しあわせのかたち
「あなたにとっての幸せって何?」
今日も、私は訪問リハの利用者さんからこんな質問を受けた。
私の担当している利用者さんたちは、みなさんチャーミングでおもしろい方たちが多いと思う。
「また、えらい哲学的な事を聞いてきて下さるものだな」と思った。
彼女とは40分弱の間、ひたすら屋外を歩く。
今日も寒空の下、ずんずんと住宅街の日陰の道を足早に抜けて、バス停の横で並んでいる人々の列をぶつからないように通り過ぎて、ショッピングモールの端を慎重に進む。
「以前より足取りが軽くなった」と笑顔で風を切って歩みをすすめる彼女を見て、何だか今日はやけにはつらつとしているなと思った矢先の質問であった。
私は答えた。
「幸せはたくさんあって....なんでもないことも幸せです。ふと、こうして歩いていて、視線を下げた時に、先週は咲いてなかったつぼみの花が、今日は少し開きかけているのを見ることだって、私にとっては幸せです。」
「やだー!なんかロマンチック!」
彼女に不意にどつかれた。
私は意外と強かった彼女の力に少しよろよろとしながら歩き続ける。
「えーと、そんなにロマンチックですかね。」
「そうよ、あなたびっくりしちゃうわよ。」彼女は笑っている。
「じゃあ、たくさんある幸せのうちのもう一つは、我が子の話を聞く事です。話を聞くのがおもしろいし、勉強になる。そして日々成長を感じます。」
「それはいいことねー。子供の事は幸せでしょうよ。今が一番いい時よー!」
高齢者にだいたい言われるセリフの上位を占めている「今がいい時!」を今日も聞いたなぁと思いながら、私は子供との会話を思い出していた。
ここで、最近話した息子(小4)と娘(中1)の話の一部を紹介する。
こんなやり取りが私の幸せの一つであるということが、何となく表現できていたら幸いである。
【少子化と地球温暖化】
少子化について、私は夕飯を食べている娘と息子に質問をしてみた。
なぜなら最近れおさんの記事を読ませてもらって、うちの子供たちは少子化をどのように捉えているのかを知りたかったからだ。
娘が口火を切った。
「どうしようもないと思う。」
「なんで?少子化については理解してる?なんで起こるんだと思う?」と私が尋ねる。
「昔より女性が働きやすくなって、一人で生きていけるようになったのと、結婚に対する価値観が変わってるからだよね。」
「少子化だからと言って、じゃあ、結婚しろ!子供をみんな産んでって!ってのは私は強制することじゃないと思うし、実際そんな事を言ってこられたら嫌だと思う。でもだからといってどうしたらいいのか私にはわからない。」
息子にも聞いてみる。
「僕も今のところはどうしようもないかなって思う。
それよりね、僕は地球温暖化の方が心配なんだ。」
私は思わず笑った。「そこで地球温暖化がでてくるのは何で?」
息子は笑顔で答える。頬にご飯粒がついている。
「え?だってね
少子化は人間が少なくなるんでしょ?
地球温暖化は、人間だけじゃなくて、動物や植物やたくさんの生き物たちが絶滅しちゃうかもしれない問題でしょ?
だから僕はそっちの方が心配だし、何とか考えなくちゃいけない問題だと思ってるよ。」
そうきたか、と思った。
ここで私は、以前彼が話していたとある話を思い出した。
彼は私に「一番好きな動物は何?」と聞いてきた事があったのだ。
私は少し考えて「人間かな。」と答えた。
彼は「ふーん、そうなんだ。」と答える。
私は彼にも同じ質問をした。
その時彼はこう答えた。
「僕はねー、一番はぞうかな。二番目はライオン、三番目は...」
そんな調子で続けていた。
そして、八番目だか九番目が「カブトムシ」と「クワガタムシ」なことに思わず吹き出してしまったが、ようやく十番目になって「人間」が出てきた。
私はそこでおどろいた。
「人間がだいぶ下なんだね。」
「うん、僕はそんな感じだよ。」
息子はいつもの笑顔で答えた。(この話は車内で二人の時に話していた)
(そのあと余談ではあるが「あなたの好きな恐竜は?」と聞くと、「それを入れていいなら全部恐竜になっちゃう」との事)
私はこの息子の答えが正解だとか正解じゃないとかそんな問題ではなく、単純に発想がおもしろくて、そして、彼の中では一貫性のある考えなのだなと感じた出来事であった。
【神様っている?】
娘と夫と三人で夕飯を食べていた時の話。
私は今日も家族に質問を投げかけていた。
今日の話題は「神様はいるのか?」
そこで三人なりに様々な話題が出て盛り上がったが、私は娘の発したことばにえらいインパクトを受けていた。
それは「ママ、神様は人が作ったんだよ」ということばである。
私はそれを聞いて「よく神様が人を作ったっていうけど、もしかして逆なのかな」と返した。
「だって人間がみんな想像しながら作り出しているでしょ。神話だってそう。だから神様が人を作ったんじゃなくて、人の中に神様がいるの。」
私はそれを聞いて...(以下略)
彼女はつまらない授業中や休み時間によくこういう事を一人で考えたりするそうだ。
今回の話もそうだが、私の中で子供たちに対して答えを求めたり正したり論破するつもりはさらさらなくて、こういう発想が出てくるところが毎回「おもしろいな」と感じているだけなのだ。
【才能と褒め方】
これは娘と二人で、どこかに車で移動していた時だったと思う。
彼女には絵がとても上手い親友がいる。
娘は彼女の絵の事を認めていて、憧れの存在であることを私は知っていた。
その日はそんな彼女の絵に対しての「褒め方」について、自分と他者の違和感について語っていた。
「私はね、〇〇ちゃんの絵を見てね。ここの色使いがいいねとか、影のつけ方がいいねとか、なるべく具体的にいいところを伝えようとしてるの。
けれども他のお友達はね。『〇〇ちゃんの絵、やばくない?』とか『才能あるんだねー』って言うのね。それが聞いていて、ちょっと違和感がある。
だって、それは「才能」というよりは〇〇ちゃんの「努力」だから。最初からみんな上手い訳じゃない。みんな上手い人は努力してるんだよ。だからそれを「才能」ということばでひとくくりにしてしまうことに、私は違和感を感じちゃう。
でもね、みんな〇〇ちゃんの絵がすごいことに対して善意で褒めてるでしょ。悪い事じゃないと思うんだけど、私がそれを聞いてね『本当は違うんだけどなー』って勝手にもやもやしてるだけ。
でも、もしかして〇〇ちゃんはそんなこと全然気にしてないかもしれないし。私の伝え方もそれで〇〇ちゃんが嬉しいのかというと、正直わからない。」
私は「じゃあ、今度〇〇ちゃんにそのことを伝えて聞いてみたら?」と返した。
娘は「そうだね。聞いてみようかな。」と話していた。
私は娘自身が毎日イラストを描いていることを知っている。イラストを楽しみながら苦しみながらもがきながら描き続けていることを知っている。
努力したものでないと見えない世界があるのだと思う。そして努力している人は、同じように何かに向かって努力している人を素直に応援することができる。
この娘の発想は、〇〇ちゃんと同じく日々努力している娘だからこそ、湧き出てきた違和感であるし、導き出した関わり方なのだと思った。私は娘にそれを伝えた。
子供と話すのが、本当に楽しい。
そして、それを幸せと感じられることに私は感謝したいと思う。
幸せのかたちは人それぞれでいい。
そして、またいろいろな人と同じテーマで話してみたいと思う。
みんなの「しあわせのかたち」を一緒になぞることができたら
また私は歩みをすすめることができる。
寒空でも日陰でも、風を切って笑顔で歩くことができる。
そんな予感で今は胸がいっぱいなのだ。
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