自由民主主義vs共産主義 or 自由民主主義≒共産主義 or 自由民主主義⊃共産主義
9月14日に自由民主党の総裁選が行われた。
前任者の意向を反映するため、(そして前任者の犯罪疑惑に蓋をするため)、主要派閥により議員票が取りまとめられたの事だ。
これは自由で民主的な事だろうか。
自由民主主義とは、民主主義とは、何だろう。
実は、民主主義には定義などないのに近く、
民とは誰か、また民が何を望むかどうかによって真逆に近い位の意味がある。
ソクラテスを殺したのも、ヒトラーを選んだのも、民主主義だ。アテネでは奴隷制度があり、ナチスは人種差別による迫害をし、ナチスを批判する者も迫害された。
つまり「民主主義=平等」ではない上に、「民主主義=平和を望む物」でもなく、「民主主義=言論や思想の自由が認められている物」でもないのだ。
民主主義は、民とは誰か、また民が何を望むかどうかによって決まるという事だ。
では自由とは、自由主義とは何か。
自由は他からの強制・拘束・支配などを受けない事であり、宗教の自由や言論の自由など本来は権力からの自由を意味し、自由主義は権力から自由で平等な権利に基づく社会を目指す事だ。
つまり本来の自由民主主義は権力から自由で平等な社会を国民全員で目指す事だ。
しかしこのイメージのよい自由という言葉は、経済の自由など色々な解釈が追加されるようになり、本来は権力側が使う言葉ではないにも関わらず権力側も使い出し、意味不明になっていった。
自由主義も古典的自由主義、近代自由主義、新自由主義など、意味がほぼ真逆になる変容をしていった。言葉の意味を意味不明や無意味にする事、そして議論をできなくする事、これは自民党がいつもやっている事だが、昔からやられている事だ。
そして経済の自由=自由、として、資本主義=自由民主主義というイメージを資本主義のPRであるマスコミが作りあげ、資本主義=自由民主主義、自由民主主義vs共産主義、という構図を作りあげた。
しかし本来の自由民主主義は資本主義とは関係ないのだ。
資本主義の資本の大元は旧支配者層、つまり権力だ。
経済の自由、それは言葉は自由の一つではあるが、本来は権力からの自由としての意味である事から、権力が形を変えた資本が自由と言う事自体、意味がおかしいのだ。
資本主義は旧支配者層による社会、本来の自由民主主義と真逆の意味なのだ。
本来の自由民主主義は、
①権力からの自由という本来の意味の自由+民が平等な民主主義。
自由民主党がいうところの自由民主主義は、
②経済の自由や財産私物化の自由など本来とは別の意味の自由+特権階級による平等ではない民主主義。(選挙は個人の選択ではなく派閥の力関係により決まる。)
自由民主主義という言葉は、自由民主党によってほぼ真逆の2つの意味を持たされ、本来の意味である①はイメージとしてプロパガンダに利用され、実態は②という状態だ。
本当の意味での自由民主主義は実現されておらず、形を変えてわかりにくくなった資本主義という名の封建主義が実態なのだ。
では、共産主義はどうだろう。
民主主義には自由があるが、共産主義には言論の自由がない、平等でない、平和を望まない、独裁者による全体主義、そういうイメージがある。実際に、共産主義・社会主義を名乗る国は、自由がなく独裁者による全体主義ばかりだ。
しかしこれらは、本来の共産主義の定義ではないのだ。
本来の共産主義は、
①財産の一部または全部を共同所有し平等な社会をめざす事、だ。
共産主義も先に述べた自由民主主義と同様に、本来の意味から外れて色々な解釈がなされるようになったのだ。
本来の意味である①をプロパガンダに利用し、②独裁者による全体主義による支配に都合よく使われているのだ。
自由民主主義同様、共産主義も歪められているのだ。
そして歪めたのは誰か。
アメリカには連邦準備制度、FRBという金融機関があり、これは日本でいうところの日銀にあたり、資本主義の中枢だ。ポール・ウォーバーグという人物がこのFRBの設立に関わったとされるが、共産主義の革命家レーニンをロシアに送り込んだのはウォーバーグ家であると言われているのだ。
つまり、自由民主主義のプロパガンダで身を包む資本主義も、共産主義のプロパガンダで身を包む独裁全体主義も、同じ者に操られ本来の意味から歪められている可能性が高いのだ。
権力から自由で平等な社会。これが困るのは権力だ。
困るから間違ったイメージを資本主義のPRであるマスコミを使って宣伝し、共産主義が悪であると広めているのだろう。
自由民主主義の看板を掲げる国も、共産主義・社会主義の看板を掲げる国も、支配される側の同じ立場の国民達が、権力によりプロパガンダに振り回され、憎みあうように仕向けられ、戦わされている状態なのだ。
封建社会から支配してきた人達は今も社会を支配している。
本当の自由民主主義も共産主義も、どちらも未だに実現してなどいないのだ。
本来の自由民主主義と共産主義は、どちらも平等な社会を目指す事だ。そしてそもそも本来の意味での共産主義による革命は権力から自由を勝ち取るための物だ。つまり本来の共産主義には権力からの自由が含まれているのと同じなのだ。
また自由民主主義でも税金で賄われる公共サービスや公共の財産がある。これは「財産の一部または全部を共同所有」している事に等しい。
つまり本来の共産主義は本来の自由民主主義に含まれる、本来の共産主義は本来の自由民主主義の形態の1つと言えるのだ。
資本主義のPRであるマスコミにより『資本主義=自由民主主義』とされるが、解釈により『資本主義⊂自由民主主義』ではあるものの、本来の意味では『資本主義≠自由民主主義』。
解釈により『共産主義≠社会主義』とされるが、本来の意味では『共産主義=社会主義』。
資本主義のPRであるマスコミにより、『自由民主主義vs共産主義』とされるが、
『自由民主主義⊃共産主義』であり、
『自由民主主義≒共産主義=社会主義』
なのだ。
『自由民主主義vs共産主義 or 自由民主主義≒共産主義 or 自由民主主義⊃共産主義』
本当の意味では、
『自由民主主義vs共産主義』ではなく、
『自由民主主義≒共産主義』であり、
『自由民主主義⊃共産主義』
そして本当の自由民主主義も共産主義も、どちらも実現していないのだ。
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