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国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その5〜大学を辞める!?〜

追い詰められる


 お笑い芸人になると決めてから急に学業に興味を失った僕は、配属された研究室に徐々に行かなくなっていった。

 大学4年生のときには、卒論の中間報告の日には行くものの、その日以外はほとんど自宅で過ごしていたので、半分引きこもりのような生活をしていた。
 当然、卒論の研究は全く進んでいなかった。だから、研究室に行くたびに担当の教授からは厳しい言葉を掛けられた。

 また、サークルから疎外され、就活隠れ蓑作戦(その4参照)も失敗続きだったので、僕の心はどんどんヤサグレていった。
 だから、僕は今すぐ大学なんか辞めてお笑い芸人になりたかった。そんな状況から唯一逃げ出せる場所がそれしかなかったのだ。

告白する

 そしてついに親に告白した。
「僕は大学を辞めてお笑い芸人になる」
 大学4年生の秋のことであった。親は反対した。何に反対したかというと、僕が大学を辞めることである。お笑い芸人になることについては、本当にやりたいならやればいいとのことであった。

 大学だけは卒業しろと説得された。
 親は二人とも高卒だったので、僕が地元の国立大学に受かったときは大層喜んだ。だから、せめて最低限でも何とか大学だけは卒業してほしかったのだ。

 僕はしぶしぶ承知した。

卒論

 承知したものの、僕は大学を辞めるつもりでいたので、卒論の研究が絶望的に進んでいなかった。
 フィールドワークの調査でアンケートを集めないといけなかったのであるが、全く集まっていなかったし、その秋から卒論の発表までに、僕ひとりでは到底集めることができない量であった。

 だから、僕はアンケート集めを親に手伝ってもらった。国立大学の卒論をである。小学生の自由研究じゃないのだから!と、今となっては思う。しかし、その時は背に腹は代えられない状況だったのだ。
 親の職場や知り合いに声をかけてアンケートをたくさん書いてもらった。本当は街頭調査をする予定であったが、そんなことを言っている場合ではなかった。

 そして、無事にアンケートが集まった。その後、担当の教授が感心するほどのスピードで卒業論文を仕上げ、何とか発表までに間に合うことができたのであった。

卒論発表会当日

 卒論の発表会のことである。僕は意気揚々と完成した卒業論文を持って発表会場へと向かった。しかし、会場に入った僕は違和感を覚えた。なぜかというと、他の人達は皆スーツだったからだ。
 僕は私服だった。

 周りの友人に聞くと卒論発表はスーツで行うということであった。どうやらそれはお葬式に喪服を着るのと同じくらい常識的なことらしい。だから、事前連絡がなかった。
 事前連絡さえあれば、僕も当然スーツで来たものの、もう手遅れである。大学から自宅まで1時間以上かかるためスーツを取りに帰ることもできない。

 仕方なく僕は私服のまま卒論発表を行なった。幸い、教授から叱られることもなく発表を終えることができた。

 そして、僕は無事に大学を卒業することができたのだった。

次へ続く


 

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