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飯田真・中井久夫 『天才の精神病理 科学的創造の秘密』 岩波現代文庫

天才は忘れた頃にやって来る、とは誤変換かもしれない。大衆の一員として凡庸な毎日を暮らしていると「天才」と呼ばれる人とはそう滅多に出会うものではない。ほんとうは「天才」とは如何なる人のことか、というところから考えないといけないのだろうが、自分に縁がなさすぎて考える気が起こらない。本書はこんなふうに始まる。

 科学者のうみだす世界は全く非個性的な知的生産物であって、われわれ精神科医学者などの立ち入る余地はないようにみえる。たしかに科学者の発見する事実あるいは法則は、何よりもまず超個人的な客観性が要請されることは自明であろう。しかし成立の事情に即してみるならば、科学的世界もまたそれをうみだす科学者の個性の強烈な刻印をうけていることが明らかとなる。それどころか人が科学と出会い、科学者となり、科学的業績をうみだしてゆく過程は最も個性的な人間のドラマなのではなかろうか。このような意味で、天才的科学者の自己形成の歴史、その学問の個性的特徴、彼らの創造性の内的秘密を追求する研究、すなわち科学者における人間の研究は、われわれにとってきわめて魅力ある主題となる。その際、創造性についての精神病理学は有力な探求の方法を提供するだろう。

1頁

いわゆる「天才」は人並み外れているという点で精神病理学の対象となるというのである。なるほど「病気」とはそういうものかと妙に納得した。よく「天才」と呼ばれる人の「天才」性を語るのに変人風のエピソードが用いられるが、たいていは作り話であるにせよ、そういうふうに世間から思われるような何かがあったのは確かであろう。世間並み、常識的な発想からは革新的なことは生まれない。科学者に限らず、芸術、政治、実業、その他の分野でも、画期を成すような業績を残した人には、どこかしら精神病理学の対象となるような個性があるということになる。

「天才=有名=スゴイ」という俗な感覚に従えば「天才」は憧憬の対象なのだろうが、「人並み」から外れることは外れた本人からすれば必ずしも居心地の良い状態とは言えまい。身近にそういう人がいないので、天才がどうこうということは自分に引き付けて考えることができない。しかし、本人はしんどいだろうとはなんとなく思うのである。

多くの神童は思春期以後、心的不調和からヒステリー状態となり、没落してゆく。(略)
 知性の芽ばえが究極的に一つの「奇蹟」であることは、ウィーナー自身のいうとおりであろう。しかし周囲の敵意や環境の心理的緊張の高さは一般に早く自他を区別させ、早熟な自己意識の発生をうながすものである。知的早熟児が、英米でいえばユニテリアン、長老教会などの宗教的少数派、ユダヤ人などの少数民族、あるいは家族内緊張の高い家庭に生じがちなのはこのためではないだろうか。また逆に、早い自意識は周囲の緊張関係を過敏に感受するだろう。これは一つの悪循環である。そして家庭内の緊張の高さと己れの無力さを自覚した子供は、あるいは自分が誰に対しても害意のないことを証明するために、あるいは大人の世界の葛藤から逃れる避難の場所として、あるいは知的早熟によって一種の擬似的な「大人の世界の市民権」を獲得し、それをかざして大人の世界の葛藤の解決者、あるいは一方の戦士となるために、あえて「神童となる道」を選ぶのではないだろうか。神童は決して「なんとなく」そうなるものではないのである。

210頁

上に引用した中に登場するウィーナーとは数学者のノーバート・ウィーナーのことである。本書で取り上げられているのは、ウィーナーを含め以下の6人だ。
アイザック・ニュートン(Isaac Newton, 1643-1727)
チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin, 1809-1882)
ジグムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein, 1889-1951)
ニールス・ボーア(Niels Bohr, 1885-1962)
ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener, 1894-1964)
なぜこの6人かということは書かれていないが、それぞれに興味深いものだった。ボーアについては、以前ここで取り上げた山本義隆の本にもその名前が登場している。しかし、この6人がどれほど「天才」なのか、私にはやはりわからない。

 科学のあゆみを病蹟学の立場から眺めてみると、まず分裂病圏の科学者によって一つの学問の体系が一挙に創始され、躁うつ病圏の科学者はそれを肉づけ、現実化し、発展させたりする。また躁うつ病圏の科学者は科学的伝統の担い手となり、それを次代に継承する役割を果たしたり、ときには先行する学説や事実を統一して綜合的な学説を編み出す場合もある。神経症圏の科学者のある者は、かけ離れた事実、異なった学問領域を架橋し、相互の連関をさぐる働きをするという印象がある。このように、科学の発展段階とさまざまの気質的特徴との出会いが人を科学へとみちびき、科学の歴史的発展を担う大きな要因の一つとなっているのではなかろうか。この仮説を跡づけることは、なお今後の研究に待ちたい。

252頁

このように本書は締められている。へぇ、そういうものか、とただ感心する。尤も、何が発展で何が後退なのか、何が創造で何が破壊なのか、明確にできるわけでもないだろうし、振り返ってみて、その振り返りの時間軸に応じて見えて来るものではあるのだろう。

今、こうして生きている自分自身を構成する細胞の殆どが生成消滅を繰り返している。ある特定の機能、特定の部位に限定して観察すれば、正常だったり異常だったりするのだろうが、とりあえず私は今、心身の特段の変調を自覚することなく、こうしてこの駄文を書いている。この視点を私というコスモスから私が今いる場、日本、アジア、世界、地球、宇宙、、、と引いていったときに、やはり、それぞれの構成要素(人、集団、組織、地域、国家、など)がそれぞれに明滅しているのだろう。そして、私自身は遅かれ早かれ滅する。この視点を私というコスモスから私がいる場、日本、アジア、世界、地球、宇宙、、、と引いていったときに、やはりそれぞれの構成要素がそれぞれに滅するのだろうか。個と集合体との連続性や非連続性をどう捉えたらよいのだろうか。

それにしてもなぜこの6人なのだろう。筆者は日本人だ。「隣の芝生が青く見える」という心情があって、日本人が日本人を「天才」に選びにくいということがあるかもしれない。所謂「世界史」の成り立ちからすれば、そこに日本人が入り込む機会に恵まれなかった、というところもあるだろう。それにしても、だ。本書には養老孟司が解説を寄せている。養老はこう書いている。

 日本に伝記の類が少なく思えるには、それなりの事情があることは確かである。最大の問題は、まさに『太閤記』以降の時代にあると私は思う。あれ以来、つまり江戸期以降、われわれは「公」のみの世界を作った。それを「世間」と呼んでもいい。人々は世間に属し、その世間のなかの小世間にさらに属す。学会も小世間なら、大学も小世間である。そうした世間に属する人の意見と行動は、つねに世間を意識してなされる。子どもは「なにをしようと勝手だが(私)、世間に迷惑だけはかけるな(公)」と育てられる。この意味での公私の別は、日本の場合、徹底している。
 日本人の場合、伝記がつまらない、個性がないとはつまり、行動と意見が世間に制約されるからであろう。なにかを語るにしても、つねに世間でのその地位にあるものとしての発言が要求される。周囲への配慮が、かならず必要なのである。「とあろうものが」という表現は、その間の事情をよく表現している。たとえ小世間のボスの発言であっても、その発言は小世間の構成員全体の意見を表すものとみなされ、個人の意見とはみなされない。だから「うっかりしたことはいえない」し、できない。ボスになるほど行動も発言もむしろ不自由になるのが、「世間という社会」では一般なのである。
 伝記や病蹟を興味深くするもの、それはもちろん個性すなわち「個」である。その意味での個が、江戸以降の日本社会では「公」に認められなかった。滅私奉公、一億玉砕その他もろもろの表現は、そのあたりの事情をきわめて明瞭に示す。勤務時間以降にサラリーマンが行った「個人的」行為も、会社という小世間に対する「大世間」による糾弾の対象となりうる。日本社会の問題点は、よく議論されるような公私の問題ではない。公と個の問題であり、われわれの社会は「公(世間)あって、個(個人)なし」、個が公には認められていない社会だったのである。いまでも相変わらずそうであろう。

270-271頁

これまた、なるほど、と感心する。感心はするけれど、『太閤記』以降の長期に亘って社会の在りようが基本的に変わっていないという歴史の世界史の中での特異性についても考慮する必要があるだろうと思う。『太閤記』にしても、秀吉の天下統一が天皇から関白への任命という権威の裏付けを必要としたことは何を意味するのか。実権あるいは実態がどうあれ、日本社会の権力機構において朝廷の存在が要になっていたことは確かであろう。

その朝廷の成立は明確にいつとは言えないが、少なくとも奈良時代には対外的に存在を確立できていたと見ることができよう。それにしても8世紀のことである。記紀や万葉集も成立し、それらが現代においても文庫本で誰でも読むことができる。こんな社会は世界に他にあるだろうか。おそらく、特定の個性が前面に出るような社会ではなかったからこそ、個性といったところで太閤止まりであったからこそ、「公あって、個なし」であればこそ、時代の変動を超えて今日に続く社会が存在しているのだと思う。

物事の展開として「天才」が明確な起動役、牽引役として存在することが果たして本当に必要なこと或いは望ましいことなのかどうか。それはその時々の状況次第のことであって、教条的にこうあるべきというようなものではないだろう。もちろん、今まで長きに亘り続いた共同体が、この先も同じように続いていくかどうかは誰にもわからない。会者定離、盛者必衰、諸行無常といったことはやはり世の習いである気がする。真の天才が忘れた頃に現れて、旧来の世の習いを大転換して何事か普遍的に持続的な存在形態をもたらす、なんてことがあるだろうか。

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