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「前へ」より「上へ」

1.noteを書く時の自分のルールについて
「届けない」「献上する」

私はnoteを書いている時に、ごく自然とたった1つだけ、自分に対してルールを課していることに最近気づいた。

それは「相手に届けようとしない」ことだ。

人に見てもらうことを意識しすぎると、とたんに何も書けなくなってしまうような気がする。いや、ここに書いている時点で誰かの目にはふれてしまうし、交流が生まれることもある。見られたくない内容であれば「自分の紙の日記にでも書いておけよ」という意見を言われてもおかしくはない。ごもっともです。

しかし、見られたくない訳ではないし、あえて人の目を意識することで、ある程度文章のまとまりをつけなければ・・とか、ひとつの形や塊にしなければ・・といった自分の中で思考を整える作業が出てくる。これは、とてもありがたいことであり、背筋をピッとのばしているような気持ちになる。

しかし、たくさんの人に読んでもらいたい!たくさんの人に届くようにとかそういったことは考えていない。その反対に自分が表現したものや自分から出たものが人を傷つける可能性もあることを想像しながら、そういうことについて忘れることはないが、あえて考えすぎないようにしている。

「届けるというよりは献上している感覚」

誰に奉っているのか?私は何をさしあげているのか?

よくわからない。よくわからないが、最近見たテレビ番組の中に(私の勝手な解釈だが)1つヒントになることがあったので記載する。

2.オーディエンスへは「前へ」よりは「上へ」

突然だが、私は歌手の山崎まさよしさんが好きだ。

彼の歌やギターはもちろんのこと、人やものへの向き合い方や、考え方、話していることばを聞くのが好きである。

つい最近、スペースシャワーTVで過去の映像のアンコール放送があった。それをうちのやさしい夫が気をきかせて録画しておいてくれた。

たぶん2001年位の映像で、彼がNYに行った後に作ったアルバムをひっさげてツアーに出る前の特集番組であった。私は見たことがある内容であったけれど「若いな〜」などと思いながらなつかしい気持ちで楽しく見ていた。

スタジオでの歌とインタビューが交互に流れるのだが、その中で当時は気にもとめていなかったあることばに私は惹かれた。

consciousness(意識)というタイトルで話し始めたのはオーディエンスに対する姿勢であった。

人前でこう、何かものごとをやるっていう時、一番にはオーディエンスに意識を向けられるんですが、実のところそこに意識をもっていかれると・・たとえば・・手拍子ですとかね、そういった部分にぐっと意識をもっていかれるよりも・・本当は音を出した時に3人(バンドメンバー2人を含むので3人)が反応し合ったもののエネルギーが大きくなることが一番いい。

(手を丸くして広げる。エネルギーを表現する。)

こう、「前へ前へ」よりは
「上へ上へ」しようとしている
(手を上に持っていく)

「前へ」よりは「上へ」

できる限り最近は「上へ上へ」ですね。


3.空へ投げる

当時は彼のことばを深く考えず「へー」とただ聞いていたと思う。

でも今回私はひっかかってしまった。

その感じ似てるかもしれない。それは私が勝手に共感し勝手に似ていると思っているだけだが、なんだかしっくりきた。

やはり私は相手の目を意識しすぎてはうまくいかないんだな。

何もない頭から精一杯出したものをその熱量のまま

ポーンと空へ投げる。

献上しているというよりは、高い高い何もないところへ投げつけている。

投げることで自分から距離が離れ、いつもとは違った角度からその文章が見える。

これ、自分から出てきたのか?と思う事もあるし、自分の中で発見がある。

そして投げた物を見ている人もいるし、見てない人もいる。

見た人の中で、もしかして「!」とまれに気持ちがゆれたり、時折何かを伝えたくなる人もいるかもしれない。

個人的なことを綴っているのに、全然違う人生を歩んでいる人の中にひっかかるものがあるというのは何だかとても不思議なことだ。

大事なのは「自分がいいと思うようなエネルギーを作れるかどうか」だ。

そして、それくらいでいいと思う。

だから、私は今日も勝手気ままに綴っている。

自分の熱を空へ放り投げて眺めていたいのだ。



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