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【どうして人を殺してはいけないのか?】

私は考えることが大好きな人間なので、日頃よく哲学もどきみたいなことをする。

この前は、「どうして人を殺してはいけないのか?」について考えたのだが、私なりの答えが出たので、このnoteにまとめてみようと思う。


早速だが、人を殺してはいけない理由をまとめると、

①殺人により、悲しむ人が必ず存在するから。
②殺人を許容すると、世の中が回らなくなるから。

である。

この2つを説明する前に一旦、ある仮定をしてみようと思う。

仮定

「家族といった身内の方がいない、そして友達や恋人が全くいない人間が、二人(AさんとBさん)いたと仮定しよう。そしてその二人が、誰も見ていない場所、即ち証拠が残らないところで、どちらか片方が死ぬまで殺し合いをしたとする。」

その場合の殺人は許されることであるのか??

私はこの場合は、殺人をしても良いと考える。何故なら先程の①と②に該当しないからだ。

そもそもこのケースが現実世界で、成り立つことはないのだが。現実だと、必ず警察が事件に介入するだろうからだ。即ち殺人は許されるべきではない。

話は戻って、①と②の解説に戻りたい。


①悲しむ人がいるから

 言われなくてもだいたい分かることだが、自分の知り合いが殺されて、悲しまない人なんていない。それをされて悲しむ人がいるから、やってはいけない。
幼稚園児でも分かることだ。

人間は社会的な生き物だ。人間関係の深さに関係なく、人は他人の行動等に少なからず影響を受ける。自分の住んでいるところの近くで事件が起きれば、何か嫌だなと思ったりするだろう。

つまり人間の幸せと不幸せは人間関係に大きく繋がっているということだ。これは数ある生き物の中で、人間特有のものである。
人間として幸せに生きていくには、他人を大切にしなくてはいけないということはここからきているのかもしれない。

人を殺してはいけない、人のものを盗んではいけないといった刑法は、ただ人間の活動を制限するのではなく、裏メッセージとして人間が幸福に生きるためのヒントが隠されているのではという考えに至った。

②世の中が回らなくなるから

 人を殺してはいけない理由とは何か?というテーマは、議論や哲学的な話題になる事が多い。即ちそれほど難しく頭を悩ませる問題であるからだろう。そもそも全員にとって正しい答えは存在しないだろう。

ただ今までの歴史を振り返って、殺人はよくないという考えを世間に広めることは都合が良いという事実は変わらない。そうでないと、大殺戮が起きてしまう。


 ここで私の好きな考えを紹介したい。哲学者デューイ(アメリカ 1859~1952)のプラグマティズムだ。

ざっと説明すると、

「人間は色んなものの本質に迫ろう(例えば、自分って何だろう?そもそも人間って何だろう?)とするけど、結局結論に至ったことが今までに一度もなかった。それならばそんなことに時間を使うのではなくて、その物事の効果に目を向けたほうが良いのではないか。(例えば、自分が他の人に何をしてあげられるのか?)」

という考えだ。殺人の例で言うと、どうして人を殺してはいけないのか考えるのではなくて、人を殺してはいけないというルールを定める事により、我々にとってどんな良いことがあるのかを考えましょうということだ。

まとめ


 人間は社会的な生き物。だからこそ他人を大切にしよう。特に密接な関係の人は尚更大切に。
 真理に迫ろうとする姿勢は大切。だけど一歩引いて、その物事の効果について考えてみるのもアリ。便利な考え方こそが真理である。

以上。最後まで読んでいただき有難うございました。

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