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「 産後ケア文化を復活させたい 」合同会社てのひらのゆりかご 代表社員”かどたに まいさん”

「産後のお母さんをサポートしたい。」当たり前に産後ケアを受けれる社会づくりに励まれる、”かどたに まいさん”のお話を聞いてきました。

かどたに まいさんのプロフィール
出身地:
福岡県
活動地域:福岡市近郊
経歴:1980年東京都生まれ。10代、20代、30代で一人づつ出産した三児の母。上は高校生、下は保育園児の年の差育児を満喫中。デザイン学科の高校を卒業したこともあり、30代前半までデザイン関係の仕事に従事。その後の三人目の産後の経験から、出張での産前産後サポート事業を起業し、2016年に法人化。趣味は美術館博物館巡り、神社仏閣巡り、アウトドア。
現在の職業および活動:
産前産後家事サポートてのひらのゆりかご代表社員
座右の銘:
「思いやり」「調子に乗らない」

「日本に”産後ケア”という文化を復活させたい。」

Q1.かどたにさんは、どのような夢やビジョンをお持ちですか?

かどたに まいさん(以下 かどたに 敬称略)
「産後ケア」とは、産後の女性が養生(休む)出来るよう、家事など暮らしのサポートをしたり、身体の不調をケアすることです。

今の日本は、子育ては夫婦だけで取り組む事が当然という雰囲気がありませんか?ですが、夫婦にも様々な状況があります。例えば、お父さんは残業で夜遅く、お母さん一人で子育てを担っているワンオペ育児の家庭は珍しくありません。しかし、公的な支援は乏しい状況です。

産後は本当はものすごく大切な時期なんです。産後一月ほどゆっくり休むことで、出産でかかった身体への負担を、自然のサイクルで癒し回復させることができます。しかし、今は産後すぐに家事をせざるを得ない状況の方が多く、女性の体へ負担がかかっているのではととても心配しています。更に、悲しいことに産後うつになり自殺を選んでしまうお母さんもいます。産後一年の女性の死因第一位は、産後うつに起因するであろう自殺です。

私は、我が子が出産する時に、この社会が続いていたら死ねないと思いました。

日本には元々「産婆さん」がいて、出産後は毎日のように家に来てくれたそうです。そして、地域の人や親せきも日常的に助けあう文化がありました。
ですが、現代は核家族化が進み、助け合わなくても日常生活が送れるようになり、繋がりが薄れたように思います。だから、現代は産後のお母さんがわざわざ「助けて」と言わないと助けてもらえません。そう言わなくても当たり前に助けてもらえて休める産後ケア文化を、日本に復活させたいと考えています。

「”産後ケア”業界が知られていないので、周知したい。」

Q2.その夢やビジョンを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

かどたに ブログなどの文章を通して、「産後身体を休めれば、心身ともにすごく楽になる」という事を伝えたいです。子育ては、トライ&エラーで正解はありませんが、正解を求めて苦しむ人も沢山います。「自分らしい産後や子育ては自分で決めて良い」という事を伝えて楽になってもらいたいですね。

その時間をつくる為にサポーターを育成して私は経営に集中し、業界自体の底上げもしていきたいです。
そして、産後ケアを支援する人同士のネットワークを作りたい。産後を支援する人は熱量は高いけれど繋がれていないので、サービスが埋もれてしまう事があります。今年中に、九州中の産後ケア事業者が繋がれるイベントを開催したい、という目標があります。

更に、世界の産後ケアも学びたい。イギリスでは産後ケアが浸透していて、その成果もあり、産後うつの発生は日本よりも大幅に少ないんです。お隣の中国にも韓国にも台湾にも、産後ケアの文化がしっかりと残っています。日本の外を見て広い視点を学び、泊まりながらサービスを受けられるケア施設もいつかつくりたいと思っています。

「”自分が満たされるから、相手に与えられる。”サポーターマインドを大切に育成しています。」

Q3.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?

かどたに 私はこの事業を潰したくありません。日本には必ず必要な仕事だと思っています。なので、感動できる家事を提供し、選ばれる会社でありたいと思っています。実際に、「お風呂掃除に感動しました。」「余裕が出来て、子供に優しくなれた。」などのお声を頂いています。

本当は感動を与えられるポテンシャルを持っているけど、人と比べたことが無いので自信が無い女性は多いと感じています。やれるのに埋もれてる人が多くて、本当に勿体無いです。女性の可能性を開花したいと思っています。自分自身が満たされていない状況では、相手に与えることは出来ません。だから、「自分を大切にする。自分を満たす。」と、いう、サポーターマインドを大切に育成しています。

「起業を踏み出せなかったときに、渡邊大地さんと出会い決意しました。」

Q4.そもそも、その大きな夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

かどたに 小さい頃から「好きなことでご飯を食べたい。」という想いを持っていました。二人目を出産した後に好きだったデザインの仕事に就けたのですが、「何かが違う」と感じていました。そんな頃、上の2人の子どもが大きくなり、少しだけ手が離れました。夫婦でゆっくり過ごす時間が増え、結婚当初に子どもは3人ほしいなと思っていたことを思い出し、もう一度子育てをしたいという気持ちが膨らみ、33歳で三人目を出産しました。

私は今までわが子以外の赤ちゃんに対して特段の感情はなかったのですが、末っ子の4ヶ月検診に行った時、周りにいた赤ちゃんに「どの子もすごく可愛い!!」と感じビックリしました。「これは私が好きなことだ。これを仕事にしよう!」と思ったことを鮮明に覚えています。

私の三人目の産後は、体の痛みはあったものの、夫も親もサポートしてくれて休むことができて、心も体も楽になっていきました。でも、十分な産後サポートが受けられずきつかったと話す友人も多かったのです。日に日に、産後ケアの仕事をやりたい想いは溢れましたが、始める自信が無く半年以上足踏み状態でした。

その様な時に、「ままのわ」代表の渡邊大地さんに出会い、男性でも産後ケア事業をしている事に衝撃を受け(ご夫婦で事業経営)、「3人産んだ私に出来ないはずがない」と起業を決意しました。

「”いつかは良くなる。あきらめないぞ。”とずっと思っていました。」

Q5.その発見や出会いの背景には、何があったのですか?

かどたに 私が生まれ育った家庭は、父親の暴力がひどくとても窮屈でした。ですが、小学生の頃から「いつかは良くなる。あきらめない。」となぜかずっと思っていました。中学に入ると、母にきつく当たる父に対して殺意さえ生まれましたが、「自分で自分の人生を良くする。こんな奴に人生を棒に振れない」と思い留まりました。

10代で結婚と出産し、夫はとても安心できる存在でした。けれど私の奥底には不安や恐怖があったようで、フラッシュバックのように夜中に恐怖心が湧き続け怯え、夫にしがみ付いて寝たことが何度もありました。その度に、夫は何も言わず、何も聞かずに抱きしめてくれて、次第に治まりました。

夫と出会い家族をつくり、「家庭ってこんなに安心できるんだ。」と知ることが出来ました。そして、今、少しづつですが、好きなことでご飯を食べていけるようになっています。まだ道半ばですが!

『辛くても、いつかは絶対に良くなる!あきらめない!』これが私のベースになっています。あきらめなかったら、絶対に良くなります。私は、今苦しんでいる人に、人生を通してメッセージを送り続けたいです。

記者 かどたにさんの中にある「辛くても絶対にあきらめない!」という意志と行動力に、人間の可能性を感じました。今が辛い人にも、希望のメッセージになります。素敵なメッセージを、本当にありがとうございました!

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かどたに まいさんの活動、連絡については、こちらから
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【編集後記】インタビューの記者を担当した熊倉と重松と木村です。
かどたにさんの想いが伝わり、日本の産後ケアの復活にまで広がっていくことを、心から応援しています。かどたにさん自身の生き方は、”日本の美しい助け合いの生き方”だと感じました。貴重なお話を本当にありがとうございました!!

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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36


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