言葉ではないものをよむためにこそ人は言葉をよむのではなかったか
私たちは、本屋巡りをすることにした。
色々あったが、結論はそこに至った。
春に古本市に夫と出かけた。
なんとなくその頃から、かすかな心の動きは萌芽のようにめばえていたのかもしれないし、もしかしてその時には私たちは転がり出していたのかもしれない。
いつもはじまりははじまりと気づかずに、後から気づくものだ。
それはともかくとして。
夫は私に「1時間くらいドライブをしよう」と誘い出したのにも関わらず、私たちを乗せた車は住んでいる県を離れて、いつの間にか海を渡って都内へ向かっていた。
「行きたい本屋が2軒あって。そのうちの1軒に今から行きます」
え?
あなた、先ほど
ドライブって
言ってませんでしたっけ?
そういうことなら早く言って欲しかったし、ご近所に出かけるような気軽な青のラフなワンピースとゆったりした白いパンツ姿で化粧っ気もなく私が降り立ったのは、懐かしき梅屋敷だった。
夫は以前ご縁があって、梅屋敷にある病院に長く勤めていた。私も一年間だけではあるが、昔勤めていた勤務先のお休みの日を使って、自己研鑽のために毎月ここに訪れていた。
「だいぶ変わったかなぁ」
なんて夫は言いながら歩いたが、悪いけどもあまり大きく変わってる感じもしなかった。
懐かしのジョナサン。
人もまばらな商店街。
名は知ってるけど入ったことのないパン屋さん。
遠くに見える、病院の前を行き来する白衣やスクラブを着た同業者の群れ。
目的の本屋さんは駅近くにあった。
入って驚いた。
小上がりがある。
懐かしい雰囲気。
店内は静かで店主が奥にいる。
店主の姿はあまりはっきりとは見えない。
それほど広すぎない店内の本棚と、さっそく対峙する。
...かなり絞られている。
以前noterのお友達のリチさんに教えてもらった「title」という本屋もジャンルを絞られている印象を受けたが、今回はさらにぐっと狙いが定められている。
私が好きな本が多い。
すでに持っているもの。
買いたかったもの。
気になっていたもの。
お会計の際に「選書が好みです」と店主に伝える決心をしながら、2冊本を選んだ。
夫が先にレジに向かった。
夫は初対面でも物おじしない持ち前の性格を生かして、店主にすでに話しかけていた。
店主ははにかみ、やわらかい関西弁で話し始めた。
「小上がりの物件を探してたんですよ」
本屋を営み始めた経緯、本屋だけでは生きていけない現実、「場」としての本屋、通ってくる人々との交流、どのように生きていきたいのか、何を喜びとしているのか...店主の話は止まらなかった。
この人、本当に話したくて話してる。
熱が伝わってくる。
まっすぐ心地よい熱。
じんわりと心をあたためるあかりを灯すような願い。
私は久しぶりに「人」にひかれた。
43年間の人生で、今まで3人程度、憧れのような、懐かしいような、嫉妬を覚えるような、ずっとそこにいたいような、深くはまってしまいそうな人に出会ったことがあった。
(なんでもはっきり言っておきたいタイプなので、あえて書くが、今までお会いした全てのnoterさんたちは、この3人には含まれていない)
彼もそうだった。
あぁ、届かない境地。
でも、あなたたちが生きてくれている世界を、私は喜びとして感じたい。
そして、そういう人とは深く付き合わないに限るのだ。
そこまでが程よい。
店主の小谷さんは、私たちに名刺を渡してくださった。
「なんでも相談してください」
店主がブックイベント等で利用していると教えてもらった近隣のカフェを見つけて、簡単にお茶をする。時間がないので、お茶とアイスもなかのみで我慢する。
店を出て、余韻につつまれながら、日が落ちてきた商店街を歩む。
「遅くなったから、カツでも買って帰ろうか」
カツ屋さんの店員のおばちゃんが、私たちの注文したカツやカキフライを眺めて「まぁ、だいたいこんな感じよね」と話した。
店を出て夫と顔を見合わせて笑う。
「だいたいってなんだろうね」
人生「だいたい」でいい気がしてくる。
たとえば、こんな風景。
こんな気持ち。
今、ここで出会ったものたち。
本離れが加速するという話も耳にする。
しかし、昔から変わらないはずだ。
私たちのやりたいことは、からだが感じたことに耳を澄ますこと、目を凝らすこと、ことばにならないものをことばにして、世界と自分を繋ぐこと。
繋ぎとめて、また寝かして、壊して、流れていくこと。
息絶えるまで、出会い続けること。
そんなことではなかったのかな、と帰りの車内から高層ビル群と海と飛び立つ飛行機を眺めて、私はふと思い直した。
小谷さん、素敵なお話をありがとうございました。
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