キャスキッドソンのトートバッグはいかにして義母に受け入れられたのか
今日は義理の母の話である。
私は義理の母にかなりお世話になっている。
同市内のスープの冷めない距離に住んでいて、これ以上ない程大変やさしくしてもらっている。
こんな体たらくな嫁なのに、今まで嫁いびり的な扱いを受けたことは結婚生活の中で1度もないと胸をはって言い切れる。
娘のいない義母にとって、私を自分の娘の様に扱ってくれていることは、日々肌身に感じるのである。
彼女には感謝100%の気持ちを持っている。
ただ、彼女に対しての感情はそれだけではなくて
その他にも
同じ話を続けるところや
こちらの話を聞いていないことや
心配し過ぎて周りをかえってふりまわしてしまうことの
「困ったなぁ……」
の30%くらいが……実はある。
あとは、「サニーレタス」が10%位を占める。
(舅が趣味でやっている畑で取れたサニーレタスを会う度に毎回頂くので、贅沢な悩みであるのは重々承知なのだが、サニーレタスに対しての飽き飽きとした恐怖感が私にはある。)
以前、こんな記事を書かせてもらったが、彼女はどうやら人の話をうまく聞けていない時があるようだ。
それは決して「あなたの話なんか聞きませんよ」といった悪意があってもたらされるものではなくて、ある場面においてはどうしてもそうなってしまうらしい。
私と夫の結婚生活も長くなってきたので、なぜそうなってしまうのかいろいろと義理の母を観察してみた。
以下は、私が勝手に考えたその要因である。
彼女の人生にはもちろんたくさんの苦労があったのだと思う。でもだからといって、それをなげいたり、人に嫉妬したり.....なんてことはなく、たぶん自分の人生を概ね「幸せ」だと思っているような気がする。
だからこそ、なのだ。
自分のようにやれば人も幸せになる....というある種の価値観があるような気もする。
自分と相手は違う人生を歩んでいることを頭ではわかっている。けれども、それが体に落とし込まれて行動としては表れていないような気もする。
相手の話があまり入らない要因はたぶんそんなところだ。
彼女の大事にしている価値観が影響して、彼女の「きくこと」にだいぶ厚いフィルターのようなものをかけてしまっているのかもしれない。
そして、私にも毎日会えないことが、そのフィルターを余計厚くしてしまっているような気もする。相手を感じ取る余裕がないのだ。
「この感じは私の話を聞いていないなぁ....届いてないなぁ.....」という場面が、最近は何となくわかってくるようになった。
それは義母だけでなく、他の人でもわかる時がある。
もちろん私自身も、だいぶ話を聞いていないのだ。
言われたことを忘れて(忘れているというか記憶にもないので、もはや聞いていなかったんだと思うが)夫に「昨日言ったじゃん。」と言われることも多い。
私は夫の話はとりわけ聞いていないような傾向も見られる。ほんとうにすまん!夫!と、その時は思っている(たぶん)
だから何もそのような状態を私は批判したい訳ではない。
そして、ここから本日の本題に入る。
義母は見事に
私たちのお土産や
プレゼントに
意識を向けることが
できていない。
何を渡してもそうなる。
「お土産です」
「誕生日と思って....」
と、渡しても
「ああ、いいのに.....」
と、言いながらも
「ところでね、この前の〇〇ちゃん(うちの息子)の話なんだけどね....」と、違う話題を話し始めてしまう。
そして、ひとしきり話してその場で別れて、私たちがようやく自宅に帰った頃に義母から電話が入る。
「ねえ、さっきあなたにもらったのよね、これ。置いてあるから何かと思って....ちゃんと礼を伝えていなかったのよ。ありがとう。」
『ああ、今気づいたんだな』
と私はそれを聞いて思う。
何回も書くが、責めるつもりは毛頭ない。
こうやって気づいてもらえるだけでありがたいし、礼を言われたくて渡している訳でもないのだ。むしろ謝らせてしまったりすると申し訳ないとも思う。
問題はその後.....だ!
送ったものが「食べ物」だと、無事に消費されるが
「食べ物以外」だと、なかったことにされてしまう。
例えば夫の提案で
スターウォーズの映画のペアチケット
を渡したことがある。
この時の夫の考えは
「父親は映画が好きでスターウォーズも昔好きだったから新エピソードが劇場で公開されている今ならきっと夫婦で見に行くに違いない!」というものだ。
しかしこのチケットは使われることはなかった。
他にもエプロンやアームカバー、お掃除グッズ、洋服など、いろいろな物をプレゼントしたが、とうとうそれらが使われている場面を見ることは叶わなかった。
その中で唯一
キャスキッドソンのトートバッグ
は使っているのを何度も見かけた。
彼女は毎週習い事のコーラスに当時は通っていたが、どうやらお稽古バッグとして使っているようであった。
さあ、ここで題名に戻る。
キャスキッドソンのトートバッグはいかにして義母に受け入れられたのか?
そのこころは.....
私は思う。
はっきり言ってわからない
.......ここまできて
くまは
何を
言い出すのかと
ぽかーんとされている
人がほとんどで
あろう。
理由はいくらでも考えられることは考えられる。
彼女がたまたまお稽古バッグを探していたタイミングであったのかもしれない。
このお花柄と頑丈素材が彼女の好みに近いバッグであったのかもしれない。
プレゼントをあげた日は、たまたま自分が話したい話題が少なくて、話もきくことができたし、プレゼントに注意が向かいやすかったのかもしれない。
他のプレゼントはあまり好みではなかったのかもしれない。
でも、どれも決定打として考えるには、理由に弱さがある。
今日私が本当に言いたいこととしては
人にギフトを贈るのは難しいということ。
その人の好みを把握したり
その人の本当に欲しいものじゃないと
気持ちよく受け取ってもらえなかったりする。
相手の世界が強過ぎると
入る隙間もないこと。
その人の普段の領域にあるものでないと
なかなかすぐには認識ができないこと。
ギフトを
ことば
や
思考
と置き換えてもいいと思う。
だから、親切心でいろいろしたくなってしまう私たちは
相手のことを
まずよくみたり
観察したり
話をきくことが
前段階にないと
何かと失敗しがちになる
本日はそんなお話でした。
.....さあ、今日も
サニーレタスの
行く末を
考えようっと。
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