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私の話を少し

今日書くことはためになることとか全く書いていないのでご了承ください。
(それはいつものことではあるのですが)

タイトルにある通り、自分の話を少し書いてみようかなと思っています。

今日はそんな気分なのです。

私はある人にとっては付き合いやすい存在でもあるし、ある人にとっては付き合いにくい存在でもあると思います。

好きだと言ってもらえたり、憎まれたりもします。(この感情同士はかなり紙一重なんですよね。一番遠いのは認識もしてないことかなと思います。)

人間ってのは相性がありますので、それは誰にだって各々あると思うのです。

そして、ここに書くことはあくまでも「自分はこう思っている」ということなので、人も同じことを考えているとは思ってはいません。似たような気持ちを抱いている人もいるかもですが、同じ円を描くことはなく、どんなに重なっても円は楕円であると思うのです。

以前「ごちゃまぜ」という好きな音楽をひたすら貼り付ける記事でも貼った音楽の中に

寺尾紗穂さんの「楕円の夢」という歌がありまして。その歌詞はそんなことを表してもいるのかな....と思っています。

私の話を聞きたいの
あなたと別れてからのこと
私の話を聞きたいの
会えなくなってからのこと

私は確かに抜け殼で
羽をなくした鳥のように
心はすぐにうつむいて
空の青さがまぶしかった

私の話を聞きたいの
あなたをなくしてからのこと
私の話を聞きたいの
一人になってからのこと

私はなるたけ羽ばたいた
天だけ目指して羽ばたいた
たくさんの人に囲まれて
花を見上げて笑ったよ

私の話を聞きたいの
ほんとはどちらか聞きたいの
どちらもほんとのことなんだ
そんな曖昧を生きてきた

明るい道と暗い道
おんなじひとつの道だった
あなたが教えてくれたんだ
そんな曖昧がすべてだと

明るい道と暗い道
狭間の小道を進むんだ
あなたが教えてくれたのは
楕円の夜の美しさ

楕円の夜に会いましょう
月の光で踊りましょう
世界の枯れるその日まで
楕円の夢をまもりましょう

明るい道と暗い道
狭間の小道を進むんだ
あなたが私においてった
楕円の夢をうたいましょう
楕円の夢

私の解釈は

楕円は2つの円が重なった形であると思っています。

2つの円が限りなく近づいている時に

重なる部分もたくさんあります。

重ならない部分も少しあります。

私はそれが理想的だなと思っています。

どんなに同じ体験をして、楽しく過ごせて、ずっとこのままでいたい!と思ったとしても、自分と相手の線引きをする、俯瞰的な視点。

それが2つの円が重なった楕円の形のうちの

重ならない部分です。


この視点がない人と付き合うことが私はおそらく苦手です。



円を描く時は、その時その時で違う円になります。

楕円の夢の歌詞のように

「わたし」の中でも

様々な形の円になります。

でもどれが本当とかどれが嘘とかではなくて

みんな自分なんだと思うのです。

そんな円の軌跡からは、1人の人間の中にもある多様性というか、感情の複雑さも感じますし、常に私たちは瞬間瞬間で動いているものなんだなと思うし

「そんな曖昧を生きてきた」と歌詞にも書かれていますが、曖昧で捉えにくいからこそ、お互いの円が大きく重なった瞬間というのは、

美しく

その後の自分を生かす力になるような

すばらしい瞬間なのだと思います。

そして、重ならない自分だけの部分というものも

私は愛したいなと思う。

相手が全くぴたりと重なるようなものを求めてきた時は、私は大体の場合は距離を取りたいと思っています。

重なりの強要は、いずれ相手をコントロールしようとしたり、思い通りにしようとしたりすることもあるからです。

だから、人によっては

「くまさんはクールなのね」

「感情が見えないよね」

「頑固なのね」

「そんなことこだわらなくてもいいじゃん」

「つれないなぁ」

なんてたまに言われることもあるのですが

たぶんそう言われている時は


私は楕円の重ならない自分の部分を必死に守りたいだけなのですね。


けっこう自身では大体のことにこだわりのない性格かなと思ってはいるのです。

人のやっていることに対してそこにジャッジをすることも苦手です。いいか悪いかはその人が決めてその人が動かしていることだから。

しかし、先程申した通り、私にも自分の大切な領域というものがあって、そこを侵襲してきたり、攻撃されたり、行動を強要されたり、未来を決めつけられたりするような匂いが少しでもすると、私は拒否的な反応がでます。

ちょっと過敏かなと思うくらい。

子供の頃はこういうことがわかりませんでした。

小学生から成人するくらいまでは、私はある特定の女子に強く好かれることがたまにありました。小学生の頃は2人の女の子の間で「どっちが大切なの?」と板挟みになったことがあります。

そして彼女たちは相手側の悪口を言ったりする。


私はどうしてこうなるんだろうと思っていました。

そしておそらく悪口を聞くのもあまり気分がいいものではありませんでした。

今ではこういう行動の元には、愛だけではなく、様々な感情があるのだろうなと思えるようになりましたし、自分はそことの付き合い方や自分を守る術が少しずつ備わってきているような気もします。

でも、人間って本当に複雑だなと思います。

自分の子供たちもきっと言語化できないだけで、今はその過渡期なのかな....と想像したりもしています。大人になると楽な部分もあることを、私はたびたび伝えていたりもしています。


今日は自分語り乙!という感じで。

こんなこと書いてみました。

自分の気持ちを風呂敷のように広げてみて

またゆっくり畳みながら考えていきたいなと思います。

ここまで読んでくださった希少な方たちはありがとうございました。

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