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長谷川櫂 『和の思想 日本人の創造力』 岩波現代文庫

先日、神保町にある「らくごカフェ」で「ちょうば、りょうば 二人会」を聴いた。夕方の会だったので、開演より早めに出かけて揚子江菜館で腹ごしらえをして、それでも時間に余裕があったので東京堂書店で時間を潰した。その時、何となく目について買い求めた。

10年近く前、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録された。「和食」って何だろうと素朴に疑問に思ったし、同じような疑問を抱いた人は少なくなかったようで、当時はそこそこに話題になったと記憶している。世間には「和」が溢れている。和食、和菓子、和歌、和服、和室、和風庭園、和風建築、その他「和風」ナントカ諸々。しかし、おそらく誰もそれが何たるかを明確には説明できないだろう。

「和」に対するのは「洋」だろうが、「和」がはっきりしないのだから「洋」がはっきりするはずがない。日本人にとっては「和」は己のアイデンティティの一端を構成するものかもしれないが、そうであるとするなら、アイデンティティなどというものは儚いものである。

とはいいながら、人それぞれ、文化それぞれの色がある。本書では長谷川が考える「和」が語られている。

本質的な定義が難しいのは和菓子だけではない。「和」をかぶせた和服、和食、和室、さらに「日本」をかぶせた日本料理、日本庭園、日本建築の「和」あるいは「日本」という言葉が抱えこんでいる問題でもある。和とは何か、日本とは何か。いいかえるなら日本はどういう国なのか、日本人はどのような人々なのかという日本人の本質(アイデンティティ)の問題なのだ。
7頁

本書の冒頭は和菓子の話。何かの座談で「和菓子」の定義が「江戸時代の終わりまでに日本で完成していたお菓子」だという話を聞いた長谷川が、その定義にモヤモヤするというところである。しかし、これは和菓子屋の業界団体の加盟資格にも関連することなので、業界でははっきりしているのだという。業界団体に加盟云々というのは商売をしている当事者にとっては切実なことなのかもしれないので、その定義が満場一致で承認されるものであるか否かはともかくとして、何がしか明確なものがないといけないというのは理解できる。しかし、江戸時代の終わりまでに完成って、何だか私もモヤモヤする。この定義に従えば、明治に登場した鯛焼きは和菓子ではない。かといって、洋菓子でもないだろう。そもそも「和」と「洋」の二者択一というのもおかしな話だ。

 近代化が西洋化でないなら近代化とはいったい何だったのか。近代化がはじまった十八世紀のヨーロッパやアメリカにさかのぼれば、近代化とは「大衆化」だったことがわかる。
 大衆化とは王侯貴族などの少数者に代わって多くの人々が政治、経済、社会、文化のさまざまな分野で決定権をもつようになる現象である。十八世紀半ばにイギリスではじまった産業革命による大量生産は、経済つまりお金の大衆化が促した現象だった。それ以前は少数の王侯貴族のために少数の職人たちが手の込んだ工芸品を作っていればすんだのだが、多くの人々が小金をもつようになって大量の画一的な製品を消費するようになったのである。
32-33頁

19世紀に開国した日本にとっては西洋化と近代化を区別を意識する余裕のないくらいにいっぺんに大量の欧米の文物が流入したということだろう。また、それを可能にしたのは欧米の側での産業革命や市民革命による工業化の進展であり、そうした科学技術や社会の変化がもたらした資本の成長だ。明治維新前後の世界の動きを概観すると以下のようになる。

1851 イギリス:万国博覧会
1852 フランス:第二帝政成立 ナポレオン3世
1853 ロシア:クリミア戦争
1856 中国:アロー号事件
1858 インド:ムガル帝国滅亡 英領インド成立
1860 中国:英仏 北京占領 北京条約
1861 イタリア:イタリア王国成立
        アメリカ:南北戦争
1863 アメリカ:奴隷解放宣言
        イギリス:ロンドン地下鉄開通
1865 イギリス:第二次産業革命
1867 ドイツ:オーストリア=ハンガリー帝国成立
1868 日本:明治維新
1869 アフリカ:スエズ運河開通
        アメリカ:大陸横断鉄道開通
1870 フランス:第三共和国成立
1871 ドイツ:ドイツ帝国成立
1876 アメリカ:ベル 電話機発明
1877 インド:インド帝国成立 皇帝 ヴィクトリア英女王
        ロシア:露土戦争
        アメリカ:エディソン 蓄音機発明
1879 アメリカ:エディソン 白熱電球発明、イーストマン 写真フィルム製造
1882 イギリス:エジプト占領 3C政策

何となく日本の開国と維新は欧米列強の「進んだ」文化に圧迫されて行われたかのように語られている気がするのだが、こうして出来事を並べてみるとあちらの側もまだまだこれからという感じがする。日本が「急速に」近代化を図った、とされるが、変化の速度という点では実はそれほど大きな差があったわけではなさそうだ。

産業革命で近代工業が興ると規格化された製品が一度に大量に出来上がる。生産のための原材料の調達も、大量に生産された製品の販路もどちらも必要だ。そして、生産と流通の基盤を整備する巨額の資本も必要だ。どの要素もそれぞれに重要だが、敢えて順位をつけるとすれば、販路=消費だろう。規格化された製品を大量に消費するライフスタイルがなければ生産自体に意味はない。需要の無いところに供給をしても在庫が溜まるだけなのだから。

ライフスタイルというものは急に変えられるものだろうか。自分の60年の人生を振り返れば、変えようと思うも思わないも、否応なく変わる、というのが実感だ。産業革命は科学技術の変化だけではなく、それによって人々の暮らしを支える社会経済の仕組み全体を産業の側に寄せて変化させ、それと相互に関連して人の意識も変化して、市民革命、民族運動、その他諸々地球上の人間社会丸ごとの大変化が展開したのだろう。

そうして資本の投入から原材料調達、生産、流通、消費というサイクルが回り出すと、サイクルの規模が大きいだけに、それが産み出す利潤も巨額になる。19世紀はその巨大資本システム構築競争の時代で、鎖国をしていようがいまいが当時の日本には否応なくそうした潮流への対応が求められたのだ。その資本の流れを軸にした社会はその後も今日に至るまで増殖を続け、たぶん止まることを知らない。その潮流に乗ることができなければ、、、、

Edward Duncan "Nemesis, destroying the Chinese war junks, in Anson's bay, January 1841"
1843年 原画は彩色銅版画 これは東洋文庫で購入した絵葉書

世界史の教科書に必ずと言っていいほどに載っている絵だ。日本では『アヘン戦争図』と呼ばれている。1841年1月7日のアンソン湾(中国名:穿鼻洋)での海戦の様子を描いたもので、作者のダンカンは記録をもとに想像で描いている。想像だからこそ、当時の雰囲気がわかるということもある。手前の古色然とした木造帆船が、遠くの鋼鉄船Nemesis号から砲撃を受けて成す術もなく炎上している。約3時間半の戦闘で、遠景のNemesis号1隻が中国ジャンク船11隻を撃破したとされている。19世紀という時代の地政学上のイメージはこういうものだったのだろう。工業化あるいは資本の成長というのは圧倒的な潮流であり、それに逆らえば駆逐されるのである。

「和」に対するのは「洋」というよりも、世界の近代化、工業化、大衆化なのだろう。しかし、対立するものとして近代化があるのではなく、「和」もそうした変化の中で自ずと変容しているということなのだと思う。鯛焼きも「和菓子」ではないけれども、日本で生まれたという意味では「和」の食べ物であるには違いない。たとえ鯛焼き屋が和菓子の組合に加入できないとしても。

和菓子の話は本書ではマクラにあたるところで、本論は全然別のはなしなのだが、すっかり長くなってしまったので今回はここで一旦終わることにする。本書を読んで感心したのは、五章の「間の文化」と六章の「夏を旨とすべし」なのだが、ここまで書いて全くその片鱗すら見えないというのが我ながらスゴイと思う。つくづく自分は余談を生きているのだと思う今日この頃だ。

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