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内なる海と白子の夜

朝起きた時に、左の踵の裏が切れていたことに気づいた。

傷は2.5cm程度で、出血はしていない。しかし、乾燥した赤い切り口は見えていて、圧迫すると痛みを伴う。

前の夜から踵が痛むことに薄々気づきながらも、私は痛みをごまかして、京都の川ぞいを歩いていた。

朝方、起きてきて痛みが強まっている現状にとうとう観念して踵を見る。

赤くて濃い切り口。

私はキズパワーパッドをぴっと踵に貼って、道を歩いた。

つけたことに身に覚えのない傷。

「まるで人生みたいだな」

知らないうちに傷ついて、そして知らないうちに日常が少しずつ困難になっている。

イニシャルコンタクト時に疼痛あり、左立脚相短縮傾向。踵から接地しないように意識すると膝が内反し変な歩き方になる。

痛みを回避しようとすると、違うところに負担がかかる。

やはり....それもまた人生。
変な歩き方をする自分が少し面白くなってくる。

傷を負うと歩みは遅くなる。

目的地にはのんびり行くことにした。

京都でスクーリングがあり、初めて大学の本校に訪れた。

山際に沿うように建てられた建物は、階段が多く、初めて訪れたのであれば一番頂上の景色を眺めてみたらどうかと事務員に勧められる。


なるほど。紅葉も終わりかけているが、これは確かに素晴らしく、碁盤の目のように整えられた街並みが私の目の前に広がる。所々見える神社や仏閣。奥には山がぽっかりと存在感をあらわにしている。


京都は幸いにして3日間晴天に恵まれた



スクーリングも終わり、夜は1人で食事処を探す。

足が痛むのでホテルの近くのお店を探そうと思った。

目星をいくつかつけて、とぼとぼと歩きだす。

一つめのお店は予約をしていなかったので、飛び込みは難しいとのことだった。お野菜がおいしいと書いてあったので、少し足を運んだが断念した。店内のお客さんたちはつつましやかな笑顔でそれぞれの時間を楽しんでいるようだった。

二つめのお店は、営業時間外で閉店していた。おばんざいを小皿でたくさん出すお店で、明日の朝訪れてみようと思った。

私は、痛む足にこれ以上負担はかけたくない....と思い、それぞれのお店の向かう途中にあった、小さなビストロのお店にしようと決めた。

先程と同じく店内をひょっこりと覗いてみる。

客席はそれほど混雑しておらず、若い男女のペアがカウンター席に腰掛けている。

私の様子に気づいた小柄な女性の店員さんに、お店の席が空いてるか尋ねる。
彼女はあたたかな笑顔で招き入れてくださり、通されたカウンター席の1番奥の椅子に腰掛けた。

目の前にいる男性はコックフートを綺麗に着こなして、テキパキと調理をすすめている。

年齢はおそらく私と同年代くらいか少し年上....顔立ちが夫の友人に少し似ている。でも雰囲気はおそらく違う。

手際よく調理しながら、カウンター席の男女ペアの話に笑顔で相槌を打つ。彼はおそらくここの店長だ。私は少ししか彼のことを見ていないのに彼の動きや振る舞いになぜか好感が持てた。たぶんこの人はたくさんの場をくぐってきたのだと思う。そういう安心感を抱かせた。

隣には同じくコックフートを着た20代くらいのやさしくて甘い顔立ちの男性がいる。

メニューを渡される。私が悩んでいると店長はさりげなく助け舟を出してくれた。
「お一人なら前菜盛り合わせなどありますので、食べやすいかと思います。」
私は彼がすすめてくれたものとペリエを若い店員に頼んだ。

ペリエを飲みながら、読書をした。

この本は短いいくつかのエッセイのようなお話で構成されている。
その中の「内なる海」というタイトルのお話を読んだ。
この章はアレハンドロ・アメナーバル監督の映画「海を飛ぶ夢」という映画の話題が中心で、映画の原題が「内なる海」という名前らしい。

25歳の生命の輝きに満ち溢れたラモンが、引き潮の海に吸い寄せられるように飛び込んでいくシーン。そのために頸椎損傷となって長いあいだ寝たきりのラモンが、部屋の窓から空を飛んで海に向かい、浜辺を歩く愛しい女性フリアを抱きしめ、熱いキスを交わす夢想シーン。いずれにも、海を飛ぼうとするラモンの想いが、息を呑むほど美しく描かれている。
「傷を愛せるか」より

想像する。

私は頸椎を損傷したことはないが、頸椎を損傷した患者さんをみさせてもらう機会は、たびたびあった。

ラモンの内なる海はエネルギーであり、生命であり、死でもあり、欲動でもある。
冷たくて、あたたかくて、光に満ちていて、自分の体さえもつかめないような暗闇で、どうしようもなく体の底から求めていて、そして、自ら手離していくものだ。


隣の男女ペアの女性の方が、ふらふらと椅子から立ち上がったり、少し大きめの声を出している。どうやら店を出るようだ。ほろ酔いの彼女を男性は後ろから見守っている。
彼女はひどく酔っていたのか、私のカバンに手を伸ばした。
男性が「それは違うよ。お前のじゃないよ。」と諭してくれる。そして私に「すみません」とあいさつをする。彼女も「ごめんなさ~い。へへへ。」と悪びれず笑みを浮かべた。お酒の匂いがする。私は気にしないようにと伝えた。

客が帰ると、店内は私だけとなった。
店長は静かな口調で私に話しかけた。

「先ほどのお客さんがさわがしくしてしまってすみませんでした。」

私は再度気にしていないことを告げ、先ほど頼んだ前菜盛り合わせがとてもおいしいことを伝えた。
「とてもいいお味です。」
彼は控えめににこっとした。

私はもう少し食事をとりたいと思っている旨を彼に伝えた。
本日のおすすめは「白子のソテーかフリット」であるとの事。
私は少し迷って……白子のフリットは食べたことがあるので、ソテーにしてほしいと注文した。彼は「お一人なのでハーフサイズにしますね。お値段も半分なので」と手を動かしながらまたもや心遣いをみせてくれた。

ペリエがなくなったので、めずらしくアルコールを取ろうと思った。

若い店員に白ワインについて尋ねる。

彼は「今日の白ワインはリースリングという品種でドイツのワインです。えーと…..あとはですね……ちょっとお待ちください!」と言ってスマホを持ってきて検索する。

「これを読んでもらえたらわかりやすいかと」
屈託なくそのように話すので、遠慮なくスマホを見せてもらう。
『モーゼルワインの中で最も有名なピースポート村のやや甘口ワイン。スッキリとした酸味と甘さのバランスが絶妙、フレッシュで爽やかな味わいです。』
「ミヒェルスベルクですね」
彼は嬉しそうに伝えてくれた。それはまるで散歩中の犬のような愛らしさだった。

その気取らない感じが私にはとてもちょうど良くて心地よく、教えてくれたことに礼を伝えた。

ワインが来たので、口にふくみながら読書の続きを行う。




映画の中で、ラモンは自らを死に追いやろうとする。
ラモンを愛する人たちは、その道に行かぬように彼を懸命に引き止めようとする。

しかし、ロサという女性は彼の死を肯定する。

「愛しているから、あなたが死にたいと思うなら、それを手伝うわ」


「死にたい」と、たまに言われることもある。

それはプライベートでも仕事の場においても、である。

自殺念慮を持つ人に「生きてほしい」というメッセージを右往左往しながらなんとか伝えたいとは思っていた。けれども、年を重ねて、そればかりではない、少し違うと思った。全ては気休めにしかならない。相手は生きる喜びを見いだせないのだ。それでも生きていてもらうことは相手にとっては死よりも過酷な事であるのかもしれない。

ロサのセリフに嫌悪感を持たずにいられるのは、そういう心境の変化が作者同様自分にもあるのだと思った。

ロサは人がそれぞれ自分の内なる海を感じることの大切さを、どこかで深く了解していたのだと思う。「他者を愛する」とは、自分とはちがう存在、自分には理解できないもの、自分では受け入れられないものをもっている存在を、まさに自分には理解できないし、受け入れられないからこそ、尊重するということである。
けれどもそれは「他者から愛されない」ことを受け入れることであり、相手の選択が死であるときは、他者との「他者としてのつながり」さえも断ち切られることになる。

愛されなくて愛する。

ただ受け入れる事。

遠く離れることも含めて。

それが相手にとっての内なる海を取り戻す唯一の手段である。

と作者は述べる。


私は白子のソテーを食べながら、また頭をぐるぐるとめぐらせてみる。
ソテーは一般的なバターソテーとは違って、創作的な味付けで、青梗菜やキノコがたっぷりと入っていて、オイスター風味でもあり、洋風でもあり、それが白子のふっくらとした感じと見事に調和していた。

店長に料理についてまた感想を述べる。

相手の内なる海を一緒に探すことはできるのだろうか。

一緒に探さなくとも、そのものがあることを想像して願うことが私にはできるだろうか。

私の内なる海はどのように泳いでいけたらいいのだろうか。


お会計をすまして店を出ようとすると、店長も若い店員たちも手を止めてわざわざ私を出口まで出てきて、見送ってくれた。

「またゆっくりとおこしになって下さい」

私は
「素敵な時間が過ごせました。ありがとう。」
と自分の気持ちを思い切って伝えてみた。

アーケードの下の繁華街に紛れ込む。
干物や焼き物の匂い、観光客の喧噪、芯から底冷えする背筋が伸びるような寒さ、雲の隙間から見える星空。


全てがほどよく

全てがまどろんで


私は踵の痛みも忘れて、夜の街を歩き続けた。





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