長谷川の書いたものをこのnoteで取り上げるのはこれが2冊目だ。今のところ、長谷川の本は他に読んだ記憶がないのだが、これら2冊に関して言えば、長谷川は熱量の大きい人との印象を受ける。似たような熱量は梅原猛の本を読んだ時にも感じた。遡及的錯覚をものともせず、信じる道を歩み続ける強さのようなものは、私のような軟弱者にとってはただただ憧憬の対象だ。
尤も、五七五で何事かを表現するには、強固な意志と世界観が必要不可欠であることも確かであろう。たとえば本書での芭蕉の句の解説にただ感心してしまう。
字面からどれほどの情報を認識できるかは読む側の責任だ。言葉は原則として相手あってのもので、本来は「私」と「あなた」の間で理解し合えれば事足りる。マスメディアが空疎なのは「大衆」という実態の無い読者を想定せざるを得ないからで、空を相手にしているから中身が空になるのは当然だ。いくら義務教育や「世間」の「常識」というような仕掛けを設けたところで、「私」と「あなた」が全く同じ共通基盤を持つことはできない。その溝をどこまで埋めることができるか、というところの能力を知性とか感性などと呼ぶのだろう。「私」も「あなた」も不定形であるのだから、共通基盤構築は絶え間のない意識的な作業であるはずだ。そういう意味では知性や感性は人として生きる意識そのものとも言える。
それにしても、この句で「隣」の一字に昇華されていることがわかり合える関係というのはなかなかない気がする。俳句であるとか詩を詠むというのは、そういうことなのかと背筋が伸びる思いがした。
他に、本書では平家物語から平知盛の最期が取り上げられている。
「見るべき事は見つ」と「見るべき程の事は見つ」とでどれほど意味が変わるものか。なるほどと、ただ感心するのである。還暦を過ぎるほど生きてきたというのに、こんなことを考えたことが今まで無かったことに呆れつつ、感心するのである。この知盛の台詞は壇ノ浦の合戦がほぼ終わりかけ、平家の敗戦を見届けた上で自ら入水する段で発せられたもの、ということになっている。
平知盛は清盛の四男、時に34歳にして中納言である。平家総領は兄である宗盛。平家物語では総領でありながら今一つ肝が座らない人物として描かれている。知盛は父清盛の全盛時代から、清盛没後、少し頼りない兄の下、後白河院の巻き返しの中で一門の没落、それに伴う家人や連合・同盟相手の謀反や寝返りを目の当たりにし、自分自身も息子知章を見殺しにする一方で愛馬を助けたりというようなちぐはぐを犯したりしながら、いよいよ命運が尽きようとしている。
知盛は最期を前にして妙なことをしている。まずは当たり前に自軍の兵を前にして訓示をする。
そして合戦の趨勢がほぼ決した頃、知盛は安徳天皇の御座船に参る。
この後、二位尼が孫である8歳の安徳天皇を胸に抱いて入水する。その様子も「見るべき程のこと」の一つであったのだろう。
本書で印象に残ったのは芭蕉の句と知盛の話だった。『徒然草』の話についても何か書こうかと思ったのだが、長くなりそうなのでやめた。今の自分の中では『徒然草』と『平家物語』がいわゆる座右の書で、それらをネタにいくらでも何か書けそうな気がするのだが、しかし、本当に思うことは腹にしまっておいた方が良いような気もするのである。結局、生きることは労苦であり、楽というものはできないものなのだと、思うより他に今はどうすることもでできない。楽をしたら楽しくなれない、と自らを慰めてそう長くもない余生を呑気に生きていくのだろう。