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石膏アートにふれて【あえてアートからもはなれてみること】

前回の記事の続きです。

一個目の記事

二個目の記事

石膏アートのイベントに参加させてもらった私は、終了後に先生とお話させてもらう機会を頂きました。

前回のお話はそんな場面で終わっていたと思います。

先生は私を見つけるなり、まっすぐに笑顔で向かってきます。どちらともなく挨拶をして会話が始まりました。

先生からの話題の内容は、私が先程発言した「なにものでもないもの」についての話でした。

「くまさんが、石膏を垂らしている姿、わくわくした表情、なにものでもないという発言....いいなぁと思いました。とても印象に残っています。」

私は先生に、本日参加した経緯や参加していて感じたこと、お礼を伝えました。

そして、そのあとに前回の記事で述べたような思いを伝えました。

私が普段関わらせてもらっている保険サービスを利用されている方たちは「病人」とか「障害者」などの役割を嫌々ながらも担わされているように思う。
私はそんな方たちが、自分の持たされている属性を忘れて「なにものでないもの」として存在できる時間が持てたら良いと思っている。
今回の体験はそんなことを思いながら参加していた。アートはそんな可能性を秘めているような気がする。


「そうですね。アートというのは非常にそのような可能性を秘めています。」


私は先生に自分の話したことが「合ってるんだよ」と答え合わせをしてもらったような気がして、ほっと胸を撫で下ろしました。


しかし、そのあとに先生はこう続けました。


「でもね、アートが全てではないんです」

「一度そっちに行ったら

また戻ってみることが大事なんです。」


戻る....?

どういうことだろう?


「それが全てではないんです。そこでまた考えが偏りますよね。アートが全てではない、と思います。
いったん向こう側にいったら、また元の場所にかえってくることが大切だと思うんです。
病気の自分に戻ってくる。障害のある自分に立ち返る。….戻るんだけど、たぶん以前とは景色が違ってるのだと思います。」

先生はにこにこしながら、だけども…かなり力強く話されました。

私はかなり抽象的な話だなと思いましたが、なんとなく先生のおっしゃっていることがわかるような気もしました。

自分がなにものでもない世界。

そこでは重力を感じずに、自由に振る舞える。

でもいつまでもそこに安住していてはいけない。

あるいはそこを盲目的に心酔してはいけない。

….まるでバーチャルの世界もそうだなと頭に浮かびました。
SNS….メタバースの世界や…..このnoteだってそうかもしれない。

一つの場所にいることの危険性。

拠り所がなく、心が疲れてしまった人はケア的にそこに長くいることも必要かもしれない。

けれども、私たちは今を生きている人間だから。

また、戻ってくる。

戻ってきた時に、私は現実世界でもnoteで得た力を感じることがあります。応援されている声が聞こえます。知識を生かせる場面がたくさんあります。

この両方の行き来が大事なのかなと思いました。

アートの力。私はケアを開いた場所にするためにかなり頼りにしたい存在なのですが、それだけに偏ることの危険性。
全ては万能ではないのです。

そんなことを先生のお話から感じました。

また、先生と「多様性」の話にもなりました。

自分と違った考えの人に会った時にどうするか。

「人は変わらないんです。相手を変えようと思ってもなかなか難しい。」

「だからね、私はそこで自分だったらどうするか、考えます。考えて、そっとそこに置いてくる。それだけです。」

そっとそこに置いてくる


私は思わず「その表現素敵ですねー!」と先生に伝えていました。

先生はにこりと笑いました。

私は以前から、自分の考えを伝える時に以下の二つのことに注意したいと思っていました。

・自分の考えを一方的におしつけないこと。

・意思を表現する時はアイメッセージにすること。(みんながそう思ってる….ではなく、私はこう思ってるという表現)

感情的になってしまって、なかなかできないこともあります。

けれどもなるべく「やさしい」コミュニケーションで伝えたいと思っています。

やさしいは

「優しい」でもあり

「易しい」でもあります。

侵襲性の高いとんがったメッセージは人目をひくかもしれません。

けれどもインパクトばかりで….もしかして内容が入っていかないかもしれません。相手の反発したい気持ちを増幅させるだけかもしれません。

もちろん、それで相手に届けば問題はないのです。しかし、世の中にはいろいろな人がいるので、その方法だけでは立ち行かなくなることが必ず出てくると思うのです。

「やさしい」は相手に忖度するとかではなく、遠慮するでもなく、なるべくより相手に届かせるための、コミュニケーションの技術です。

気持ちの問題もありますが、ある程度の「技術」なのだと個人的には思っています。

感情的なものではなくてロジカルな部分もあると思います。

そんな様子をこの

そっとそこに置いてくる


が見事に表してくれているような気持ちになりました。

私は先生にお礼を伝えて会場を去りました。

今回のイベントの体験から、またいろいろと考えるべきことがたくさん見つかったような気もしています。

日々の仕事や生活を過ごしていく中で、重ね合わせて気づくことがありましたら記事に書いていこうと思っていますので、よろしくお願いします。

ここまでお読み頂きありがとうございました。皆さんからのスキやコメントも大変、力になっております。

感謝を述べて今回のイベントの報告は終わりにしたいと思います。

以上、くまからでした〜。




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