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鈍化するひとたち

つい先日「美人な奥様」

と言われた。

たまーに「美人」と言われることがある。

言って下さる方は主に高齢者の方。

私の仕事で対峙している方たちは高齢者が多い。そして私と夫は同じ会社で働いていて、同じ職業であるがゆえに、私たち夫婦で一緒に関わっている利用者さんも多いのだ。夫は「やさしい」とよく表現される。夫は高齢者、特に女性受けが良い。「僕は80歳以上の女性にはモテる自信がある」と冗談半分で言う事もある。そのあとは「若い人にはモテないけど」とお決まりのように自虐的に続く。私は「はいはい」とどこかあきらめのような、ぶっちゃけて言うと「どうでもいい」という態度をあからさまに出しながら、相槌を打つ。

知らんがな。

でも高齢者にモテるっていうのはいいことなんじゃないかなと思う。よく思ってくれるなら、一応、小さいながらも会社の社長として、会社の顔としてはいいことだと思う。というか妻として「それは真の良さがわかるのが年をとってからだということだね」とかなんとか言っておけばいいのにな〜と、少しだけ思ったりする。でも言わない自分もいる。

そんな夫の話が出た後。
私の「美人」の話が出たりする。

正直、どきっとして、ひやっとする。


私はほめられるのがあまり得意な方ではない。
なので、ほめられるとしどろもどろになって「いやいやいや」とか、よくわからないことを口走って、しまいには「もう年ですから!」とか言い出してしまう。

しかし「年ですから」も何もないのだ。
相手は私よりはるかに年上であり、場合によっては自分の年齢の倍以上の方もいる。

「くまさんは若いでしょう」と始まり「私があなたくらいのころは…..」とか思い出話に移行する事もある。(移行したらそれはそれで話題がそれてほっとしている自分もいる)


高齢者と日々接していて、かなわないなと思う事がある。
人生の先輩方。酸いも甘いも…..たくさん体験されている。
この人みたいな考え方に追いつきたいなと思うような憧れに近い想いを抱く方もいるし、こんな余生はあまりにもさびしいよなと思う方もいる。でもどんな方にも「かなわないな」が見え隠れして、そういうものを見つけるのが私は仕事中の楽しみの一つであったりする。

先日、ある利用者さんと一緒にこんな会話をしていた。

「あえて鈍くする人」の話だ。

その方は昨年からデイサービスというものに通い始めて、そこに同じく来ている利用者さんたちに接することで、世の中にはいろんなお年寄りがいることをあらためて実感したということであった。

様々な人を観察している中で感じたことと、私が利用者さんと接していて感じたことが、重なる部分があって今回の話は盛り上がった。

その「鈍くする人」というのは「感覚をわざと鈍くさせている」ように思えるということなのだ。

どういうことかというと

例えば...よくある耳が遠いお年寄りがいたとする。

何を聞いても「はぁ?」と返して、そのあとの会話が続かない。あるいはこちらが話しかけているのにも関わらず反応が全く見られない。

または、目が見えづらいお年寄り。

目の前にあるものが見えない、そのまま何もなかったかのように通りすぎてしまったりする。

しかし、違う場面では
まるで先ほどの場面が
ウソのように
よく聞こえていたり
よく見えていたり
するのだ。

これはどういうことなのだろう。
それにはいくつかの原因がある。その一つとして「わざと聞こえない、あるいは見えない風にしてる」という選択肢をとっている人がいる。

そういう話をした。

これには応用があって。

わざと「認知症が進行しているふりをする人」も高度な技ながらも、可能性としてはあるのではないかと思う。

この「鈍化させること」って生きていく上で、たぶん私が学ぶべきことの一つなんじゃないかなと最近、思っていたりする。


わざと反応しない。
感じさせない。
自分を鈍くしておくこと。

若さというのは俊敏さと共にあるものだと思う。

私も20代の頃は世間や会社に対しての怒りや抵抗の気持ちが強く、事あるごとに荒ぶっていた。

その気持ちはかなり反射的にあらわれるもので、脊髄反射くらい、瞬発的なものもあったと思う。

俊敏さというものが悪いわけではない。その衝動性が作るエネルギーで、成し遂げられたことも数多くあるのではないか。今の自分にはできないこともたくさんある。もちろん今振り返ってみると「ああ、あの人を傷つけてしまったな」とか「もっと上手く立ち回れたんじゃないか」と思うような失敗経験もある。

年齢を重ねると、段々と反応が鈍くなってくる。そのことについては、なんとなくマイナスイメージを伴いやすいが、決して悪いことばかりでもないのかなと、最近の私は思うのだ。

霞がかかったように。
膜がはっているように。

あえて視界を悪くさせて
水中で聞く音のようにして
思考の回転速度を落として

鈍くすることで、するるるっと
通り抜けていけるなんて

なんて平和な世界だろうか。

私はまだ彼ら彼女らの領域まで達していない。

なぜなら「くまさんはまだ若い」からだ。

でも、これから年を取る上で、一つ頭に置いておきたい技であると感じている。

森の中の大木のように。

物言わずどしりといられたら。

さえずる小鳥の声の美しさや

静かに芽吹いた新芽の尊さや

うつりゆく日の光のあたたかさに

いつか、気づいて
ささやかなうつろいゆくものにも
感謝の気持ちが持てる日まで。


夫に「美人って言われた」と報告すると


「そりゃそうだ。僕の奥さんは美人だもの」と調子よく返す彼に対して

「思ってもいないこと言わなくていーよ」と

まだ可愛げのない返事をしている限りは

道のりは遠いな、と感じながら。

今日も「鈍化するひとたち」の世界で、私は彼ら彼女らの日常生活の中から、たくましさやしなやかさを感じ取りながら

己の道を右往左往しながら

歩んでいくしかないのだ。

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