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冬になるとりんごパイが食べたくなる。 なぜなら、寒くなるにつれて、スーパーのりんごが安くなるし、人から頂く機会も多くなるからだ。 私はいつもなかしましほさんのレシピで作る。 夫ががんと診断されてから、体に良い食事をちょっとだけ気にするようになった。ハードなマクロビやヴィーガンの実践は、仕事をしている自分には難しいと感じたので、ゆるゆると雑穀を入れたり、玄米にしたり、野菜ジュースを飲んだり、調味料に気をつかった程度である。 本当にゆるゆるである。ほとんど気をつかってない
1.noteを書く時の自分のルールについて 「届けない」「献上する」私はnoteを書いている時に、ごく自然とたった1つだけ、自分に対してルールを課していることに最近気づいた。 それは「相手に届けようとしない」ことだ。 人に見てもらうことを意識しすぎると、とたんに何も書けなくなってしまうような気がする。いや、ここに書いている時点で誰かの目にはふれてしまうし、交流が生まれることもある。見られたくない内容であれば「自分の紙の日記にでも書いておけよ」という意見を言われてもおかしく
私は昔から「自分が大好きなもの」を素直に人に言えないところがある。 人の好きな物の話を聞くのは大歓迎で、そういう場面をおのずと待ち望んでいるような気がする。あまり自分と関わりがなかったものならなおさら良い。相手の好きな物を私が好きじゃなくても全然かまわない。話している人が自分の好きな物を語る時の、嬉しそうな表情や体温の高さ、変態や狂気の一歩手前のようなその人にしか理解できないこだわりを「うんうん」と聞いているのが嬉しい。 その時間は、自分が見えなかった世界や景色まで、その
4月の八王子。 私の住んでいるところと違って、八王子は天気が変わりやすいようだ。 そして思った以上にまだ4月の八王子は寒い。 自分が実家から持ってきた服を全部重ね着してもまだ寒くてどうしようもない日があった。私は完全に八王子をなめていた。まさか雹まで降るとは思ってもいなかった。 でも、あの日はあたたかい日だった。 今から十数年前 私は今の夫(当時の彼)が、実習のため訪れていた八王子に一緒についてきて、2ヶ月限定の同棲をしていた。 そこで私のやるべきことは、3つ。
私の家には薪ストーブがある。 今の家に引っ越してからは、寒い日になると夫が薪をくべてくれる。 炎がゆらめくのを私はただひたすらに眺める。 火は強くなったり弱くなったり、形を変え続ける。 時々、燃え落ちた薪がトンっと小さな音を立てて崩れる。 近くにいると、体の芯からあたたかくなる。 家の中があたたかなオレンジの光につつまれる。 安心してウトウトとまぶたが重くなってくる。 火には不思議な魅力がある。 人間が扱えるようになるまでは長い歴史があった。 現代人は,火
小学校での「あだ名禁止」が話題になっているそうだ。 いじめ対策の一環だそうです。 「さん付け義務」というところもあるとの事。 「さん」をつけたら わたしの場合は「くまさん」さんになってしまう。 (先日コメント欄でおもしろがって下さった方がいる。ありがとうございます。) 問題は「あだ名」をつけることではなく「いじめ」が起きることではないのかな?と思ったのだが、素人なのでよくわからない。教育に関わる方に聞く機会があったら聞いてみたいと思った。 話は変わるが、私のあだ名