅多に意識しない隠れた常識だったのではなかろうか。こうして日本人は蒸し暑い夏を何とか快適に乗り切るために生活や文化のあらゆる場面で間をとることを身につけた。その間はさまざまな異質のもの、対立し合うものを和ませ、なじませる和の創造力を秘めている。つまり和を成り立たせているものもまた日本の蒸し暑い夏ということになるだろう。

132-133頁

今年もエアコンなしで夏が過ぎた。もう何年もそういう夏を過ごしているので、なおさら本書の記述が腑に落ちる。「日本の蒸し暑い夏」と書いているが、日本の風土全体に敷衍して言えることだと思う。

本書ではこれに日本と中国の書画の比較を論じている。言うまでもなく書は大陸から日本に伝来した。母語をそのままで文字だけ取り入れたという事情も勘案しなければならないだろうが、遣唐使の廃止後、日本語の表記が揺らぎだしたというのである。例えば仏教の経文は縦横整然と文字が並び、それは経文においては今なお変わらない。しかし、経文同様整然としていた書のなかから、ある時期以降「書き散らし」のように文字が躍るものが登場する。そのきっかけになっているのが遣唐使の廃止ではないかというのである。そうして、やがてひらがなやカタカナが生まれる。漢字と仮名では字画が比較にならないほど違う。文字自体に「間」が内包されているかのようだ。

絵の方では「清明上河図」と「洛中洛外図」を比較している。なるほど前者は緻密に風景を余す所なく描いているが、後者は金雲が画面の大きな部分を覆っていて隙間に風景が描写されている。余白の広さが無と有なので比較にならない。

食にしても日本の食事は素材の味を引き出すところに料理人の腕を見る。コンソメもフカヒレスープも旨いものは感激するほど旨いが、その後に茶漬けが欲しくなることもある。

気持ちの持ち方とか気の使い方にしても、用意周到であったりベタベタしたものは好まれず、程の良さが大事とされる。茶道や花道での視点は様々なことを考慮した上で、そのことを表には出さずに表現することが尊ばれる。「表に出さずに表現する」というのは矛盾するようだが、いわゆる「粋」とはそういうことだ。わかる相手とだけわかりあえれば良いのである。有象無象あまねく、という闇雲に多数を相手にしようとする姿勢はそこには無い。

 この国では何ごともこだわるより、なりゆきに任せることが重んじられる。周到に準備されたもの、完璧に整えられたものは感心されるが感動されることはない。周到に準備したり完璧に整えたりすること自体煩わしく暑苦しい、つまり野暮である。
 日本人が心から感動するのは臨機応変になしとげられたものであり、ありあわせのものである。これが難しい。周到に用意することは人の力でできるが、なりゆきに任せるには人の力だけでなく、それを超える力が加わらなければならない。ただこの二つの力が合わさったとき、そこには自由自在な無上の間が生まれる。このとき日本人はよいものにめぐりあえたとしみじみ心を動かされるのだ。

152頁

連歌や連句も同様だというのである。「万葉集講座」のときも歌仙の回があって、実際に出席者を半分に分けて、2つのグループでそれぞれに歌仙を巻いた。講師は永田和宏先生で、やさしく教えて頂いたのだが、何も思い浮かばず、ただ他の人の投句を聞いているだけだった。そんなことはともかく、連句でこだわらないことが特に求められるのが恋の句というのは示唆に富んでいる。

 連句においてこだわらないこと、執着しないことがことに求められるのは恋の句である。恋の句は二句もつづけばいくら未練が残っていようともさらりと捨てる。歌仙は三十六句連ねる連句の一形式である。芭蕉が門弟の去来、凡兆と巻いた歌仙「市中の巻」の終わり近くにこんな付け合いがある。

 さまざまに品かはりたる恋をして   凡兆
 浮世の果は皆小町なり        芭蕉
 なに故ぞ粥すするにも涙ぐみ     去来

 凡兆の句はさまざまな身分の女性との恋に浮名を流す在原業平か光源氏のようなプレイボーイを描く。それに対する芭蕉の付句は恋の遍歴の果てに老いさらばえて諸国をさすらう小野小町。いくら絶世の美女といっても最後はみなこんなありさまというのだ。
 さてその次はどうなるのかと期待すれば恋の付け合いはこれでおしまい。粥をすすりながら涙ぐむ老残の人を描く去来の恋離れの句がくる。濃密な恋の一夜が明けて寒々とした霜の朝を迎える気分といえばいいか。もしここで去来が恋にこだわりつづければ歌仙は停滞し、べたべたと暑苦しいものになっていただろう。

154-155頁

似たようなことは万葉集講座でも永田先生から伺ったし、長谷川、永田両先生に小説家の辻原登が加わった三名での著作である『歌仙はすごい』(中公新書)にもたぶん書いてある。それでも、これほど「なるほど」と思わせるような語りではなかったと思う。自分の若かりし頃を思えば、ストーカーのように気になる相手を追ってしまう気持ちはわからないでもないのだが、やはり何事も「程」が肝心だ。付かず離れずの微妙な距離感を保つこと、保ち続けること。それこそが「粋」であり、良好な関係の源だと思う。思うけれども、難しい。相手も自分もそれぞれに動いているから。「安定」なんて言うのは所詮幻想だと思う。しかし、諦めてはいけないのである。生きているのだから。生きるとは幻想を追うこと、という側面も確かにある。

ところで、以前、甲斐善光寺にお参りしたとき、宝物館に小野小町最晩年の姿とされる木像が展示されていた。一体、誰が何のために作らせたのかと思う。せっかく美人の代表ということになっているのだから、そういう伝説を大切にすればよさそうなものを。粋じゃない。

本書ではまた『徒然草』からの引用が登場する。今度は第七十二段。

 賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる。
 多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。

西尾実・安良岡康作校註『新訂 徒然草』岩波文庫 129頁

 「賤しげなる物」の一つに「人に会ひて、言葉の多き」おしゃべりが入っている。なぜおしゃべりが「賤しげ」かというと、言葉は本来、暑苦しいものだからである。言葉は心と心をつなぐものだから人と人との間を埋める。そこでこの国の人々は昔からできるだけ言葉を使わない工夫をしてきた。いいかえれば慎ましさを美徳のひとつにしてきた。慎ましくあるための条件は言葉数が少ないことである。言葉はできるだけ使わず沈黙、間によって互いにわかり合う。これこそ最上のコミュニケーションなのだ。黙っていて分かり合うのが「いき」、間が読めないのは愚の骨頂ならぬ野暮の骨頂ということになる。

157-158頁

なるほど、と思うと同時に、今回もずいぶんな文字数を無駄に費やしていることに気づく。愚も野暮も行くところまで行った感がある。ま、今更仕方がない。とはいえ、諦めてはいけない。生きているのだから。

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