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心配される私たちと他者性の芽生え

職場の後輩が今日こんなことを言っていた。

聞いて下さいよ。
〇〇さん(利用者さん)が最近声が少し出づらいのに「あんたは、結婚しないのか?」って手をこうやって(ふるわせながら)伸ばしながら言うんですよ。行くと必ず握手を求めるんですけど、そのあとに必ず言うんです。私なんかの結婚のことよりもっと大事なことがあるんじゃないかなって思うんですよ。何だか申し訳ないなぁって。

同僚のみんなは「あ〜〇〇さん、そんなこと話すんだね。」となごやかに笑っていた。〇〇さんは重度の麻痺があり、疲れやすいのでほとんどベッドで過ごしているような男性の方で、この話で意外な一面を共有できた。

私は「他の利用者さんも結婚について心配する人多いよね。」というと、独身者は「そうなんですよ」とみんなそれぞれのエピソードを話してきた。

案外このように私たちのことを心配している利用者さんは多い。担当しているリハスタッフが休みなどで代わりに自分がリハへ入ると「いつも担当してくれる彼は(あるいは彼女は)本当におつき合いしている人とかいないのかね。いい人なのにね。」と何だか探りを入れられることが多い。

私は後輩の子に話した。
「私は結婚と同時に就職したから、結婚については言われなかったけど、【子どもは生まないのかい?】に始まって、子どもを産むと【2人めは考えないのかい?】が始まって、2人生まれたら【3人くらいかわんないよ】って言われるよ。」
「えーじゃあ、きりがないですね。そういうもんなのかな。」と何かを心配されることについてあきらめたような表情をしていた。

このような心配をされる方は、日本人のこの世代の一つの価値観としてしばらくは続くのではないかと思っている。


利用者さんに「何かを心配される」というのは決して悪い事ではないと私は思っている。


高齢者は少しずつ人間関係が希薄になる方が多い。
ましてや病気をしたり怪我をして、施設に入ったりしているとそれはますます加速する。

少ない人間関係の中でも、人はなにかしらの役割を持ちたいのだと思う。

普段、どちらかというと心配されていることが多い利用者さんは、本来は同じくらいの勢いで人の心配をしたいのではないかと思う。

「もう今そんなこと心配している場合じゃないでしょ!」とつっこみたくなるくらい自分が修羅場やピンチな状況にいても、どうでもいいような些細なことを心配している方は少なくはない。

リハビリテーション職は若い人が多く、私の職場も20〜30代がメインだ。私たちは利用者さんの孫あるいはひ孫と同世代になる。

核家族化で、接する事が少なくなった孫やひ孫への愛情の矛先が私たちに向けられているのかもしれない。あるいは私たちに若い頃の自分を投影しているのかもしれない。

この「人の心配をする」ということは言い換えれば「自分の中に他者がある」ということだろう。

自分の中に他者性が芽生えると、人は生きる力を取り戻すような気がする。

認知症などで、自分と「今ここにいる」感覚がうまくつながりにくい人でもその中に他者性が入り込むことで、それが旗のように目印となって「今ここ」にスッと戻りつながれる。

だから私は、場合によっては利用者さんにわざとどんどん頼ってしまう。
あるいは頼りなさそうな(実際にも頼りないのだが)様子をしっかり見せる。

そうすると「しょうがないな〜この人のために頑張ってやるか」という具合に一つの役割が作られ、小さな約束が、毎日を生きる理由に少しずつ大きく育ってくる。場合によっては、そのことが命を取り留める要因にもなる得るかもしれない。

これは子育て中の子どもに対しても通じることであると思う。

だから、今自分が未熟だと感じ、できないことで悩んでいる学生さんや若者達に伝えたいのは、しっかりと心配されたり頼ることは決して悪い事ではないということ。特に高齢者に対してはどんどん頼っていってほしいなあと期待している。
もちろん高齢者に関わると効率化とは縁遠い結果になる可能性は十分にある。時間もかかるし、かえって面倒くさいし、自分でやった方がはやいこともあるかもしれない。

リアルなコミュニケーションとは本来はとても面倒くさいものだ。

でも、自分と全然違う世界を生きてきた人たちは、ハッとするような視点をもたらしてくれたり、人間としての底の深さを見せてくれることがある。


そして、未熟な自分が頼ることで、どこかで救われる人がいることを忘れないでほしいと思う。

来週、作業療法士の大学生に対して夫と一緒に授業をうけもつ予定がある。(毎年1回だけやらせて頂いている。私は助手です。)

あくまでも1人の人間が考えていることだが「このように思っている人もいるよ」ということを、学生さんにうまく伝えられるように、日々努力したいと思う。そして、若い人たちがどのように感じているのかを聞いて、一緒に考えていきたいと思っている。



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