初夏のこと

ほんの一時間の出来事だった。私は、知人の紹介でとある街に来ていた。街といっても大都市ではなく、新幹線の停まる駅の隣の、小さな港町だ。三ヶ月もの長旅を続け、自分自身が何者なのかを見つけたくて、東京から飛び出した旅行。三十歳を超えて起こしたその行動は、端から見たら奇行だったかもしれない。でも、どうしても、信じているものを確かめたかった。

その街を教えてくれた人は、よく私の話を聞いてくれる人で、どんなにまとまりがなかったり唐突でも、受け止めてくれる人だった。この閉塞感の強かったコロナ禍、誰とも話したり交流する手段がないと感じていた私にとっては、仏様のような存在だった。
夏の近づく六月頃、その小さな駅を訪ねて電車を乗り継いだ。汗ばんだまま降りると、がらんとした駅舎に、ベンチがいくつかあるだけだった。その人を想いながら周りを散策し、ベンチで休んでいたら、お爺さんと、五歳くらいの孫がやってきた。恐らく電車が好きだから見に来たんだと思う。子どもは嬉しそうに「でんしゃー!」と言って、通ってくる列車に目をやっていた。手も振っていたと思う。

どうしてだろう、普遍的な情景のはずなのに、こんなに子どもがかわいいなんて、思ったことがなかった。はしゃいでいる子どもは、誰がどう見ても心がピカピカに光っていて、きれいで、潤っていた。そばを通った女性も、その子に笑顔で挨拶する。自然と、私は微笑んでいた。
少しするとやってきた、高校生くらいのカップル。電車に乗る女の子のために、男の子が服を優しく整えてあげ、女の子もそれを、真正面から受け止める。そして最後には彼をぎゅっと、抱き締めていた。
短い時間に、こんな出来事が私の目の前で起こっていた。それはまるで、短編映画のワンシーンのような、言葉にできない、優しい時間だった。自分が何なのか、そんな問いの答えは一生わからないけれど、そこで出会えた新しい感情を信じたい、そう思った。
駅舎に響く蝉の声を聴きながら、いつの間にか、うたた寝をする私がいた。



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