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気仙沼

例の感染症の影が少しづつ大きくなったとはいいながら、まだ平穏な日々が続いていた2020年2月29日、「短歌入門」第4回課題を投函。詠んだのは2019年7月に訪れた気仙沼のことを二首と、月に一回程度の割合で妻と出かける近所の居酒屋のこと一首。

街角に津波の水位示す線見上げる人の小さな姿

本当はいつもの店のはずだった更地に残る呑屋の廃屋

皆が知る酒を出さない居酒屋で主の想い識るぞ愉しき

3月11日が近づいていたので、2019年夏に出かけた気仙沼で目の当たりにしたことを詠んだ。あれから8年が過ぎたというのに港周辺は更地が広がっていた。道路も未舗装箇所が残り土埃の舞う姿に驚いた。8年間、無策であったはずがない。大勢の人たちが一生懸命に復興に努めても、やっとこれだけの状態であるほどに壊滅的な被害を受けたということなのである。

気仙沼では二泊した。1日目は港の周りを散策。2日目はレンタカーで大島や唐桑へ。最終日は土産を買って、一関へ寄った。港の周囲には至るところに津波の高さを示す標識がある。とてもじゃないが背が立つ高さではない。海から少し離れたところの三事堂ささ木という雑貨店で、店の人と雑談をしていたら家の中に津波の跡が残っているというので見せていただいた。店舗の裏側の部屋で天井が高く、普通の家であれば天井が位置していそうな高さに横長の採光窓がある洒落た造りで、大変立派な神棚が印象的だ。大正中期に建てられたもので、それ相応に時代が付いているのだが、水が来た高さまで壁の色が薄くなっている。「洗濯機の中のように部屋の中で水が渦巻いていた」のだそうだ。水に浸かって、こうして営業を再開できるまでには大変なご苦労があったことだろう。この店のように震災以前の建物のままで再開できたところは、多分少ない。いまだに廃屋のまま放置されている家もあり、港の近くには呑み屋だったと思しきものがあった。カウンターはそのままだが、内部はゴミ屋敷だ。それがポツンと更地の中に残っているのは、所有者とその相続人が見つからずに手がつけられないのだろう。

所有者のわからない不動産はかなりたくさんあって、そういうものがこうした災害などで問題化することはよくあるのだろう。学生時代の友人が東京電力にいて、震災の時は福島第二原子力発電所に勤務していた。私と同期なので、本当なら子会社へ片道出向で余生を送るはずだったのが、震災による原発事故とそれに続く大量退職でそのまま福島で勤務を続け、ようやく最近になって子会社へ移った。彼がまだ福島にいた頃、「ちょっと観に来いよ」というので2016年6月に福島へ出かけてきた。彼が手配してくれたいわき駅前のビジネスホテルに一泊し、彼の車で廃炉作業の前線基地であったJヴィレッジ、旧東電社宅、その他原発周辺の地域を観てきた。一見するとなんでもない田園地帯だ。よく見ると田圃を青々とさせているのは稲ではなくて雑草。点在する農家は、当時昼間に限って立ち入りが認められていたので、手入れされている家もあったが、多くは人の気配がない。地元の人たちが利用していたというスーパーも当然閉まっている。彼曰く、復興の最大の障害の一つは持ち主のわからない不動産。これが相当広い面積を占めていて、これらの地権者を探し出さない事には手がつけられないのだという。

東京で暮らしているとわからないが、数えるほどの大都市以外、日本は丸ごとそんな状況だろう。津波があろうとなかろうと、廃屋候補は山のようにある。津波があろうとなかろうと、人は吹けば飛ぶような軽く小さい存在だ。歌なんか詠んで「私」を語ってどうしようというのだろう。人は本能として己の存在の軽さを知っている。だからこそ承認欲求がある。存在を認めてもらわないことには安心して生きていられないのである。弱い犬ほどよく吠える、という。

三首目は趣を変えて身近なことを詠んだ。月に一度くらいの割合で訪れる居酒屋がある。私は下戸なので酒は積極的には飲まないし、飲んでも少しだけ。その居酒屋には妻と二人で出かけるのだが、飲む量は二人で日本酒を90ccずつ三種類。妻はもう少し飲めるが、私にはこれが限界だ。行くたびにメニューに並ぶ酒が違う。そこに所謂酒どころの有名な酒は無い。例えば「久保田」なんて絶対無い。そもそも新潟の酒は置いていない。さすがに通い始めて何年にもなるので、今更「へぇ」と感心するようなものはもうなくなったが、ハズレが殆どない品揃えだ。出かける度に、今日は何を飲もうかなと楽しくなる。旨い酒を揃えている店は当然に料理が旨い。感染症の流行があろうがなかろうが我々が出かけるのは店が空いている午後5時過ぎで、それでも、常連と思しき客が何人かはいる。そういう日常があることをありがたいと思うのである。

それで添削の方はこうなった。

震災の津波の水位を示す線見上げる人の姿小さし

いつもどおりの店のはずだった更地に残る廃屋呑み屋

皆が知る酒を出さない居酒屋のあるじの想い探る愉しさ

今回は西村美佐子先生。

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