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母への手紙 〜私の中の片脚のハト〜

母へ手紙を書くのは(幼少の頃に母の日などで先生に書かされるものを抜かせば)2回目になります。1回目は結婚式の時に書きました。でも、他の人(父や祖母)への気持ちも書いたので内容はサラッとしたものであったと思います。

だから、普通の手紙は初めてです。

話は私が幼稚園に通っていた頃に遡ります。
私の通っていた幼稚園は、お寺が母体の仏教保育の幼稚園でした。古くから寺子屋などが開かれていたお寺に昭和28年、様々な人々の協力を経て開園したとの事。母親もここの幼稚園の卒園児でした。

一般的な幼稚園との違いを思い出してみると、行事にその特色が現れていました。4月は花まつり、8月はみ魂まつり、秋には玩具祭り(玩具塚があり、おもちゃが供養されていた)、成道を祝っての幼稚園まつり(お釈迦様の生誕から悟りを開くまでを劇にする)、2月には涅槃会といった仏教保育ならでは行事が開催され、私たちは豊かな園生活を過ごす事ができました。

それに加えて、毎日の日々の中では、私たちは朝と昼食と帰りの時間にお釈迦様の写真に向かって「お祈り」をする時間が決められていました。祈りの内容は「毎日健やかに暮らせる事、あたたかい食事にありつける幸せについて感謝する」というものでした。

3月には毎年文集が発行されます。

内容は子ども達、教員、お母さん方がそれぞれの思い出を綴ったものでした。

その中で、私の母親が「私とハト」について書き留めた文章を発見したのは、私が小学生になってからでした。

もうその文章は残されていないので記憶はおぼろげですが、書かれていた内容は以下のようなものであったと思います。

私は子どもと駅で電車を待っていました。
電車が来るまではまだ時間がありました。待っている間、子どもは駅のホームに集まっているハトを見ていました。
ハトは全部で10羽くらい集まっていたでしょうか。私たちは持っていたポン菓子をハトに分けることにしました。
子どもはハトにえさを与える事を楽しんでいましたが、その中で1羽だけ片脚を失ってしまったハトが混じっていました。
そのハトは「けんけん」するように器用に歩くのですが、他のハトと比べると移動する時間は遅く、えさにありつけない様子でした。
私の子どももそのことに気づいて「ねえ、あの子はうまく食べる事ができないみたいだよ」と私に話しかけてきました。
私は「そうだね。かわいそうだね」と答えました。
すると、子どもはその片脚のハトにどうやってうまくえさを与えるのかを必死に考えているようでした。
苦労の末、何とか片脚のハトにうまくあげられた時に「あっ食べた!」と子どもは笑顔を見せてくれました。
「                       」

最後の一行には、おそらく母親の感想が記されていたと思いますが、残念ながら私の記憶には残っていません。

私は当時この文章を読んだ時に「あれ、こんなことを私はしてたんだな」と忘れていた自分のエピソードを思い出したことと「母親が私のことを書いてくれた」ということに対してとても新鮮な気持ちをもっていました。

思えば、母親がわざわざ文集に書くということは、母親の心の中でもこのエピソードを大事にしていたいような想いがあったのではないかなと思います。あの時どのような想いで筆をしたためたのか、私には想像もつかないところがあります。

そして

それ以来、私の心にはいつも「片脚のハト」が住みついています。

学生の頃から、生きるのに不器用な人、困っている人を見つけたら、気になってしまいます。

その人に対してどのような手だてをすればいいのか勝手に想像を膨らませてしまうのです。

私は大人になって、社会の様々なものへとかかわるようになりました。そして、様々な意見に触れることができようになりました。

今思えば「片脚のハトに特別にえさをあげる」という行為は、一過性の出来事であり、そのハトは私たちがいなくなってしまえば、またえさにありつけないのです。だから「そのハトが困らずにえさにたどりつける仕組みを考えるべきだ」と一般的な大人は考えます。その通りだと思います。

片脚のハトは片脚を無くした原因があるはずです。自分勝手な行動によってミスをして、その代償として片脚になってしまったのかもしれません。片脚になってしまったのは自業自得と言われてもおかしくないかもしれません。

そして、もしかして私が助けた行為自体があのハトにとっては単なるおせっかいであったかもしれません。野生の生物は弱い物は生き残れません。淘汰される仕組みに従うことで、強い遺伝子を残す事ができます。あのハトはあそこでえさをもらわずに命を絶やしてしまうことを望んでいたのかもしれません。

ある人は私のやったことを偽善的な行為だと批判するでしょう。見せかけの心でやったことは、人に好かれるために、良い人だとみられたいがための行動なのかもしれない。そのような心が全くないとは私は言い切ることはできません。

しかし私は思うのです。

私が迷った時。社会にのまれて自分の心を見失いそうになる時。

私の中のハトがひょっこりと顔を出します。

そして私はあの駅で母親といた時と同じようにハトを助けるべきだと思います。それは誰がなんと言おうとゆるぎない確かなものです。

私を形づくってきたものたちには、たくさんの人の想いが詰め込まれています。今、自分が年を重ねてきて母親への感謝を綴るとしたら、心の中のハトを形作ってくれた想いを感謝することが真っ先に思い浮かんできました。

これからも迷った時に、あの駅で、あなたと悩んだ私を思い出すでしょう。そしてハトが空へはばたいていく力強さを取り戻すことを私は想像します。

今までありがとう、これからもよろしくお願いいたします。


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